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「いだてん」は大河ドラマに新しい視聴者を誘う起爆剤だ〜「西郷どん」との視聴データから〜

境治コピーライター/メディアコンサルタント

聞き飽きた「いだてん」の視聴率が低いというニュース

筆者は毎年大河ドラマを見ているが、中でも今年の「いだてん」はこれまでと趣向も変わった企画でよりいっそう楽しみにしている。ところが2月あたりから「いだてんの視聴率が低い」ことを槍玉に挙げるネット記事が目立ってきた。特に「大河史上最速で10%割れ」と、なぜか10%を切ったことが大河ドラマの成否を決めるかのような記事には正直不快になった。10%に何か根拠があるのだろうか。なんとなくキリがいいから書いているだけだろう。

果敢に新しい題材を新しい手法で描こうとチャレンジをするドラマに対し、これまでの視聴率と比べたりキリのいい数字を切ったからと批判することにどんな意義があるのだろう。それに世帯視聴率はもはやメインの指標ではない。

筆者はこのところ、世帯視聴率をもとにテレビ番組を論じる風潮に警鐘を鳴らしてきた。実際に、関東ではテレビCM枠の取引に世帯ではなく個人視聴率が使われている。世帯視聴率で番組の良し悪しを語る時代は終わろうとしているのだ。ぜひこちらの記事も併せて読んでもらいたい。

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関係者に聞いたところでは、NHKはドラマの評価は総合視聴率で見ている。リアルタイム視聴率に加えてタイムシフト視聴率も合計した数値を局内での評価に使っているらしい。また大河ドラマはBSで地上波より2時間早く放送しており、そのデータも材料にするそうだ。だから「視聴率が10%を切った!」とネットニュースで騒いでもNHK自身は別の尺度で見ておりかなり見当違いな記事なのだ。もちろんどのデータも「西郷どん」より低いだろうが、そもそもNHKの狙いは「これまでの大河ドラマと視聴率で比べる」ことにあるのだろうか。

「あとにも先にもない大河ドラマ」かどうかをデータ化する

3月20日にまた「いだてん」についての記事がネットに出た。NHKの木田幸紀放送総局長が会見でこのドラマについて触れたというのだ。「毎回、楽しく見ています。脚本、映像も細部までこだわって、たくらみに満ちて作っています」とコメントした上で、「あとにも先にもない大河ドラマを」と述べたという。「独眼竜政宗」の演出などまさに大河ドラマの歴史を作ってきた木田氏の心強いコメントだ。そしてそこにNHKが「いだてん」に込めた狙いが垣間見えた気がする。これまでの大河ドラマとは一線を画す企画で、NHKは新しい視聴者の獲得を意図しているのではないだろうか。そしてその狙いは功を奏しているのではないか。

これを確かめるべく、調査会社インテージに依頼してデータをもらった。彼らが持つi-SSPというシングルソースパネルは、一人一人が何と何に接触し接触しなかったかがわかる。そこで昨年の大河ドラマ「西郷どん」の最終回と「いだてん」の最新回(調査時点では3月24日放送回)の接触者の中で、それぞれのみを視聴した人と、重複して視聴した人はどれくらいいるのかを出してもらった。

「西郷どんのみ」の人が多いのは当然として、「いだてんのみ」の人が僅かならば、NHKは新しい趣向の大河ドラマでファンを無為に失っただけになる。だが「いだてんのみ」の人がある程度いれば、新たな視聴者の獲得に成功したと解釈できる。

インテージ社からもらったデータの数値をまず表にしてお見せしよう。

データ:インテージ社 i-SSPデータ
データ:インテージ社 i-SSPデータ

筆者は若い世代ほど「いだてんのみ」が高く、高齢層になると「いだてんのみ」はほとんどいないだろう、と予測していたがそう単純ではなかった。「いだてんのみ」の数値は「西郷どんのみ」の半分程度いて、どの区分にも存在している。

視覚的にわかりやすくするため、この数値をグラフにしてみた。

データ:インテージ社 i-SSPデータ
データ:インテージ社 i-SSPデータ

これを見ると局部的に大きく”入れ替わった”区分があるのに気づく。まず女性30代は重複視聴が少なく「いだてんのみ」もかなりいる。はっきり、「西郷どん」と「いだてん」で見る層が変わったのだ。男女40代も、重複がある程度多いが「いだてんのみ」視聴者も多い。30代40代には「いだてん」だから大河を見ている層がかなりのボリュームで存在するのだ。意外に女性60代にも「いだてんのみ」視聴者がけっこういる。保守的と思われがちな年配女性にも、新しいドラマを求めていた層がいたのだ。

「いだてん」は間違いなく、「西郷どん」とはまったく違う視聴者を獲得している。もちろん「西郷どん」の視聴者をかなり失ったとも言える。既存の大河ファンを失っても、新しい視聴者を獲得できている。”失う”方をどこまで想定していたかはわからないが、もしNHKが私の読み通りの狙いで「いだてん」を企画したとすれば、狙いは奏功したと言えるのではないだろうか。肉を切らせて骨を断つ、ようなことができているのだ。

ただ付け加えておくと、データに10代がないのはあまりに出現数が少ないからだ。「西郷どん」も「いだてん」も10代にはほとんど見られていない。大河ドラマ最大の課題は、この最若年層に残っている。

「あまちゃん」効果とオリンピック盛り上げ

NHKでは朝ドラが100作目の「なつぞら」で盛り上がっている。過去の作品を振り返る特番も放送され、見て気づくのは「あまちゃん」の重要さだ。例えば我が家ではそれまで私も妻もさほど朝ドラを見ていなかった。なんとなく一世代前のおばあちゃんが見るイメージがあったからだと思う。ところが「あまちゃん」は80年代と現代のアイドル文化が交錯し、小泉今日子が主人公の母親を演じた。同世代感のある私の妻はハマり、釣られて私も見るようになった。不思議なことに、その後の「ごちそうさん」は伝統的朝ドラらしい戦前戦後の女性一代記だったのに、引き続き我が家では視聴された。そういう家庭は多いはずだ。

「いだてん」に同様の効果が期待されていると想像できるのは、何しろ脚本家が同じ宮藤官九郎なので当然だろう。二つの時代が交錯する点もよく似ている。大河ドラマの視聴者をNHKは「いだてん」で一新しようとしている。ただし「あまちゃん」の時より既存視聴者が大きく減ったのだが。逆に言うと「あまちゃん」は既存視聴者があまり減らなかった稀有な成功例だったとあらためて思い知った。

もう一つ、「いだてん」には重要な役割がある。オリンピックへの盛り上げだ。先ほどコメントを紹介した木田放送総局長はNHKのオリンピック・パラリンピック実施本部長でもある。それを知ると「あとにも先にもない大河ドラマを」の意味は奥が深いことがわかる。規格外の大河ドラマでオリンピックを盛り上げて欲しいと言っているのだ。何しろ10%を切ったにしても、何百万人もの視聴者に毎週「オリンピックにかけた人生のドラマチックさ」をアピールしている。その効果たるや絶大だ。2019年の大河は視聴率目当てに王道の戦国時代や明治維新を描くより、オリンピックを題材にする必要があったのだ。世帯視聴率が10%を切ったかどうかなど、その大目標の前ではちんけな話だ。

さて「いだてん」は金栗四三のオリンピック参加の話は終わって一区切りついたところだ。ドラマファンとしてはますます今後の展開が楽しみになってきた。視聴率が下がった上がったと今さらな記事を書きたいメディアは書き続ければいいと思うが、そのことがいかに見当違いな行為かは、自覚して欲しいものだ。そんな中、ようやくこういう真っ当な批評記事も出てきた。

歴史に残る一作になる可能性秘め「いだてん」第一章終了

「いだてん」を気に入って見ている人は、こういう記事にこそ注目し、斬新な大河ドラマとして楽しんでいけばいい。少なくとも私は、クドカンが書き松尾スズキが重要な役を演じる大河ドラマが毎週見られる幸福を噛み締めている。それだけで十分「あとにも先にもない大河」だ。

コピーライター/メディアコンサルタント

1962年福岡市生まれ。東京大学卒業後、広告会社I&Sに入社しコピーライターになり、93年からフリーランスとして活動。その後、映像制作会社ロボット、ビデオプロモーションに勤務したのち、2013年から再びフリーランスとなり、メディアコンサルタントとして活動中。有料マガジン「テレビとネットの横断業界誌 MediaBorder」発行。著書「拡張するテレビ-広告と動画とコンテンツビジネスの未来」宣伝会議社刊 「爆発的ヒットは”想い”から生まれる」大和書房刊 新著「嫌われモノの広告は再生するか」イーストプレス刊 TVメタデータを作成する株式会社エム・データ顧問研究員

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