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カタルーニャの選挙に向けて (2) スペイン国王の演説に対する疑問。王室とEU(欧州連合)と。

今井佐緒里欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者、作家
12月1日マドリードで会議に出席したスペイン国王夫妻(写真:Shutterstock/アフロ)

欧州逮捕状をスペイン政府に取り消させたユンケル(ユンカー)欧州委員会の見事さで、ますます対照的に疑問が際立ったと感じさせたのが、スペイン国王フェリペ6世の演説である。

参照:カタルーニャの選挙に向けて (1) 見事な政治力のユンケル(ユンカー)委員会と欧州の姿

カタルーニャ市民を失望させた演説

国王のテレビ演説放送があった10月3日、まだカタルーニャ議会は正式な独立宣言はしていなかった。

10月1日に独立の是非を問う住民投票がカタルーニャで行われた。カタルーニャ政府によると、9割が独立賛成、投票率43%。しかし治安部隊が投票を阻止しようと介入し、多数の負傷者が出た。警官の暴力に関しては、スペイン側でも抗議の声が上がっていた。

そんな騒然とした日曜日からまだ興奮が冷めやらぬ2日後の昼間、国王の演説放送は行われた。

メディアを通して知った雰囲気では、カタルーニャの人々は、国王の演説に耳を傾ける様子が伺えた。「お前なんか我々の国王じゃない。お前の言うことなんて、知ったこっちゃない」という空気ではなかった。

それなのに、蓋を開けてみたら、「憲法」という言葉を連発はしていたが、厳しく叱責する口調で、カタルーニャを批判した。いわく、カタルーニャの指導者たちは、違法に独立を宣言している。彼らの決定により、法律で承認された規則の体系を踏みにじり、国家の権限に対する容認できない裏切り行為(不誠実な行為・不正な行為・不忠実な行為、とも訳せる)を見せた。特に、この太字の部分がよく報道された。

バーやカフェで国王の演説を見るカタルーニャ人たちは、フランス2(フランスのNHKにあたる)のテレビ画面からは、一様に失望したように見えた。「期待なんかしていなかった。スペイン人だからな」と語る人もいた。それでも見たということは、なにがしかの期待はもっていたのだろうに。

「国王というのは、国の統合のためにいるべきなのに。2、300万人もいる(カタルーニャの)人々のことは全く考えていないんだね」という若者の意見も出ていた。プチデモン氏も「失望した」と表明した。

筆者は、フランスの24時間ニュースチャンネルの生放送で演説を聞いていたが「・・・ダメだ、これは」と、手で顔を覆って深いため息をついた。

彼らの失望は、とてもよくわかる。

今落ち着いてビデオを見直すと謹厳な感じもするのだが、当時生放送で見ていた印象では「なんて威丈高なんだろう」と反感をもった。

なぜ「共に歩もうではないか」「今までも共に生きてきたではないか」「心を一つにしようではないか」などと、融和を説けなかったのだろうか。

現代の王室は、国民のシンボル、あるいは統合として存在する。いや、現代でなくてもそうだ。オーストリア=ハンガリー帝国、ハプスブルク家の(事実上)最後の皇帝、フランツ・ヨーゼフ2世ーーーあのいつも「一致協力して」しか言わなかった、欧州大陸最後の大帝国の崩壊をつなぎとめた皇帝の勉強でもしたほうがいいのでは、と思った。

国王は政治利用された?

AFPの報道によると、王室専門家たちの分析では、この妥協のない演説は、スペイン政府が過激な措置を適用する舞台を準備するためのものだったという。

スペイン王室に関する複数の著書を出版しているFermin Urbiola氏は、「この演説は、制度の秩序を回復するために憲法にあらかじめ備えられていたすべての措置の扉を開くものだ」と述べた。

専門家たちがいう「その措置」とは、主に155条である。今まで決して使われたことのなかった条項だ。もし、ある地域が憲法および法的義務に違反したり、国家の一般利益をひどく損なう場合は、尊重するように強制するという内容だ。

スペイン人の専門家たちの言っていたことはまさに当たり、24日後の10月27日、ラホイ首相は「カタルーニャに法の支配を回復することが急務だ」とし、155条を発動してカタルーニャの自治を停止したのであった(そして同時に、選挙を行うことを発表した)。

つまり、この分析に従えば、スペイン政府は、国王の発言でお墨付きを与えられて、あるいは国王の意にかなう形で、カタルーニャの自治を停止した。このことを、どうとらえればいいのか。スペイン国王はスペイン政府の意のままに行動したともとれる。その場合、政府による国王の政治利用になる。しかし、国王は政府の意向に賛成して、積極的に協力した可能性も全く否定できないわけではない。

王室の危機?

王室ジャーナリストのアナ・ロメロ氏は、「すべての終わりに何が起こるかによって、彼の統治が成功か失敗かが決定されます」「彼は王家、王冠、娘(王位継承者のLeonor王女)の未来を守り、イチかバチかの賭けをしています」「スペインを意味するものはすべて危険にさらされています。制度的な構造も含めてです。スペインの制度的な構造の要は国王です」。

スペイン王室を知るジャーナリストのアベル・ヘルナンデス氏は、国王の不公平な判断は危険だとし、「彼は一つの見込みにすべてを賭けた。もし負けたら、おしまいだ」。

カタルーニャ独立反対派であっても、あの警官の暴力シーンには眉をひそめる人は多く、国王の演説でそれに関する言及がまったくなかったことに、疑問を発する声もある(この暴力で、その後独立支持の投票に向かった人も多かったと言われている)。

フェリペ6世の伝記作家、ホセ・アペザレナも、「対話の言葉が国王の演説に欠けている」と指摘した。

要するに現代の王室は、国王が国民の信頼を失うと、もうダメだということなのではないか。

フェリペ6世は、右派の現スペイン政府とスペイン人には忠実であった。

しかしそのために、カタルーニャ人の信頼を完全に失ってしまったように見える。

「我々の気持ちをわかってくれないのか。なんだ偉そうに。お前なんかいらない」と思われたら、王室崩壊の危機につながるのだ。

特にスペインは二度革命が起きており、二度王制は倒されて共和制が樹立された歴史をもつ(どちらも期間が短く、特に第一共和制は短かった)。

今の王室は、独裁政治を築いたフランコ将軍が、後継者として王族を指名したことから復古した王政だ。基盤が弱い。

そして貴族(階級)は、民主主義国家では、存在意義も経済基盤も失ってきている。王族がほぼ孤立して残っているような状況だ。

王族は「平民」と結婚し、さらに現スペイン王妃はニュースキャスター出身、ヘンリー王子の婚約者は女優などと、ほとんど人気稼業になってきているきらいがある。

問題視された国王の背後にあった絵画

「スペイン国王も、立場が不安定で、政府のいいなりだったのかも」と同情したくなるかもしれない。

しかし、そうとばかりも言えないのではないか。

ネットで話題になったのは、国王の背後にあった絵画である。

実際には、国王のバストアップが画面の中心になって、絵画の下の方しか映らなかったのだが。

画像

画面には、絵画の下の部分、国王の頭の横に棒のようなものがちょうど映った。

「これはいったい何だろう」というツイッターが飛び交った。質問した人たちは、単純に「??」と思って発信したように見える。

この絵画は、カルロス3世の肖像画である(wikiでカルロス3世を見ると、この絵の写真が出てくる)。

1759年から1788年の間、スペインを統治していた、現国王の先祖にあたるブルボン家の王様だ。

しかし、この国王は、1768年にカタルーニャからカタロニア語を奪ってスペイン語(カスティーリャ語)を課した法をつくった人物である。同法に違反した教師に対しては、懲役を含む制裁措置を講じた。棒のようなものは、カルロス3世が手にもっている棍棒のようなものである。

こともあろうに、こんな絵の前で演説をしたのである。

この絵は、現国王が改装をした3年前からここにあるそうだ。この絵の前でビデオにおさまるのも、これが初めてではないと聞いた(要出典)。

しかし、宮殿は広いのだから、何もこの絵の前で演説しなくてもいいではないか。

絵画の由来についての情報が伝わると、まさに今行われたばかりの、カタルーニャに介入する警察の棍棒と暴力を連想させたという。

なんという配慮のなさ。それとも、わざとなのだろうか。国王は、演説する場所すら強制されたのだろうか。

EUと王室と

筆者は今までEUを観察してきて、様々なEU機関・EUの政治の場で、EU領域内の「野蛮」が洗練されていき、民主化されてきた事例を見てきた。今回も、その一つの例に加えられる。

カタルーニャをめぐる混乱で、たとえどのような表向きだろうと、対話と説得を通して、なんとか事態収拾に動いて民主主義を堅持しようとしているのはEUであると、筆者は言いたいと思う。

もしEUという枠がなかったら、昔のように各国が独自に勝手に動いている時代だったら、はたしてスペイン政府は、フランス政府だの、英国政府だの、ドイツ政府だのの言うことに耳を傾けだろうか。助言を受けいれただろうか。「内政干渉である。うるさい」の一言で終わったと思う。実際、中国は今でもそうである。

それに、そもそも欧州の首脳たちは、事態の民主的収拾のために、ラホイ首相との対話に動いただろうか。スペイン政府支持なら、ほっとけばいいのである。もっと厳しくカタルーニャを弾圧するのに協力したっていいくらいだ。

あるいは逆に、他国の国内の混乱は最大のチャンスとばかりにつけ込んで、スペイン国内の危機をあおるような措置を講じていたかもしれない。昔ならば「民主的に平和裡に解決するべき」と動く必要などなかったのだ。そのように外国の首脳が動くようになったのは、EUがあるからだ。そしてEUの機構があるからだ。

こういう時代である欧州において、はたして王室はどの程度必要なのだろうかと疑問がわいてしまう。

日本人にはわかりにくいが、世界では王室がある国のほうが圧倒的少数派である。

選挙後、カタルーニャがスペインに残ったとしても、「ほーら、国王と中央政府が強気に出たから、結局カタルーニャは独立しなかったではないか」などと思うおめでたい人は、どのくらいいるだろうか。

国王の本心はわからない。もしかしたら、苦しい胸の内があったのかもしれない。国王の周りには「国王たるもの、国の統合のために働くべきです」と主張する人はいなかったのか。もしいたとしても、実際の国王の言動に反映させる力やシステムは、マドリッドには存在しなかったのだ。今のスペイン政府は右派であるが、政府などその時の趨勢でいくらでも変わるのに。

前述の「国王は一つの見込みにすべてを賭けた。もし負けたら、おしまいだ」「国王はイチかバチかの賭けをしています」というスペイン人識者の発言は、そういうことを言いたいのだろう。

もしカタルーニャが自治権を強化する形でスペインに残るとしたら、今後火種になるのは王室かもしれない。

独立派カタルーニャ人の反感は長い目で見ると「われわれの気持ちなど全く無視した、高圧的な王室」に向かうかもしれない。その場合、もし次に独立運動が起こったら、それは「王室なんていらない」というスローガンのもとにおこる革命運動、共和国樹立運動になってしまう可能性がある。そうなったら、穏やかな国や小国をのぞいて、王政を倒して人間の平等と社会民主主義を確立した欧州大陸では、カタルーニャに反対できなくなる勢力や思想、党、団体、国がたくさんあるのだ。

もし10月3日の段階で国王が融和的な「共に生きようではないか」という心情に訴える演説を行っていたなら、カタルーニャの動きはあれほどエスカレートしなかったかもしれない。しかし、もはや欧州大陸の大半の国に王室はなく、フランスにもドイツにもイタリアにも王室は革命で倒されて存在しない。王室をいかに上手に活用して融和をはかるかという視点は、もう欧州外交では消滅しているのに違いない。

王室から解放されたカタルーニャ共和国を樹立するための独立革命ーーこの憂慮を考えるのは、もっと先のことになるだろう。

今もっとも目が離せないのは、12月21日に迫った州選挙の結果である。

欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者、作家

フランス・パリ在住。追求するテーマは異文明の出会い、平等と自由。EU、国際社会や地政学、文化、各国社会等をテーマに執筆。ソルボンヌ(Paris 3)大学院国際関係・欧州研究学院修士号取得。日本EU学会、日仏政治学会会員。駐日EU代表部公式ウェブマガジン「EU MAG」執筆。前大使のインタビュー記事も担当(〜18年)。編著「ニッポンの評判 世界17カ国レポート」新潮社、欧州の章編著「世界で広がる脱原発」宝島社、他。Association de Presse France-Japon会員。仏の某省関連で働く。出版社の編集者出身。 早大卒。ご連絡 saorit2010あっとhotmail.fr

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