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学術会議の時間論――行程表ではなく人類史を考える

尾関章科学ジャーナリスト
東京・六本木にある日本学術会議(写真:西村尚己/アフロ)

日本学術会議の「改革」問題は、政府が日本学術会議法改正案の今国会提出を断念したことで、いったん水入り状態になった。この機会に、政府と学術会議との対立点を整理しておこう。

政府は「時間軸共有を」

政府が学術会議に何を求めているかを要約した文書としては、内閣府が昨年12月6日付で発表した「日本学術会議の在り方についての方針」がある。そこでは「政策立案に科学的な知見を取り入れていく必要性」が高まっているとして、「知見」を提供してほしいとの意向が表明されている。例に挙がるのは「地球規模の課題」と「新興技術と社会との関係に関する課題」。昨今の話題でいえば、前者は地球温暖化を抑える脱炭素の社会設計を、後者は生成AI(人工知能)との向きあい方を、それぞれ思い浮かべればよいだろう。

では、政府は学術会議にどんな助言機関になってもらいたいのか。内閣府の「方針」を引用すれば、こうなる。「政府等と問題意識や時間軸等を共有しつつ、中長期的・俯瞰的分野横断的な課題に関する時宜を得た質の高い科学的助言を行う機能」を強めてほしいと言っているのだ。もって回った表現なのでかみ砕いていえば、〈多分野にまたがる中長期的な課題に対してタイミングを失せず、良質な助言をいただきたい。このとき心がけてほしいのは、政府などと「問題意識や時間軸」などを共有することです〉ということだろう。

押さえておくべきは、ここで「中長期的」という言葉がかかるのは「課題」であることだ。「中長期的」な視点で「助言」してほしいとは求めていない。むしろ、「助言」に望まれるのは、政府との「時間軸」の「共有」だという。これはいったい、何を意味するのか?

現政権で学術会議改革を担当する後藤茂之・内閣府特命担当相は今年1月13日の記者会見で、こう説明している(内閣府公式サイト)。学術会議が「国の一機関であり」「科学的助言を公務として行う」のであれば、「受け手」の「問題意識」や「時間軸」、「現実に存在する様々な制約」などを「十分踏まえながら」審議してもらう局面がある――。ここで「受け手」とあるのは、助言を受けとる政府にほかならない。

見てとれるのは、学術会議に実際的な専門知を求める姿勢だ。学術会議はプラグマティックになるべきだ、時間的なことを言えば助言は行政官庁の政策決定に間に合うものでなければならない、という考え方である。政府が、こういう諮問機関をほしがる気持ちは私にもわかる。ただ、それはそれで別に用意すればよいことだ。現実に政府には、こうした機能を具えた審議機関がいくつもあるし、突発の緊急事態が起これば臨時のタスクフォースを組織すればよい。学術会議にそれを望むのはおかど違いではないか。

学術固有の「時間軸」

「時間軸」の「共有」には、学術会議自体にも反発があるようだ。学術会議は今年4月の総会で、現政権に対して「拙速な法改正」をやめるよう求め、「『説明』ではなく『対話』を」と呼びかける声明を採択したが、このなかで「学術は学術固有の時間軸のもとで編み出された論理と判断によって正当とされる見解を生み出します」と強調している。政府と学術会議は必ずしも時間軸を共有しない、と突っぱねているのである。

そこで本稿では「政」と「学」の時間軸について考えてみることにしよう。

「時間軸」という言葉を辞書で調べると、それは時の流れを直線状にとらえたものを意味するが、広義には物事の時間範囲を指すこともあるという。今回、内閣府は後者の意味で「時間軸」と言っているようだ。その「共有」を求めるということは、問題を議論するときに視野に入れる時間範囲を政府のそれに揃えてほしいということだろう。

政府の時間軸は「行程表」

ここでは例題として、政府が原発問題について学術会議から助言を受ける場合のことを考えてみる。前述のように内閣府の「方針」で、学術会議に「科学的な知見」を求めるテーマとして「地球規模の課題」が挙がっていたからだ。

現政権は今年2月、原発の新規建設を認め、運転期間の延長にも道を開いた。この政策転換は、今後のエネルギー政策を方向づける「GX実現に向けた基本方針」(以下、GX基本方針)の柱の一つとして示された。GXは「グリーン・トランスフォーメーション」の略。地球温暖化を抑えるために化石燃料に頼らない脱炭素社会をめざすことをいう。GX基本方針は数十年先、いや100年単位の未来まで私たちの生活や産業を輪郭づけるものだが、それにもかかわらず、長い目で物事を考えた末の結論のようには見えない。

GX基本方針には差し迫った数値目標が出てくる。

・2030年度 温室効果ガス排出46%削減

・2050年  「カーボンニュートラル」(温室効果ガス排出実質ゼロ)

政府の眼前にはまず、「国際公約」ともいわれる目標がある。目標を達成できなければ、国際社会の大反発を買うだろう。しかも現在は、ロシアのウクライナ侵攻でエネルギー供給の見通しが立たない。こうした事情があって急遽まとめあげられたのがGX基本方針だ。そこに原発回帰政策がすっぽり組み込まれた。

つまり、GX基本方針の論理は、時間軸(=時間範囲)が長いように見えてそうではない。起点として今年のエネルギー事情があり、次いで7年後に脱化石燃料の中間目標があり、約30年後には最終目標が控えている。原子力回帰の方針も、こうした状況に直面して、かつて頼っていた原子力に舞い戻り、それを安定エネルギー源に取り込んだということだ。その意味で、GX基本方針の副題に「今後10年を見据えたロードマップ」とあるのは正直で、これは短期、中期の行程表にほかならない。

人類史的な時間軸も必要

ここでふと、思うことがある。私たちは、行程表に先だって議論すべきことを忘れていないか。脱炭素の時代に原子力技術をどう位置づけるか、という問題である。たとえば、人間が原子核という20世紀まで未知だった領域に踏み込んでエネルギーを取りだす企てそのものが倫理的に再検討されなければならない。なぜなら、人類はその企てを実現させてから、過酷な原発事故を数回も経験しているからだ。しかも、その企ては放射線被曝のリスクと密接不可分であり、リスクが現実のものとなれば人々の遺伝子を直撃する。そういうリスクを大都市が原発立地地域に押しつけて膨大なエネルギーを調達するという社会構図も論点となるだろう――。

この問題は、理系では物理学、医学、生物学などにかかわっている。文系では、哲学や倫理学、社会学、経済学、政治学、法律学などに関係する。学際的なテーマだ。人文・社会科学系の第1部、生命科学系の第2部、理学・工学系の第3部から成る学術会議の出番といえるだろう。

ここで強調すべきは、この議論の時間軸(=時間範囲)が行程表づくりのそれとは異なることだ。内外の目標達成のために当面どうするかはひとまず棚上げし、人類史的な視点に立って思考を深めなければならない。これこそが学術会議の声明が言う「学術固有の時間軸」ではないか。

方向性、見誤らないために

原子力利用の例題からわかるのは、政府が「地球規模の課題」に取り組もうというなら、まず人類史的な視点で大きな方向性を定め、それから短期、中期の行程表を詰めていくのが筋、ということだ。このとき、学術会議はどんな貢献ができるのか。文系を含む全領域の研究者を擁する学術会議に求めるべきは、行程表づくりの手助けではなく、政策の方向性を見誤らないための助言だろう。

時間軸は、政府と学術会議で異なっていて当然なのだ。時間軸が違うから、学術会議は政府に足りない機能を補ってくれる。それだけでも政府が公費で支える意味はあるように思われるのだが。

科学ジャーナリスト

科学ジャーナリスト。1951年東京生まれ。1977年朝日新聞入社、83年科学記者となり、ヨーロッパ総局員、科学医療部長、論説副主幹、編集委員などを務め、2013年に退職。16年3月まで2年間、北海道大学客員教授(電子科学研究所)。関心領域は宇宙、量子、素粒子などの基礎科学と科学思想、生命倫理、科学メディア論。著書に『科学をいまどう語るか――啓蒙から批評へ』(岩波現代全書)、『量子論の宿題は解けるか』(講談社ブルーバックス)、共著に『量子の新時代』(朝日新書)。1週1回のブログ「めぐりあう書物たち」を継続中。

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