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震災も戦争も平和も繁栄も桜木町駅前で見つめてきた「川村屋」に感謝

坂崎仁紀大衆そば研究家・出版執筆編集人・コラムニスト
「川村屋」にて最後の「天ぷらそば」を味わう(筆者撮影)

 桜木町にある立ち食いそば屋「川村屋」に初めて行ったのは昭和50(1975)年頃だと記憶している。「川村屋」が創業したのは明治33(1900)年のこと。当時の経緯は他の記事に記載されているので省略する。「川村屋」がそばの販売を開始したのが昭和44(1969)年。その前までは軽食などを扱う駅前によくあるレストランとして営業していた。駅そばが人気となり「川村屋」も駅そばビジネスに舵を切ったわけである。つまり私はそば販売を始めた6年後に実食していたわけである。私が取材したところでは、昭和50(1975)年当時は4代目が「有限会社川村屋」を経営し、現在は6代目が引き継いでいると聞く。

人で溢れる日曜の桜木町駅に到着した(筆者撮影)
人で溢れる日曜の桜木町駅に到着した(筆者撮影)

 当時の桜木町駅のことを思い出してみる。横浜駅から根岸線に乗ると今のみなとみらい側は塀に囲まれていて草原や巨大な工事現場になっていた。造船所跡地があったように記憶している。当時はスモッグがひどく、どんよりとした空の時が多かったと思う。今では考えられないが、桜木町駅からみなとみらい方面に入ることはできなかった。

 国鉄桜木町駅はやや窮屈な雰囲気で、東急東横線の桜木町駅の方がむしろ大きくお洒落な駅舎だった。桜木町駅は南側の野毛や日乃出町の玄関口として活気に溢れていた。そんな中、「川村屋」は粛々と営業を続けていたわけである。

桜木町駅前「川村屋」から南側をみる(筆者撮影)
桜木町駅前「川村屋」から南側をみる(筆者撮影)

 平成元(1989)年、横浜博覧会が開催されるのに伴い、駅舎は移転し新駅になった。そして「川村屋」は面積が小さくなったため、レストランをやめ立ち食いそばうどん専業となる。横浜博覧会の加勢があり、「川村屋」にも客が殺到し大繁盛となった。英語のメニューもいちはやく取り入れて注目を集めた。青汁の販売もユニークな存在だった。

英語のメニューもユニーク(筆者撮影)
英語のメニューもユニーク(筆者撮影)

 その後平成16(2004)年に東急桜木町駅の廃止により、駅周辺の再構築が行われ、確かガード下での仮店舗の営業などを経て、平成26(2014)年に現在の「CIAL桜木町」に移転した。そして、店舗も近代化し、味の向上が一気に進んだ。「川村屋」がもっとも人気化した絶好期を迎えることになった。「とりそば」は評判がよくうまかった。「天ぷらいわた」製の天ぷら達も名わき役として「川村屋」を支えてきた。

3月最終週の店舗も大賑わい(筆者撮影)
3月最終週の店舗も大賑わい(筆者撮影)

 そして、令和5(2023)年3月31日、「川村屋」は廃業。その理由は後継者の不足・従業員の高齢化だという。現代社会に広がっている「創業50年」問題である。そばの販売を始めてから今年で54年。店頭に貼られた「閉店のお知らせ」には次のように記載されている。

『……ふと気が付きましたら従業員全員そして店主も高齢者になっていました。後継者がみつからない中、今後安定した店舗運営を継続して行くことは困難と判断された為、本年3月末日をもって川村屋そば店を閉店する運びとなりました。……』

閉店のお知らせを読むのは辛い(筆者撮影)
閉店のお知らせを読むのは辛い(筆者撮影)

 閉店に際して、私は何度もお世話になった手前、感謝の言葉を伝えずにはいられない。下記に桜木町駅にまつわる歴史と「川村屋」の足跡を年表にしてみた。明治からの国威発揚も、震災も災害も、戦争も戦後の平和も、街の繁栄も移り変わりも、インバウンドもコロナ禍も、人々の笑顔も人波も「川村屋」はずっと桜木町駅前で見つめてきたわけである。

 3月最後の日曜日に「天ぷらそば」を食べに訪問した。従業員の皆さんの顔が少し悲しげに忙しなく感じられた。出汁の香るつゆ、しっかりした天ぷら、やや硬めのそば。どれもなつかしい味であった。「1000杯売れてもお客さまにとっては大切な1杯。そのことを忘れない」というお店の言葉を実感する味であった。 

最後の天ぷらそばは格別であった(筆者撮影)
最後の天ぷらそばは格別であった(筆者撮影)

 立ち食いそば屋は平和の時代の象徴だと思う。ウクライナのような戦争も災害もまっぴらだ。これからも平和が続いてほしいと切に願う。そしてそう思うほど、「川村屋」の廃業は残念でならない。店主とその従業員にとっても無念で堪らないことだろう。

 昭和48(1973)年の森永乳業のCMに「クリープを入れないコーヒーなんて…」というシリーズがあった。俳優の芦田伸介がじっくりと大人の雰囲気でコーヒーを飲む映像が当時大ヒットした。なぜかそのCMを思い出した。つまり、最後に言いたいことはこれだけである。

「川村屋」がない桜木町なんて…

近代桜木町駅と「川村屋」の歴史

明治5(1872)年:横浜駅として開業

明治33(1900)年:「川村屋」創業

大正4(1915)年:桜木町駅に改称

大正12(1923)年:関東大震災

昭和16-20(1941-1945)年:太平洋戦争、横浜空襲

昭和26年(1951)年:桜木町事故

昭和44(1969)年:「川村屋」がレストラン洋食軽食とともにそばの販売を開始

昭和51(1976)年:横浜市営地下鉄桜木町駅が開業

昭和62(1987)年:国鉄が民営化

平成元(1989)年:横浜博覧会が開催、駅舎を移転新駅になる、「川村屋」がレストランをやめ立ち食いそばうどん専業となる

平成16(2004)年:東急桜木町駅の廃止、みなとみらい線営業開始

平成23(2011)年3月11日:東日本大震災

平成26(2014)年:「川村屋」現在の場所に移転

令和5(2023)年3月31日:「川村屋」廃業

大衆そば研究家・出版執筆編集人・コラムニスト

1959年生。東京理科大学薬学部卒。中学の頃から立ち食いそばに目覚める。広告代理店時代や独立後も各地の大衆そばを実食。その誕生の歴史に興味を持ち調べるようになる。すると蕎麦製法の伝来や産業としての麺文化の発達、明治以降の対国家戦略の中で翻弄される蕎麦粉や小麦粉の動向など、大衆に寄り添う麺文化を知ることになる。現在は立ち食いそばを含む広義の大衆そばの記憶や文化を追う。また派生した麺文化についても鋭意研究中。著作「ちょっとそばでも」(廣済堂出版、2013)、「うまい!大衆そばの本」(スタンダーズ出版、2018)。「文春オンライン」連載中。心に残る大衆そばの味を記していきたい。

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