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カネはもらったからサヨウナラだったのか?旧統一教会と仏極右政党旧FN党の短かった蜜月

プラド夏樹パリ在住ライター
仏極右政党RN党(旧FN党)の創設者ジャン=マリー・ル ・ペン氏とその娘マリーン(写真:ロイター/アフロ)

「旧統一教会側は旧FN党に巨額資金を提供」と語る元教会幹部

世界平和統一家庭連合(以下、旧統一教会)と日本の自民党、そして米国の共和党との密な関係が、連日、メディア上で取り上げられている。ところで旧統一教会は、欧州でも政治の場への浸透を試みていた。フランスの極右政党である旧国民戦線F N党(現在、国民連合R N党)に資金や世界的レベルでの人脈を提供するなどの選挙支援してきたことが、2012年に報道されている。

ここでは、左派月刊雑誌Les inrockuptiblesが元国会議員だったピエール・セイラック氏(F N党所属)らにインタビューした記事を紹介したい。同氏は、企業最高経営者団体であるC N P E(現在のフランス企業運動Medef。日本の経団連にあたる)の元会長の甥。フランスの大企業トップと近い人物であると同時に、1972年から旧統一教会に入会(1997年に脱会)し、その後、F N党所属で(1994年に離党)国会議員になった。

同氏は、当時、同教会内のCausa という反共教育機関、「ソ連によって広められた共産主義的イデオロギーを告発するために欧州中で講演会を催すことを目的とした機関」の欧州部門のトップに立っていたという。

二人とも共産戦線と戦ったという過去を共有していたことから親密に

旧統一教会と旧国民戦線FN党主ジャン=マリー・ル ・ペン氏との関係について、同氏は次のように語る。

「ル ・ペン氏と教会幹部の朴普煕氏はフランスで出会い、意気投合した。朴普煕氏は韓国で、ル ・ペン氏はインドシナ戦争で、二人とも共産戦線と戦ったという過去を共有していたことから親密になった」と。

(注)インドシナ戦争:1946年〜1954年。第二次世界大戦後、新たに建国したベトナム民主共和国と植民地奪回を図った元宗主国フランスの間で起きた独立戦争

そして、旧統一教会信者だった自分がFN党所属で国会議員に当選した経緯については、「旧統一教会からFN党に入党するように指示されたからです。私自身はル ・ペン氏の政治信条に賛成していたわけではまったくありませんでしたが、教会の指示通りに1986年の議会総選挙に出馬し、当選し、国会議員になりました。その報酬として、旧統一教会側はFN党に巨大な資金を提供、また、世界的レベルでの人脈を供給したのです。そして、最終的にはル ・ペン氏をフランスの大統領にという目論見で、F N党と旧統一教会はつながったのです。」

レーガン大統領と握手する写真を撮影

同記事内で、仏極右政党の専門家ニコラ・ルブール氏は、「旧統一教会がル ・ペン氏に送った巨額資金は1986年までに3.5から4.5百万ユーロの(4億8650万円から6億2550万円)相当」と分析しているが、ル ・ペン氏は同教会信者ボランティアによる選挙支援を受けたことは認めても、資金を受けたことは否定する。「教会の資金は受け取っていませんが、選挙運動のためのボランティアを手配してくれました。1986年、欧州中から信者30人がマルセイユに到着し、町中にFN党のポスターを張り巡らしてくれました。徹頭徹尾献身的な人々で、ホテルに部屋がなければ、地べたに直に寝るような生活をしてでも選挙活動に専心してくれました」と。

まだ泡沫政党に過ぎなかった旧FN党の党主ル ・ペン氏を国際的レベルの政治家にと後押しするために、旧統一教会は、重要人物との会見をもオーガナイズした。まず、1986年にフィリピンで独裁者マルコス政権が倒れた翌日、コリー・アキノ氏と会見させた。さらに、1987年2月には、米国共和党の主導者たちをワシントンのヒルトンホテルでのディナーに招待、教会幹部である朴普煕氏がル ・ペン氏を当時の大統領レーガン氏に引き合わせ、二人が握手する様子を写真に収めた。あたかもル ・ペン氏がホワイトハウスに招かれたかのようなこの写真は、仏メディアでトップを飾り、プライムタイムで報道された。しかし、当のレーガン氏も、その場に居合わせた人々は誰もル ・ペン氏に覚えがなく、写真発表後、米国では調査が行われたという。実際には、どさくさに紛れて握手をしたというだけだったのだろう。

カネや票数より歴史修正主義を選ぶ

しかし、数ヶ月後、ル ・ペン氏は得意の問題発言をする。

RTLラジオ局の番組で「ナチスがユダヤ人らの大量殺人のためにガス室を使用したというのは、第二次世界大戦の細部に過ぎない」と言ったのである。カルト宗教ではあっても反ユダヤ主義ではない旧統一教会は慌て、同氏に公的な謝罪を求めるが、同氏は断固拒否。二者の関係は断絶した。

ル ・ペン氏はカネや票数よりも、自分の歴史修正主義を選んだのか?あるいは、数年後にベルリンの壁が崩壊し、冷戦終結することを予感していたのか?実際には「カネはもらったからさようなら」だったのかもしれない。ちなみに、翌年、同氏はこの発言ゆえに罰金刑を受けている。

1988年の大統領選挙でル ・ペン氏は第一回投票で14.38%を獲得して4位に到達した。1974年の大統領選挙に初出馬した際にはわずか0.75%を得たのみだったこと、また、現在、娘のマリーン・ル ・ペン氏が率いるR N党がフランスの第二党になるまで成長したことを考えると、旧統一教会の働きは、やはり大きかったと言えるだろう。

路上での勧誘はなくなったが、まだ大きな資金力を持っているので要注意

ちなみにフランスでは1950年代から元国教だったカトリック教会離れが始まり、1970年代、つまり学生運動時代で既成価値が崩壊した後に新しい生き方を模索する若者たちがセクト(カルト宗教)に入信し、音信を断つなど社会問題が多く起きていた。ハーレークリシュナ、サイエントロジーが有名だが、その後、1985年に国会に提出された「セクトに関する調査書」の中で、旧統一教会は「セクト」と、明確に判定されている。

2001年に反セクト法が成立し、「人権や基本的自由の侵害をもたらすカルト的運動」を規制されるようになったが、政府機関である「セクト的逸脱行為に関する省庁間防止対策部門(MIVILUDES)」の報告を報道するパリジャン紙によれば、2012年、200人から300人の信者がおり、「路上での勧誘はなくなったが、まだ大きな資金力を持っているので要注意」とされていた。

パリ在住ライター

慶応大学文学部卒業後、渡仏。在仏30年。共同通信デジタルEYE、駐日欧州連合代表部公式マガジンEUMAGなどに寄稿。単著に「フランス人の性 なぜ#MeTooへの反対が起きたのか」(光文社新書)、共著に「コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿」(光文社新書)、「夫婦別姓 家族と多様性の各国事情」(ちくま新書)など。仕事依頼はnatsuki.prado@gmail.comへお願いします。

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