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「集団脱北事件」が金正恩政権に与えた測り知れぬ衝撃

辺真一ジャーナリスト・コリア・レポート編集長
集団亡命した北朝鮮の女性ら (出所:韓国統一院)

北朝鮮が大陸間弾道ロケット(ICBM)のエンジン燃焼実験に成功したその日、北京のレストランで勤務していた女性従業員13人が集団で韓国に亡命したと、韓国当局が発表した。

ミサイルのエンジン実験成功で「米本土を攻撃圏内に収めることができる」と満面に笑みを浮かべていた金第一書記はこの時、うら若き女性らの集団亡命の一報に接していたら、おそらく顔をしかめたに違いない。

今年33歳の金第一書記は「青年重視」の政策を掲げてきた。それだけに外貨獲得のため信頼して、海外のレストランに派遣していた女性先鋒隊らが集団で離反するとは想像すらしてなかったのでは。青天の霹靂かもしれない。

今回の亡命事件は、金正恩政権にとって大きな衝撃となった。何よりもこれまでの亡命事件とは質が違うからだ。

集団亡命は過去にもあった。1987年2月に11人が船で、日本に漂着し、韓国に辿り着いた。1996年12月にも17人が中朝国境から香港を経由で韓国に入っている。また1997年5月にも14人が、2002年8月にも21人が船で集団亡命しているが、どれもこれも一家、親族、一族による集団亡命だった。

集団亡命の人数としては、2004年7月のベトナムからの468人が過去最高だが、全員が同じ日時に脱北したわけではない。中国や東南アジアに長期間潜伏していた脱北者らが韓国に入国するため支援団体によって経由地のベトナムに一同に集められての亡命だった。

最近では7年前の2009年10月に11人が漁船で韓国に入国しているが、それ以降は一件もなかった。特に金正恩政権が発足した2012年からは脱北者が半減していただけに今回の事件に大きなショックを受けたことだろう。

第一の衝撃は、彼女らの生活を監視する立場にあった責任者を含め同じ店で働いていた従業員全員が行動を共にしたことだ。

過去に海外のレストランで勤務する女性従業員が一人、ないしは二人、脱北するケースはあったものの従業員全員が一人残らず集団亡命したのは前例がない。それも、一家、家族によるボートピープルとは違い、全員が他人同士の、それも単身者である。

海外在住者は離反者を出さないよう相互監視体制の下での集団生活が義務付けられている。これまでの常識では、集団亡命は不可能に近かった。それが、脱落者も、密告者もなく、店員全員が揃って行動を共にしたことは驚きである。

第二の衝撃は、出身成分(家柄)もよく、党への忠誠心も強い、選抜された労働党員がこぞって亡命したことだ。

一般的に海外のレストランに派遣される女性従業員は金正恩体制下で特権や恩恵を得ているエリート層、中産層、即ち既得権勢力に属する。13人の中にはおそらく党や政府の幹部の子弟らも何人かはいるはずだ。党に最も忠実で、思想的にも鍛錬されているはずの、それも韓国に亡命すれば、両親や兄弟らがどのような目に遭うか誰よりもわかっているはずの彼女らが国を捨てたということはよほどのことである。

情報では、彼女らの収入は月150~500ドルと海外で建設業に重視している出稼ぎ労働者に比べて悪くない。それなのになぜ?と金第一書記は首をかしげているのではなかろうか。

第三の衝撃は、労働党大会を前に集団亡命が発生したことだ。

北朝鮮は5月初旬に36年ぶりに党大会を開催する。第7回党大会の成否は経済で成果を上げることができるかにかかっていると言っても過言ではない。

国連による強力な経済制裁に直面している金正恩政権は今まさに全国民に向け「輝かしい労働成果で党大会を迎えよう」と、「70日間戦闘」を呼び掛けている最中にある。「70日間戦闘」の成果を連日報道し、国民に奮起を促しているその追い込みの段階で前代未聞の脱北事件が発生したことは金第一書記からしれみれば、顔に泥を塗られたに等しい。

第四の衝撃は、今回の集団亡命が海外で働く他の女性従業員や労働者らの間でドミノ現象を誘発する恐れがあることだ。

北朝鮮は中国、カンボジア、ベトナム、タイ、インドネシア、ミャンマー、香港、ロシア、UAEなど海外12か国で130の店舗を展開している。そのうち中国が最も多く、約100店舗。延吉や瀋陽、丹東などに4~5、北京、上海など大都市には7~8つある。金正恩体制が発足した2012年頃から急激に増え、最低で年間1000千万ドルの収入があると言われている。ところが、韓国政府が北朝鮮の外貨収入を断ち切る策として自国民に北朝鮮レストランを利用しないよう呼びかけた影響で顧客の韓国人が大幅に減少し、ここにきて閉店に追い込まれたレストランが続出しているようだ。

営業不振により本国に召還され、処罰されるのを恐れ、悲観してのことか、それとも自由や韓国への憧れからなのか、今回の集団亡命の動機がまだ明らかにされてないが、制裁の効果が裏付けられたとして朴槿恵政権が勢いづき、北朝鮮レストランへの「規制」をさらに強め、また、米国をはじめ国際社会が足並みを揃えて、人権問題絡みで出稼ぎ労働者らによる北朝鮮の外貨獲得事業を問題にすればこの種の亡命は後を絶たないかもしれない。さりとて、連鎖反応を恐れ、自ら進んで撤収すれば、海外からの外貨収入が絶たれることになる。

国際社会を敵に回しての核とミサイル開発のツケが回ってきたようだ。

ジャーナリスト・コリア・レポート編集長

東京生まれ。明治学院大学英文科卒、新聞記者を経て1982年朝鮮問題専門誌「コリア・レポート」創刊。86年 評論家活動。98年ラジオ「アジアニュース」キャスター。03年 沖縄大学客員教授、海上保安庁政策アドバイザー(~15年3月)を歴任。外国人特派員協会、日本ペンクラブ会員。「もしも南北統一したら」(最新著)をはじめ「表裏の朝鮮半島」「韓国人と上手につきあう法」「韓国経済ハンドブック」「北朝鮮100の新常識」「金正恩の北朝鮮と日本」「世界が一目置く日本人」「大統領を殺す国 韓国」「在日の涙」「北朝鮮と日本人」(アントニオ猪木との共著)「真赤な韓国」(武藤正敏元駐韓日本大使との共著)など著書25冊

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