里親たちは「生い立ちの授業」や「二分の一成人式」になぜ悩む? 当事者が語る体験談

いろんな形の家族や、生活形態があります(写真:アフロ)

 世の中には「お父さん、お母さん、血縁の子ども」という、いわゆる“ふつうの家族”ばかりではなく、いろんな形の家族や、生活形態があります。

 筆者はこれを“定形外かぞく”(家族に限らないのですが)と呼んでいるのですが、定形外かぞくではよく「生い立ちの授業」や「二分の一成人式」(以下“生い立ちを扱う授業”と総称)に関する悩みや嘆きを耳にします。

 「生い立ちの授業」は、主に小学校低学年で行われる、生活科の授業です。子どもの写真でアルバムを作る、親から名前の由来を聞いてくるといった内容が多く、クラス内での発表や、保護者による参観が行われることもあります。

 「二分の一成人式」は、子どもが10歳になる小学校4年のときに行われる授業で、メディアで感動的に紹介されることがあります。学習指導要領にある課題ではないのですが、実施する学校が近年少なくありません。

 内容は学校や学年により異なり、保護者たちの前で子どもの幼少期の写真をスクリーンに映す、子どもが親への感謝の手紙を読む、などといったものがよく聞かれます。ただし最近は「将来の夢を語る」など、生育環境にふれない内容も増えているようです。

 こういった“生い立ちを扱う授業”は、とくに里親・養親家庭や児童養護施設など社会的養護のケースや、ステップファミリー(子連れ再婚家庭)で、よく話題になります。

 親子の間に血縁関係がない、あるいは保護者が途中で交代している場合、学校から求められる提出物や課題が、子どもや保護者を悩ませるケースが少なくないからです。

 2015年暮れに立ち上げられた“埼玉里母の会”は、このような状況を変えていこうと、“生い立ちを扱う授業”に関する調査を行いました。

 里親たちは、“生い立ちを扱う授業”のどんなところに困り、どのように対応しているのでしょうか? 学校や周囲はどんなことに気を付ければいいのか?

 2017年7月1日に行われた「第63回関東甲信越静里親研究協議会さいたま市大会」の分科会における、埼玉里母の会による発表内容をもとに、お伝えします。

 

*里母たちの体験談

 分科会では、数名の里母たちが、生い立ちを扱う授業の体験談を語ってくれました。

 共通して感じたのは「つかなくてもいい嘘をつかざるを得ない痛み」や「子どもが思い出さなくてもいいことを思い出さざるを得ない痛み」です。以下に3例を紹介します。(個人が特定されないよう、細部をぼかしてあります)

<里母・Aさんの場合>

 Aさんは、娘のOちゃんが小学校に入ってまもなく、生い立ちの授業を参観しました。

 先生は、母親のおなかに赤ちゃんがいる絵を見せながら「おなかに赤ちゃんがいると知って、お母さんはどんな気持ちになったろうね?」などと子どもたちに語りかけます。自分が里子であることを知るOちゃんは、下を向いたままじっとしていました。

 先生は、参観する母親たちにも問いかけました。「お子さんがおなかに宿ったとき、どんな気持ちでしたか?」。みんなが順番に答えるなか、Aさんが考え付いた答えは「元気に生まれてくれてありがとう」。口にするのが、精一杯でした。

 なお、Aさんは子どもが入学してすぐ、校長と担任の先生に里親家庭であることを伝え、授業で生い立ちを扱うときは知らせてほしいと頼んでいました。しかし事前の知らせはありませんでした。Aさんはこの日のことを思い出すと、いまでも辛くなるといいます。

<里母・Bさん>

 Bさんは小学校低学年の子どもを家に迎えてまもなく、生い立ちの授業のため、出生時の写真の持参を求められました。施設で撮った写真はなかなかちょうどいいものがなく、選ぶのに悩んだそうです。授業ではその写真が、全員の前で大きく写しだされました。

 また後から、子どもたちが「産んでくれたことをお母さんに感謝する手紙」を書かされていたことも知りました。子どもがどんな気持ちでそれを書いたかと思うとせつなくなる、とBさんは言います。

 Bさんもやはり、担任の先生には事前に家庭環境を伝え、生い立ちを扱う授業のことも繰り返し相談していました。「事情はわかっているので、大丈夫ですよ」と言われたそうですが、何をもって「大丈夫」と考えたのでしょうか。

<里母・Cさん>

 Cさんは、子どもが小学4年生のときに、二分の一成人式を経験しました。Cさんも事前に、教育委員会や校長先生に、家庭の事情や要望をよく伝えていたそうです。

 

 しかし、講師の先生は子どもたちに「みんな、教室の後ろにいるお母さんたちから生まれたのよ。目を閉じて、生まれたときのことを思い出してください。大変な思いをして産んでくれたんだから、あなたたちを愛していないはずがありませんよ。お母さんに感謝しましょう」と言い、子どもたちに「ありがとう」を何度も復唱させました。

 帰ってから子どもに話を聞くと「誰から生まれた、とか考えると悲しくなるから、関係ないって思うようにした。ママから生まれたことにしよう、と思った」と話したそうです。

 埼玉里母の会が行った調査でも、多くの体験談が寄せられました(全137件)。

 生い立ちを扱う授業の最中、子どもの頃にかわいがられた歌詞のうたをみんなで歌っているときに泣き出してしまった子の話。

 子どもが生まれたときの話を母親が書いて提出することを求められ、思い出を捏造して書いた話。「名前の由来」について聞かれ、想像で書かざるを得なかった話

 なかには「やってよかった」と評価する声もありました。おそらく保護者全体としては、そういう声のほうがずっと多く、「辛い思いをした」という声はごく少数なのでしょう。

 しかし少数だからいい、といえることではないでしょう。

*逆のメッセージを受け取る子どもも

 出産と親の愛を結びつけて伝えることは、いわゆる「ふつうの親子」においては、子どもにポジティブな影響を与えるのかもしれません。しかし、産みの親と養育する親が異なる子どもには、逆のメッセージを伝えかねないのではないでしょうか。

 また虐待を受けている、あるいは受けた過去がある子どもたちにとって、親への感謝の強要は、受け入れがたいものでしょう。

 なお、生い立ちの授業は、学習指導要領に書かれてはいるものの、必須の授業というわけではなく、また必ずしも上記のような内容が求められているわけではないといいます。

 文京学院大学人間福祉学科教授・森和子氏は、このように指摘します。

 「生い立ちの授業は、学習指導要領の目標に到達するために考案されたひとつの授業の方法で、現在多くの学校で行われるようになっているものです。

 学習指導要領の解説のなかには、“それぞれの家庭の事情、特に生育暦や家族構成などに十分配慮することが必要である”と書かれているのですが、それにもかかわらず、血縁によらない親子や虐待を受けた子ども等に対して配慮のない授業内容になってしまっていることがあります。

 授業の目的を見直し、多様な家族への気付きの場となるよう、教員への研修等を行う必要があるでしょう」

 そして、“埼玉里母の会”からは、「子どもたちの権利を守る社会の一員として、このような状況の改善をはかっていけるよう、教育委員会や学校の先生たちに、これからも主体的に働きかけていきましょう」という、前向きなメッセージが打ち出されました。

*“想定されていない”ことが悲しい

 なお冒頭にも書いた通り、生い立ちを扱う授業に悩むのは、社会的養護のケースだけではありません。再婚家庭の子どもが泣いてしまった話も聞きますし、ひとり親や同性カップルで子育てをしている親からも、悩みや、苦い思い出を聞くことがあります。

 筆者もひとり親で、いわゆる「ふつうの家族」ではないのですが、学校ではよく、自分たちのようなイレギュラーな家族が「想定されていない」という居心地の悪さを感じることがあります。

 個人情報やプライバシーももちろん大事ですが、それ以前の問題として、「自分たちのような存在が“ない”ように扱われている」という点が、一番もやっとするし、悲しいような気がします。

 学校や保護者が、「いろんな家庭・生活環境がある」ということを肯定的に理解し、前提としたうえで、“生い立ちを扱う授業”の内容を考え、実施できれば、もっと前向きなものになるのではないかな、と思います。