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ため池草刈り時の溺水事故をなくすには 岩手県金ヶ崎町の事故を教訓に

斎藤秀俊水難学者/工学者 長岡技術科学大学大学院教授
農業水利周りの草刈り整備は農家の重要な仕事(筆者撮影)

 岩手県金ケ崎町のため池で、草刈りをしていた農業の男性と会社員の男性が水に落ちて溺れ、亡くなりました。7月と8月はため池草刈り時の溺水事故が頻発します。なぜでしょうか。どうしたら助かるでしょうか。

事故の概要

 23日午前8時45分ごろ、岩手県金ケ崎町西根吉田沢のため池で、周囲の草刈りをしていた同町、農業の男性(57)と同町、会社員の男性(62)が溺れたと、一緒に作業していた男性が119番した。2人は救助されたが、同県奥州市内の病院で死亡が確認された。

 奥州署によると、池は深さ2・3メートル。農業男性が誤って転落し、会社員男性も助けようとして池に入って溺れた。池の周囲に柵があり、2人は内側ののり面で作業していた。同署は農業男性さんが足を滑らせたとみている。(河北新報 7/23(土) 18:48配信

 草刈りを含めた農作業中のため池転落・溺水事故のうち、2人が同時に亡くなる事故は近年あまり聞きません。重大事故だと判断します。

 農業にとってみれば57歳と62歳はまだまだ現役で、わが国の食糧生産を担う大事な人材をため池管理のためになくした、大変悔しい事故でありました。

 この日は多くの人数で草刈りをしていたようです。それであればなおさら、「これだけでも知っていたら、誰も命を落とさずに済む」という簡単な救助法があります。

農作業中のため池溺水事故の実態

 筆者は、最近全国各地のため池サポートセンター主催の研修会に講師でお邪魔する機会が増えました。その際の参考資料として、ため池での作業中の事故例を集めています。

 新聞等に掲載された農作業中のため池溺水事故はこの10年間で少なくとも15件。15人が命を落としています。

 内訳は、発生時期では7月3件、8月3件を筆頭に、農繁期に事故が集中します。作業内容では、草刈り6件、水量調整7件でした。年齢は70歳代8人、60歳代5人で、犠牲者には高齢者が多く見られます。

 今回の事故と同様に、草刈り機を抱えながら池に転落した事故としては、2016年7月に鳥取県で農業の男性(68)が命を落とした例があげられます。

草刈り中に考えられる転落の要因

 図1をご覧ください。谷池にしても皿池にしても、転落の発生しやすい最も危険な場所は、水をためるために作られた堤体のうち、遮水を担う斜面(のり面)です。通常表面には、ゴム張りやコンクリート張りをしてあります。

 遮水斜面全体がゴムやコンクリートで覆われていれば草刈りの必要はほぼないので、ここに草刈り機を入れることもないでしょう。ところが、図1に示すように斜面の水面に近いところでゴムシートなどが途切れていると、そこから斜面に従い堤体の天端に至るまで草が茂り、草刈りをしなくてはならなくなります。

図1 ため池の草刈りの様子(筆者作成)
図1 ため池の草刈りの様子(筆者作成)

 図のような斜面であれば、草刈り中はゴムシートの表面が作業者の視野から外れます。足元のどこまでがゴムシートなのかよくわかりません。そしていよいよゴムシート周辺の草刈りに入ります。刈られた草がゴムシートの上に横倒し状態で積まれると、ゴムシートの存在にますます気づきにくくなります。

 草刈りが一段落すれば、ゴムシートの上の刈られた草を集めようとします。その時、草に隠れたゴムシートの上にのってしまい、滑落してため池に吸い込まれるように落ちていきます。ゴムは表面が乾いているとなかなか滑りませんが、濡れたらいっきに滑りやすくなります。刈った草の水分が漏れ出してゴムシートの表面で潤滑剤になるとも言えます。

 動画Iの後半では、濡れたゴムシート表面で筆者が滑り、落ちてからしばらく茫然とする様子がわかります。これが足のつかない池だったら、茫然としている間に溺れることになります。

動画I 遮水ゴムシートの表面で滑落する様子。後半では突然の出来事に茫然とする筆者が見られる(筆者機材による撮影)

大切な作業者の命を守るために

 基本は次の3つです。

1.救命胴衣の着装

2.複数人数での活動

3.携帯電話の常時携帯

 とはいっても現場では「ないものねだり」の様相もあります。

 例えば夏場の暑い時期の救命胴衣の着装は、身体を動かしながらなので、体温上昇を招きます。筆者でも作業着の上に救命胴衣を着装した姿では、このところ続いている炎天下のテレビのロケ現場で20分持ちません。現実的に無理があります。

 ならば、救命胴衣を着装せずに命を守ることを考えましょう。その場合には複数人数で、特に2人一組のバディーシステムでお互いが安全確認をしながら活動します。そして、作業箇所の直近には必ずしっかりしたロープを準備します。当然天端から池の少なくとも5 m先まで届くくらいの長さのロープでなければなりません。種類としては、フローティングロープ(主材:ポリプロピレン)がベストです。

 どう使うか?滑落した人はすぐに力を抜いて背浮きの状態になってください。靴や服は脱ぎません。そうすれば自然と背浮きの状態になります。この状態なら茫然としていても呼吸はできます。陸の人は「ういてまて」と声をかけてロープの先を投げて渡します。池に浮いている人がロープを両手でつかんだら、陸の人はロ-プで引っ張りながら静かに岸に運びます。足が届くようになったら、池の中にいる人に立つように指示します。

 そこからは、動画IIに示すようにロープをつかみながら、池の中の人は池から脱出します。

動画II ロープ一本でため池から上陸する様子(筆者撮影)

 昨今の農業の担い手不足・人手不足で、どうしても1人で草刈り作業をしなければならない場合は、携帯電話の常時携帯と救助ネットの敷設を心がけましょう。

 最近の携帯電話は、少々水に濡れても使えます。背浮きしながらあるいはため池の立てる場所から119番通報して消防の救助隊を呼びます。GPS機能がONになっていれば、「助けて」の一言で消防119番の受付台ではおおよその場所がわかり、救助に来てくれます。

 救助用ネットは、遮水斜面の全面に張ります。どこから滑落したとしても元の場所に這い上がることができますし、そもそもネットのおかげで滑落しにくくなります。耐候性のよい樹脂ネットを選ぶようにします。

さいごに

 総務省による「ため池の安全管理に関する行政評価・監視の結果」によれば、「安全管理に関する農林水産省の通知等が、施設管理者に周知されていない」とされています。

 筆者・水難学会もYahoo!ニュースを活用しながら安全啓蒙に努めていますが、いまだに全国の施設管理者に必ずしも情報が届いていないと実感しています。

水難学者/工学者 長岡技術科学大学大学院教授

ういてまて。救助技術がどんなに優れていても、要救助者が浮いて呼吸を確保できなければ水難からの生還は難しい。要救助側の命を守る考え方が「ういてまて」です。浮き輪を使おうが救命胴衣を着装してようが単純な背浮きであろうが、浮いて呼吸を確保し救助を待てた人が水難事故から生還できます。水難学者であると同時に工学者(材料工学)です。水難事故・偽装事件の解析実績多数。風呂から海まで水や雪氷にまつわる事故・事件、津波大雨災害、船舶事故、工学的要素があればなおさらのこのような話題を実験・現場第一主義に徹し提供していきます。オーサー大賞2021受賞。講演会・取材承ります。連絡先 jimu@uitemate.jp

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