Yahoo!ニュース

カトリック教会での子どもに対する性虐待スキャンダル 告発しなかった大司教に有罪判決

プラド夏樹パリ在住ライター
2月、バチカンで子どもに対する性虐待をテーマに特別会議が開かれた(提供:Vatican Media/-ロイター/アフロ)

リヨン大司教に禁固刑6ヶ月執行猶予付きという判決

世界中で、カトリック教会神父による子どもに対する性虐待スキャンダルが相次いでいる。ドイツでは1940年から2014年にかけて3600件、オーストラリアでは1980年から2015年にかけて4444件、アメリカのペンシルヴァニア州では1940年から1000件、日本でも文芸春秋(2019年3月号)で児童養護施設東京サレジオ学園での事件が告発された。

フランスでは、リヨン市大司教であるバルバラン枢機卿が、同司教区内でボーイスカウトの子どもたち(15歳未満)に性虐待を加えてきた神父がいることを知りながら、司法当局に告発しなかった罪で訴えられていた。3月7日、禁固刑6ヶ月執行猶予付きという判決が下された。リヨン市大司教という座は、11世紀から欧州のカトリック教会で最高位に当たっていたため、教会への衝撃は大きい。

被害者数約70人

同枢機卿は、自分の管轄下にある司教区内でボーイスカウト付き司祭であるプレイナ神父が子どもたちに性虐待を加えているということについて、2010年、保護者から苦情を受けていた。そして、2011年に同神父と面会した折に事実について質問をしたが、「1991年以降は、虐待していない」という返事を受けたため、教皇庁に報告書を提出するにとどめ、司法当局に告発しなかった。そして同神父は、いくつかの教会で公共要理を教え続けていた。https://www.lemonde.fr/police-justice/article/2019/01/06/proces-de-philippe-barbarin-l-eglise-face-a-ses-pretres-pedophiles_5405703_1653578.html

こうした状況が浮上した発端となったのは、ボーイスカウト時代(9歳から11歳)にプレイナ神父の性虐待を受けていたアレクサンドル・エゼス氏(当時40歳)。2014年、同神父が、今もなお、子どもたちに接触する場で仕事をしていることを発見し、大司教宛てのメールで、自分がプレイナ神父の虐待を受けたことを明かす。

司教区のカウンセラーの仲介でエゼス氏はプレイナ神父と面会。神父は過去の過ちについて認め、何度も自分の上司に自分の小児性愛について相談したとも語った。

しかし、エゼス氏は、神父が2015年になってもまだ職務を続けていることを発見し、今度は司法当局に訴えた。そして同様な虐待を受けた他の男性たちと被害者団体を立ち上げ、裁判に踏み切った。この団体によると被害者数は約70人に上るという。

https://www.lemonde.fr/police-justice/article/2019/01/06/proces-de-philippe-barbarin-l-eglise-face-a-ses-pretres-pedophiles_5405703_1653578.html

2000年から変化した子どもへの意識

しかし、カトリック教会での子どもに対する性虐待は今にはじまったことではない。「どうせそんなことだろうと思っていた」というのがほとんどのフランス人の反応である。

我が夫は1950年代中頃にカトリック教会付きの中学校に通っていたが、こうした淀んだ雰囲気について父親にポツリと漏らしたところ、爆笑され、「じゃ、来年から公立に転校するか?」と言われたという。かつては、「みんな知っているけれども、笑って済ませること」でしかなかったのだ。

その後、70年代、80年代前半は、個人意識が急速に高まった時代である。フェミニズム運動の影響もあり、「私の身体は私のもの」と考えられるようになった。しかし、その反面、ヒッピー運動後のユルさもあり、思春期の子どもとの性的関係を称賛するような発言が、テレビ番組(書籍を紹介する番組アンテンヌ2局アポストロフ、1975年9月)内でなされても何の抗議も起きず、薄物をまとった少女たちを撮影したダヴィッド・ハミルトンの写真が流行した時代でもあった。(2016年パリの自宅で自殺。数人の女性からモデルだった時に虐待されたと訴えられていた)。https://www.lemonde.fr/societe/video/2019/02/19/pedophilie-dans-l-eglise-comprendre-l-ampleur-de-la-crise_5425411_3224.html

1990年、国連で子どもたちの基本的人権を国際的に保障する「子どもの権利条約」が発効されると、子どもに対する意識は急速に変化した。それ以来、少なくともフランスでは、子どもの立場は「絶対に尊重すべきもの」になった。

こうした社会の発展に反して、カトリック教会で「法に触れる問題は司法当局と協力して解決するべし」というブノワ16世による教皇令が出たのはなんと2011年だった……。それまでは「何事も内輪で解決」という隠蔽主義だった。また、性の自由化が進む時代に、相変わらず教義の中で性がタブー視されていたことも、時代に乗り遅れてしまった理由の一つだろう。

信者をがっかりさせた教皇のメッセージ

神父による子どもに対する性虐待を避けるために、神父の妻帯禁止制を廃止すべきという考えもある。しかし、結婚していても実の子どもに性虐待を加える父親はいることから、問題は妻帯いかんではないように思える。また、被害者は圧倒的に男児が多いのだ。

それよりも、硬直した上下関係が根付いた多くの集団の例に漏れず、末端の人間には、自分が感じていることをはっきり言葉にして表現する明確な権利がないことが問題なのだと思う。神の言葉を伝える立場にある神父は絶対であり、信者は、とくに子どもはなかなかNoと言えない空気がそこにはある。

教皇庁では、今年2月21日から24日にかけて子どもに対する性虐待対策をテーマに、各国司教を集めた会議を開催した。しかし、その閉会式で、教皇フランシスコは「子どもに対する性虐待の裏には悪魔がいる」と発言し、これまた多くの信者を失望させてしまった。悪魔だの天使だのを持ち出さずに、現代に即した言葉で話してもらいたかったと思うのだ。今ここで、現代社会と足並みを揃えることができなければ、9世紀あまりに渡って西欧社会で大きな役割を果たしてきたカトリック教会と言えども、大量の信者離れは免れ得ないだろう。

パリ在住ライター

慶応大学文学部卒業後、渡仏。在仏30年。共同通信デジタルEYE、駐日欧州連合代表部公式マガジンEUMAGなどに寄稿。単著に「フランス人の性 なぜ#MeTooへの反対が起きたのか」(光文社新書)、共著に「コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿」(光文社新書)、「夫婦別姓 家族と多様性の各国事情」(ちくま新書)など。仕事依頼はnatsuki.prado@gmail.comへお願いします。

プラド夏樹の最近の記事