毒親防止キャンペーン

フランスにもいる毒親(写真:アフロ)

「親子といえども、別の人格をもった他者」という意識

外国に住む私が、「毒親」という日本語を聞くようになったのは4、5年前からだろうか?

初めて、この言葉を聞いたとき、「日本も、ホンネで話せる良い時代になったな」と思った。

私が渡仏したのは約30年前、まさに毒親から逃れるためだったからだ。

小学校から中学校にかけての頃、どれだけ家庭での生活が地獄であるかをわかってもらおうと、学校の先生、教会の牧師、カウンセラー、多くのおとなに相談した。しかし、皆、口裏を合わせたかのように、「お母さんは一生懸命なのよ、あなたのことを思ってなのよ」と言い、私はその度ごとにさらに救いのない気持ちになった。当時はまだ、親は「一生懸命なら何をしても許される」時代だった。

大学に入ってからは、「日本国内にいればどこまででも付け回される。外国に逃亡するしかない」と見切りをつけ、フランス語を勉強した。

フランスに来てみれば、家庭に問題があるのは普通のこと。日本のテレビドラマにあるような、「これこそ幸せ」と言わんばかりの家庭モデルはとっくの昔に崩壊していた。シングル家庭、複合家庭と、家族のあり方が多様なこともあるだろうが、皆、アッケラカンと家庭の問題を口にする。日本で使われる「誠にお恥ずかしい話」という枕詞をつけなくても、家庭の問題を話すことができることに、救われた気持ちになった。

親とは音信不通という人も、堂々としている。Rはこの夏、絶交していた母親が脳梗塞で倒れたが、会いに行かなかった。

「だってもう終わってるから」

「お葬式も行かないの?」

「行かないよ。死人になったからってあの性格は変わらない」

彼女だけではない。親とうまく付き合っている人でも、親との関係性がどこか冷めている。うまく説明できないが、個人間の境界線がハッキリしているのだ。「親子といえども、別の人格をもった他者」という意識は、フランスの社会ではかなり浸透しているように思っていた。

「親の言葉の暴力」に対するキャンペーン

ところが、ここにもやはり毒親はいるようだ。

フランスの「教育の場での暴力監視局」は、「暴力なしの子ども時代を」協会と共同で、初めて、「親の言葉の暴力」に対するキャンペーンを始めた。目的は、身体的暴力だけではなく、言葉の暴力も子どもたちの人格形成に多大な影響を与えるということを、国民に意識してもらおうというものだ。その一環として、9月末からインターネットや映画館で、短編ビデオ、『傷つける言葉』が放映されている。11月20日の「国際子どもの権利の日」まで続く予定だ。

約1分の短い作品だが、おとな5人、若者から老人までが、幼少のときに親から何気なく言われた言葉に、どれだけ一生を通じてダメージを受けたかを語る。シナリオは、800人の成人のインタビューをもとにして練られた。

「どうせ、おまえにはできっこないから」

「どうして、こんな子どもができたのかしら!」

「こうなるとわかっていたら、産むんじゃなかった」

「どっちにしたって、あんたはいつもおにいちゃんよりグズだった」

「足太いんだからそんなスカート似合わないわよ」

最後のテロップは「子どもの時に親から何気なく言われた言葉が、その人を一生傷つけることがある。子どもにダメージを与えることを言うのをやめよう。暴力のない教育を」。

このキャンペーンに関わった内科医のジル・ラジミ氏は言う。「いかに、親に言葉で傷つけられた思い出が、おとなになっても人々の心を蝕んでいることか、ときには、病気となってあらわれるかを、私は診察室で毎日、目の当たりにしています」。

「お尻叩き」を法的に禁止しているのは世界で53カ国

ところで体罰に関してはどうだろう?

フランスでは、学校での体罰は法的に禁止されているが、家庭での「お尻叩き」は未だに法的に禁止していない欧州では数少ない国の一つで、2015年、欧州評議会から警告を受けている。親には「子どもを正す権利」があると考えられており、85%の親が子どものお尻を叩いた経験があり、70%の親は「お尻叩き禁止」の法制化に反対しているという。

私には「お尻叩き」にしろ、「言葉の暴力」にしろ、法制化がすべてを解決するとは思えない。それ以前に必要なのは、親の側が「さっき、ごめんね」と、子どもに言ってみること、あるいは、「どうして私はカっとすると意地悪なことを言ってしまうのか」をテーマに、自己分析をしてみることではないだろうか。

わずか一分の短編フィルムだが、『傷つける言葉』も、親子関係を新しい視線で捉えなおす出発点になるといい。