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子どもに対する性的暴力の経済的・社会的コストを数字にすると?

プラド夏樹パリ在住ライター
年に16万人の子どもが性的暴力の被害にあっているフランス(写真:イメージマート)

日本でもジャニー喜多川氏による性被害が相次いで告発されているが、フランスでは6月12日、『子どもに対する性的暴力。否認とそのコスト』とタイトルした報告書が発表された。

この報告書の特徴は、子どもに対する性暴力は、なんと1年につき約97億ユーロ相当の経済的・社会的コストになっていると発表したことだ。ちなみに年に97億ユーロという数字は巨額に感じられるが、「あくまで確証できる数字だけを取り上げて」のことであり、隣国イギリスで行われた同様の調査はより高めの100億ユーロと発表している。(1億ユーロ=約155億円)

同報告書を発表したのは、マクロン大統領の要請によって、2年間という期限つきで2021年3月に設立された「子どもに対する性的暴力と近親姦に関する独立調査委員会(CIIVISE)」。家庭裁判所の判事や精神科医、近親姦被害者援助団体の代表を委員として、国内各地を回って被害者の声を聞きとり、定期的に報告書を発表してきた機関だ。これまでに2万5千人が証言したという。今回の報告書に対しては、「被害を金銭化するなんて恥ずべきこと」といった国民の非難の声もあったが、委員会の意図はあくまで「子どもに対する性的暴力は社会に対する犯罪」ということを強調して、社会の意識を高めることだったらしい。

ボイラーの音を聞くたびに恐怖に囚われる

12日、フランス・アンテールラジオ局のインタビューに答えて、同委員会長のエドワール・デュラン判事は次のように語った。「子ども時代に性的暴力を受けた人々は、事件を思い起こさせるちょっとした物音、匂い、色にまで過敏に反応し、そのたびごとに、トラウマの中に引き摺り込まれる恐怖を感じながら毎日を生きている。彼らは、事件から何年経っても、自分を支配するおぞましい記憶から自由になるために、日々、戦い続けなければならない」。そして、加害者の匂いを思い出させる香水をつけている上司と顔を合わせることができず部署異動を願いざるをえなかった人、父親にボイラー室の中でレイプされたためにボイラーの音が聞こえる毎にパニック障がいの症状が起こる人、父親が夜な夜なベッドの中に滑り込んでくるのが怖くて何十年も不眠症に悩まされているといった人々の証言を挙げて、子どもの時に受けた性的暴力のトラウマは長く、時には一生続くことについて説明した。

「1年につき約97億ユーロ相当の経済的・社会的コスト」の内訳は?

ところで「1年につき約97億ユーロ相当の経済的・社会的コスト」の内訳について説明したい。そのうち裁判費用や警察官の出動、入院といった事件直後にかかる費用は約30%のみで、残りの約70%は長期間にわたって社会全体にかかるコストである。

その中で一番大きな額となる費用は、被害者のリスクテイキング行動(注)が社会に与える損失で約26億ユーロ(27%)、2番目は精神的トラウマの長期的治療費で約21億ユーロ(21%)。その他、適切な治療法をアドバイスしてくれる医療関係者に巡り合うことができずに医師を転々とすることから積み重なる治療費(11%)、生産性低下(8.7%)、そして自殺(0.8%)も社会にかかるコストとして計算されている。

(注)リスクテイキング行動:危険と知りながらリスクを負った行動をしてしまうこと

被害者のカウンセリングには100%保険適用されるべき

「被害者には、子どもの時に受けた性的暴力の記憶に一生が支配されてしまうケースが多い。そのため、事件後は心理療法士によるカウンセリングを年に最低でも22回から30回受けることが必要、そしてそれには健康保険が100%適用されるべきです」とデュラン判事は言うが、今のところ、フランスにおいて性的暴力の被害者に適応する医療研究はまだ始まったばかりという段階で、医師、サイコセラピストなどの研修はまだまだ不十分なようだ。

フランスでは、子どもの時に性的暴力を受けたとされる成人の数は約600万人から700万人(2019年、国民健康局発表)と推定されており、今でも年に約16万人の子どもたちが被害にあっている。そのため、同判事は、同委員会による被害者の証言を聞き取る活動を、今後も長く続けていくことができるように政府に要請したいと発表した。「子どもに対する性暴力が止まない理由の一つは、社会が加害者に、『子どもが相手であるならば何をしても白日の下に晒されることはないだろう』、『刑罰に値するはずがない』と思わせてしまっているからです。加害者に『子どもも同意していた』、『そんなつもりではなかった』と言わせない、周りの人たちにも『知らなかった』と言わせない社会になれば、子どもに対する性暴力が減るでしょう」と言う。

ところで国民への予防キャンペーンにかかる費用はわずか1千万ユーロと計算されていることも付け加えておきたい。

パリ在住ライター

慶応大学文学部卒業後、渡仏。在仏30年。共同通信デジタルEYE、駐日欧州連合代表部公式マガジンEUMAGなどに寄稿。単著に「フランス人の性 なぜ#MeTooへの反対が起きたのか」(光文社新書)、共著に「コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿」(光文社新書)、「夫婦別姓 家族と多様性の各国事情」(ちくま新書)など。仕事依頼はnatsuki.prado@gmail.comへお願いします。

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