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名古屋城の天守閣が5月6日で閉館。登るのは今がラストチャンス!

大竹敏之名古屋ネタライター
名古屋のシンボル・金鯱を戴く天守閣。上まで登りお殿様気分を味わえるのは残りわずか

名古屋城の天守閣が、木造復元に向けて5月7日より入場禁止となります。計画では2022年12月に木造天守閣が竣工するまで4年半の間、天守閣に登ることができず、うち数年間は金鯱を戴くその雄姿を仰ぎ見ることもできなくなります。

現在のコンクリート造りの天守閣(ここでは親しみを込めて「昭和天守閣」と呼ぶことにします)は、太平洋戦争の空襲で1945(昭和20)年に焼失したオリジナルに替わって、59(昭和34)年に再建されたもの。およそ60年の間、名古屋のシンボルとして親しまれてきました。しかし、中へ入って登ることができるのは残り1か月。5月6日までが「いつ登るの?」「今でしょ!」という最後のチャンスなのです。

家康が築いた日本最大級の巨大城郭

まずその概要をおさらいします。名古屋城を築城したのは徳川家康。関ケ原の戦いに勝利した後、さらに豊臣方ににらみをきかせるため、尾張の地に軍事要塞兼権威の象徴として巨大城郭を築くことにします。全国の諸大名を総動員する“天下普請”(てんかぶしん)により1612年に天守閣が完成。高さは36・2m、石垣を含めると55・6m。姫路城の31・5mをしのぎ、延べ床面積は史上最大の1383坪という城郭建築最大級のスケールを誇ります

戦前の焼失前の大小天守閣と本丸御殿のガラス乾板写真。名古屋城ほど往時の姿を正確に伝える史料が残っている城郭建築は他に例がなく、これら史料の存在が木造復元の裏付けとなっている。名古屋城総合事務所所蔵
戦前の焼失前の大小天守閣と本丸御殿のガラス乾板写真。名古屋城ほど往時の姿を正確に伝える史料が残っている城郭建築は他に例がなく、これら史料の存在が木造復元の裏付けとなっている。名古屋城総合事務所所蔵

てっぺんで輝くのは金の鯱。金鯱を冠した城は織田信長の安土城など他にもあったと伝えられますが、名古屋城以外は戦国~江戸初期には焼失し、近代にいたるまで守られたのは名古屋城のみ。そのため、“金鯱=名古屋”のシンボルとなりました。初代城主は家康の九男・義直で、以後尾張徳川家が代々城主を務めます。

1930(昭和5)年には城郭として初めて国宝に指定されます。しかし、残念ながら前述の通り、天守閣は戦災で焼失。現在の昭和天守閣は鉄筋コンクリート製で、姿形はオリジナルとほぼ同じです。

均整の取れた石垣は創建当初からのオリジナル

弧を描くラインが美しい天守台の石垣。加藤清正がわずか3か月で完成させた。北西角の大きな石には「加藤肥後守内 小代下総」の刻紋が見られる
弧を描くラインが美しい天守台の石垣。加藤清正がわずか3か月で完成させた。北西角の大きな石には「加藤肥後守内 小代下総」の刻紋が見られる

さて、あらためて昭和天守閣の見どころをご紹介していきましょう。

建物の土台となる石垣=天守台は戦国時代に建てられたオリジナルのまま。最大約20mもある石垣は滑らかに反りあがり、四隅はきりっと鋭角的。様々な大きさの石を積み上げて、この均整の取れたプロポーションを実現した当時の土木技術の高さにまず驚かされます。

城内は地下1階~7階までの8階。入口にあたる地下1階部分には原寸大の金鯱の模型があり、記念撮影スポットとなっています。

1階は1/400の名古屋城城郭模型にまず注目。現在の官庁街にいたるまでが城の敷地だった往時のスケールが一目で分かるジオラマです。

1階展示室の1/400名古屋城城郭模型。広大な敷地を整然と区割りした人工都市は、現在の名古屋の街づくりにも相通じる
1階展示室の1/400名古屋城城郭模型。広大な敷地を整然と区割りした人工都市は、現在の名古屋の街づくりにも相通じる

オリジナルの障壁画は必見!

何より必見が本丸御殿の障壁画の数々。1階の展示室や2階の特別陳列「名古屋城の名品」で展示されているこれら名画は江戸時代に描かれたオリジナル。6月に完成公開される本丸御殿には、これらを描かれた当時の鮮やかさでよみがえらせた復元模写が展示されるので(現在公開部分に既に展示されているものもあり)、およそ400年の時を経た本物の風合いを目に焼き付けておくと、本丸御殿を見学する楽しみが何倍にもアップします。

特別陳列「名古屋城の名品」で見られる「竹林豹虎図」は重要文化財。名古屋城築城当時に描かれたもので、ふすまではなく杉戸に描かれている。本丸御殿に展示されている色鮮やかな復元模写と見比べたい
特別陳列「名古屋城の名品」で見られる「竹林豹虎図」は重要文化財。名古屋城築城当時に描かれたもので、ふすまではなく杉戸に描かれている。本丸御殿に展示されている色鮮やかな復元模写と見比べたい
狩野探幽「雪中梅竹鳥図」も江戸初期作の重要文化財。洗練された“余白の美”が見事。写真中央、枝に止まった鳥が消されていて、近く公開される本丸御殿では消えた鳥を再現した復元模写が展示される
狩野探幽「雪中梅竹鳥図」も江戸初期作の重要文化財。洗練された“余白の美”が見事。写真中央、枝に止まった鳥が消されていて、近く公開される本丸御殿では消えた鳥を再現した復元模写が展示される

特別陳列「名古屋城の名品」では、他に変わり兜を中心とした武具・甲冑、家康や古田織部の肖像彫刻、初代藩主・義直の書など江戸時代の貴重な史料を惜しげもなく披露します。

鯱形の前立の兜をはじめ変わり兜の数々を中心に甲冑、陣羽織、火縄銃などの武具の数々が戦国の世へ誘う
鯱形の前立の兜をはじめ変わり兜の数々を中心に甲冑、陣羽織、火縄銃などの武具の数々が戦国の世へ誘う

また、明治時代に宮内省に献納され名古屋離宮となった当時のテーブルやイス、昭和に入り国宝になったのを機に記録された実測図やガラス乾板写真など(これらが残されているから今回の木造復元が可能だとされます)、名古屋城がたどってきた時代の変遷を実感できる構成となっています。

金鯱に乗って記念撮影。エンタメ要素もいっぱい

5階の石引き体験コーナー。人形たちの後ろから綱を引っ張って、石垣の石の重さを体感することができる
5階の石引き体験コーナー。人形たちの後ろから綱を引っ張って、石垣の石の重さを体感することができる
実物大金鯱模型にまたがっての記念撮影もお約束
実物大金鯱模型にまたがっての記念撮影もお約束

3~5階は常設展。城下の様子を再現した3階、甲冑などの武具を中心に展示する4階、石引き体験コーナーや金鯱にまたがって記念撮影できる5階と、エンタメ要素もある歴史ミュージアムとなっています。

最上階の7階は展望室と売店(6階は機械室で立ち入り不可)。名古屋の街並みをぐるりと見渡すことができます。

高さ約50mの天守展望室から名古屋の城下を見下ろす。左手に見えるのは名古屋駅の高層ビル群
高さ約50mの天守展望室から名古屋の城下を見下ろす。左手に見えるのは名古屋駅の高層ビル群
お土産売店の目玉、金箔陶製金鯱5万4千円(!)。一体どんな人が買っていくのやら…?
お土産売店の目玉、金箔陶製金鯱5万4千円(!)。一体どんな人が買っていくのやら…?

名古屋城には4か所売店があり、ここが一番よく売れるのだとか。金鯱の置物などベタなお土産が多く、金箔陶製金鯱5万4千円なんてモノも!何とこれが年にいくつも売れるそうで、やはり天守閣に登ると城下を見下ろすお殿様になったようで気が大きくなるのかもしれません。

このように見どころいっぱいの昭和天守閣。エレベーターがあるのが興ざめだ、なんて声もありますが、実際に中へ入るとその巨大さに階段だけじゃなくてよかった…とむしろほっとします。

吹き抜けの階段もSNS投稿が多い隠れたフォトジェニックポイント
吹き抜けの階段もSNS投稿が多い隠れたフォトジェニックポイント

何より中からも外からも往時のスケールを体感できるのは、それだけで非常に価値あることだと感じます。これがあとわずかで中へ入れなくなり、いずれ取り壊されてしまう(予定)なのはちょっと…いやかなりもったいない気がします。

筆者自身は木造復元に関してはいろいろ思うところはあり、河村たかし市長にも疑問・質問をぶつけています。詳しくは過去記事「河村たかし名古屋市長に聞く!『名古屋=魅力ある街』への秘策・奇策」をご一読ください。

天守閣をバックに記念撮影は当面OK

名古屋城に来たらやはりこの景観は外せない。天守閣の閉館で、この景色がすぐさま見られなくなるわけではないそう。ただし計画が進めば来年度以降、足場が組まれるなどして何年間かはこの雄姿は拝めなくなる
名古屋城に来たらやはりこの景観は外せない。天守閣の閉館で、この景色がすぐさま見られなくなるわけではないそう。ただし計画が進めば来年度以降、足場が組まれるなどして何年間かはこの雄姿は拝めなくなる

一方でちょっと安心したのは、入場禁止、即・解体というわけではないとのこと。閉館にともない本格的な調査に入り、文化庁との協議を重ねた上で取り壊し・復元工事という手順をふむ必要があり、そのため向こう1年余りはこれまで通りの天守閣の姿を見られることになりそうです

名古屋城を訪れる人にとっては、天守閣に登る以上に金鯱輝く天守閣をバックに記念撮影するのが楽しみのはず。入場禁止になるからといって、当面はその一番の楽しみがなくなるわけではないのです

そして、さんざん天守閣について書いておいて何ですが、忘れてはならないのは“天守閣だけが名古屋城ではない”ということ。天守閣は広大なスケールを擁する名古屋城の建造物のひとつであり、その他にも創建当初から現存する3つの隅櫓や名勝二之丸庭園、そして6月に全体公開される本丸御殿など見どころは尽きません。先ごろ金シャチ横丁がオープンしたことで食の楽しみも大幅にアップしました(関連記事「名古屋城に『金シャチ横丁』がオープン!新たな観光名所となるか?」)。天守閣に登れなくなっても、名古屋城が名古屋随一の史跡・名所であることは変わりありません。

とはいえ多くの名古屋市民や城郭ファンらが慣れ親しんできた昭和天守閣に登ることができるのは残りわずか。旅行者はもちろんですが、地元の人たちにも、最後のチャンスに是非とも足を運んでもらいたいものです。

(戦前の天守閣古写真以外の写真はすべて筆者撮影)

名古屋ネタライター

名古屋在住のフリーライター。名古屋メシと中日ドラゴンズをこよなく愛する。最新刊は『間違いだらけの名古屋めし』。2017年発行の『なごやじまん』は、当サイトに寄稿した「なぜ週刊ポスト『名古屋ぎらい』特集は組まれたのか?」をきっかけに書籍化したもの。著書は他に『サンデージャーナルのデータで解析!名古屋・愛知』『名古屋の酒場』『名古屋の喫茶店 完全版』『名古屋めし』『名古屋メン』『名古屋の商店街』『東海の和菓子名店』等がある。コンクリート造型師、浅野祥雲の研究をライフワークとし、“日本唯一の浅野祥雲研究家”を自称。作品の修復活動も主宰する。『コンクリート魂 浅野祥雲大全』はその研究の集大成的1冊。

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