河村たかし名古屋市長に聞く!「名古屋=魅力ある街」への秘策・奇策
名古屋の魅力向上に向け、河村たかし市長にインタビュー
「名古屋=魅力がない街」。昨年公表されたこのアンケート結果が今なお話題となっています。「魅力がない」は事あるごとにネタにされ、名古屋に対するネガティブなイメージを拡散する役割を担ってしまっています。
ただし、このフレーズには多分に誤解があり、筆者は当サイトでもくり返し誤ったイメージの流布に異を唱えてきました(Yahoo!ニュース「なぜ週刊ポスト『名古屋ぎらい』特集は組まれたのか?」「実は全国ワーストではなかった?『魅力のない街・名古屋』のからくり」)。しかし、いったんメディアを通して広まった風評を回収しようとするのは、筆者1人では力不足。そこで、このマイナスイメージを打破する方策、そして名古屋の魅力向上のための秘策を、河村たかし名古屋市長にお聞きしました!
路地がない。歌がない。人間臭さがない(?)
大竹 「まずは『名古屋=魅力がない街』とされたアンケート結果に対する率直な印象からお聞かせください」
河村 「『行きたくない街』ダントツでドベだでね。でも、それに対して“本当のことだでしょうがない”と答えた名古屋の人が8割もいた。こっちのがショックだわな。このあきらめに似た意識をどうやって盛り返していくかの方が重要だわ」
大竹 「しかし、くだんのアンケートは名古屋市が観光都市としてのブランディングを図るために実施したもので、国内の代表的観光都市7都市(札幌市・東京23区・横浜市・京都市・大阪市・神戸市・福岡市)と名古屋市を対象とし、観光という視点から意見を集めたものに過ぎません。つまり、トップ7と比べて観光地としては魅力に欠けるというだけの話であって、世間に流布されているような“日本中で最も魅力がない”というものではありません」
河村 「わしも昨日、カレーのココイチ金山店でカキフリャーあさりトッピング1辛食べながらだね、あんたの本(『なごやじまん』)を読まさせてもらって、ああいうふうにかばいたくなる気持ちもわかるけども、ありゃあなかなか深刻な問題でね。名古屋は中心部のほとんどが戦災で燃えてまって、戦後の復興事業で100m道路とか広い道を整備する一方で、狭い路地を全部ぶっ壊してまったわけですよ。東京でも大阪でも、大きな通りから一本入ると意外と路地が残っとって昔のまんまなんです。わしは国会議員の時に議員会館に入らずに千駄木に住んどったけど、路地にある飲み屋が土日とかどえりゃー人なんです。爺さん婆さんが手ぇつないどったりバックパッカーがようけおったりね」
大竹 「確かに名古屋は“横丁”が少ない」
河村 「人生なんか辛いことばっかでまっすぐな道で何でも見通せてまったら生きとれんですよ。だでもっと曲がりくねった路地が必要なんです。ど広いとこで酒飲んどったって話題にもなれせんしよ。ある大学教授が名古屋を『消毒都市』と評しとってね。路地とか衛生的に問題のある場所は全部壊して、どこでも太陽がさんさんと降り注ぐ健全な街に消毒してまったと」
大竹 「同時に、路地に巣くう人間臭さなども消してしまった、と」
河村 「名古屋は歌がないのも大問題でね。東京なら『有楽町で逢いましょう』、大阪なら『雨の法善寺横丁』『浪速恋しぐれ』とか。そういった歌からイメージできるのは、ごちゃごちゃした人間臭い街のイメージですよ」
「名古屋=魅力がない」を広めた張本人は河村市長(?)
大竹 「イメージとおっしゃられましたが、先の『名古屋=魅力がない街』は名古屋のイメージを貶めるネガティブキャッチフレーズのようになってしまっています。その要因は、市長が事あるごとに“魅力がにゃー街ナンバー1だわ!”と吹聴しているから。市長が一番間違ったイメージを広めちゃってるじゃないか、と私なんかは思うわけです」
河村 「ほぉきゃぁ。それはホントに(アンケートの結果が)心象風景と重なっとるわけですよ。東京と比べてごちゃごちゃした人間臭さがない、と」
大竹 「市長は、春の市長選の際の新聞のアンケートでも『名古屋に来た他県の友人を連れて行きたい場所は?』との問いに『どっこもないで困っとる』と答えている。市長自らその答えはないんじゃないですか!?」
河村 「ホントのこと言うのがええんでないかなぁ。でも今は空前のチャンスなんですよ。リニアが開通すれば東京から40分。“名古屋へうみゃあもん食いに行こか”とか“音楽聴きにいこか”と遊びに来てもらってその日のうちに帰るのが物理的に可能になる」
どうなる?どうする?名古屋城天守閣木造化
河村 「いろいろ考えてきた結果がやっぱり名古屋城の天守閣ですよ。(城郭として)国宝第1号であり、333年間名古屋の街にあったものが戦争で燃えてまった。大正12年生まれのわしのおふくろもそれを見て泣いたと言う。ほんで(戦後の再建時に)コンクリートになってまったと。その悲しみを癒すのが一番大事だと。木造化は市民の皆様の圧倒的支持で、1億円以上の寄付が集まった。それだけかけがえのないものなんです。これはお城だけの話じゃなくて、名古屋がこれから熱くなるひとつの引き金になるとわしは見とるけどね」
大竹 「天守閣の件は今日最もお聞きしたい問題のひとつです。まずはっきりしておきたいのは、市長はあれを“文化のシンボル”にしたいのか?、“観光の目玉”にしたいのか? どちらなんでしょう?」
河村 「わしは観光というのはあんまり好きな言葉じゃなくて、それよりも市民の自慢、アイデンティティーだわ。NYだったら自由の女神、パリだったら凱旋門、ロンドンだったらビッグベン。ああいうやつですよ。郷土愛、ホームタウン意識ってあるじゃないですか。それが具体的にイメージできて、世界に自慢できるもんじゃないと都市はダメなんです。天守閣は上手に盛り上げないかんけどね、パリの凱旋門に匹敵するくらいのもんになると思いますよ」
大竹 「私も本当に木造復元できるのであれば素晴らしいことだと思います。しかし、今になってエレベーターがないのはどういうことか?なんて話が出てくる。木造化するなら可能な限り史料に忠実に再建しなければ意味がなく、エレベーターをつけられないのは大前提じゃないですか。それがこの段階にあっても理解されていない理由のひとつは、市長がかねてから“木造化すれば年間300万人だか500万人だかが来る”と観光・経済面での効果を目的のひとつとして主張しているからです」
河村 「木造化というより“本物”にするちゅうことね。300万人、楽々来るんじゃないですか?」
大竹 「ですから、それだけの人が押し寄せると、エレベーターのない巨大な天守閣にどうやって登ってもらうのか? 文化的価値があるからオリジナルの通りに木造で復元することと、それで大々的な集客を望むことは、そもそも矛盾していて両立しないんじゃないでしょうか?」
河村 「まぁそんな固く考えんでもね。まぁ、ようけ来てもらって、天守閣以外にもいっぱい(城内には)場所がありますでね。櫓=やぐら(現存する3つの隅櫓。現在は限られた期間だけ公開している)だってもっとしょっちゅう登ってもらえるようにしてね。(焼失した)東北隅櫓も造ってと、やり方はいっぱいあると思いますよ」
大竹 「観光地として誘客するなら、どう楽しんでもらうかのソフトの充実の方が重要だと考えます。例えば名古屋おもてなし武将隊は、彼ら見たさに名古屋城へ来てくれる人が数多くいます。天守閣にエレベーターをつけるなら木造化なんてしなくてもいいと思うし、このままでは木造天守閣は巨大なハコモノに過ぎない、なんてことになりかねない」
河村 「う~ん。エレベーター問題は半分誤報みたいなもんで、わしが言っとるのは、今は月へ行って帰って来る時代でしょう。ほんだでロボット的なもので上げられるようにできんかと、実際に某自動車会社とか大学の先生とかに頼んで研究やっとるとこなんです。もともと天守閣なんて藩主くらいしか登れんかったとこで、いろんなこと言う人おるけど、それでもようけの人に上がってもらった方がええもんで、そういうことは最新鋭技術を使ってやっていこうかと。車いすで階段上れるようにできんか?と言ったら、“やります”言うとったでね」
大竹 「忠実な復元と、多くの観光客に対応する、その両立は可能だと?」
河村 「ほうですよ」
大竹 「工期についてもお聞きしたい。2020年6月に着工し22年末に竣工。わずか2年半で完成させるという計画です」
河村 「重機もない400年前に2年で造っとるんだでね」
大竹 「市長はいつもそうおっしゃいますが、ずい分乱暴な話じゃないですか?」
河村 「何でぇ?」
大竹 「一から新築するより修理や復元の方がよほど難しいのは中学生レベルでも分かる話じゃないですか。ましてや文化財の復元なのですから非常にデリケートな作業のはずで、実際に本丸御殿は10年かけて復元しています。そんなに急いで造らなくとも、やるなら本当に慎重に進めるべきで、私の友人でも“サグラダファミリア(ガウディ設計のスペインの教会)みたいに修復の過程を観光客に見てもらえばいいじゃないか”という人もいます」
河村 「プロの人にもいろいろ意見は聞いとるけど、ゆっくり作ればいいという問題じゃない、と。今の技術はスゴイと。クレーン使ってはいかんとは誰も言っとらんでしょう。今回は竹中(工務店)さんがコンペで勝って、立派な提案だもんで、あのスケジュールでやってくれやぁええと思いますよ、私は」
大竹 「根本的な問題ですが、そもそもコンクリートの天守閣だと誇りにならないというのもちょっとどうかな、と。現在の天守閣は戦後間もない苦しい時代に、市長のお母様らの世代の名古屋市民が、総工費6億円のうち2億円も寄付して建てたものです。あれはあれで大事な昭和の遺構であり、立派なシンボルだと思います」
河村 「わしは古い建物はできるだけ壊さんという方だけど、名古屋城ももし図面がなかったらそういう考え(コンクリート造りのまま)になったかもしらんですよ。だけど昭和5年に国宝1号になった時に、名工大(名古屋工業大学)が実測図を残そうと資料を作って、さらに江戸時代の史料もある。実測図を作ったのは、空襲を予想しとったわけではないだろうけど火事とか地震もあるし、何かあった時にちゃんと木でまた造ってくれよ、そういう先人の遺志じゃなかったと思いますよ。それに木造なら1000年もつ。法隆寺だって1300年たってますからね。徳川家康も“よう造ってくれた”と喜ぶと思いますよ。何より本物の魅力というのは何ものにも代え難い。モナリザが模写だったらどうしますか?どんだけうまく描けとってもそりゃいかんでしょう。ダ・ヴィンチが描いたということを想像して時代を共有するのが楽しみじゃないですか」
大竹 「それを言ってしまうと、木造化しても“平成に建てたレプリカじゃないか”ということになりませんか?」
河村 「いやいや、逆なんですよ。空襲で燃えたから、そして図面があるから直せる。人類には戦争というものがあるという事実を表すこともできて、歴史的、人文科学的に本物性があるんです」
大竹 「天守閣木造化に先駆けて来春には名古屋城の正門、西門周りに金シャチ横丁が完成します」
河村 「何でもええで面白いもん作ろうということでね。私も零細企業をやってきましたからね、人が入るか入らんかは若干は分かる。そう簡単には考えてないけど、とりあえず木造化が決まったでよかったですわ。決まらなんだらどうするんだと思ってましたけどね」
大竹 「金シャチ横丁も天守閣木造化ありきの計画だと?」
河村 「わしの中では完全にそうです。(テナントは飲食店が中心だが)あとは芝居小屋でも作って、升席で芝居観ながら一杯飲んで飯食って5千円くらいにしたら、観光バスとかようけ来てくれると思いますよ」
市長の「きしめんは駅のホームが一番」にダメ出し!
大竹 「名古屋めしは今や立派な観光資源。しかし、外へのアピールも大事ですが、それ以前に地元の人が魅力を正しく理解することが大切です。そういう意味から、私は以前から市長が“きしめんは駅のホームが一番うみゃー”とか言ってちゃダメでしょう、と申し上げています」
河村 「いかんのか(笑)!ホームのきしめんもうみゃーですよ」
大竹 「もちろん立ち食いのファーストフードとしては満点だと思います。でも、地元の人まであれが一番だと思っているのは、それこそきしめんに対する理解が足りないから。そこであらためて市長がお薦めするおいしいお店をお聞きしたい」
河村 「松原(中区)のへんにある天満屋は昔の大岩(勇)市長の孫がやっとるんだけど、きしめんも味噌煮込みもうみゃぁですよ。あとちょっと高てもよきゃあ、宮きしめんの座敷もある店(熱田区の「宮きしめん伊兵衛」)もうみゃあよ」
大竹 「きしめんは名古屋が誇る麺文化ですからその魅力を正しく伝えたい。私は先日、やっとかめ文化祭(名古屋市などが中心になって開催している約1か月間の文化の祭典)できしめん打ち体験会を企画したのですが、参加者から“そば打ちはいろんなところで体験できるのだから、名古屋にも一般の人がきしめんを打てる場がほしい”との声がありました」
河村 「あれは何か特別な技があるんでないの?」
大竹 「そばはこねるところから手軽に体験できますが、きしめんは生地を一晩寝かせてから打つんです。だから事前に予約を取って生地を用意しておく必要がある。でも、金シャチ横丁にきしめん打ち道場なんかあると絶対にウケると思います」
河村 「きしめんの店はどっかテナントで入るんでなかったかな。何にせよ大竹さんがいろいろ書いてくれるのはありがたいことだわ」
「名古屋=面白い街」最大の秘策は河村市長マンスリーライブ!?
河村 「わしはほとんど毎晩のように酒飲みながら、どうやったら名古屋が面白なって、世界に自慢できる都市になるか考えとるんです。ツレたちも『河村、何でもええで名古屋を面白してくれ』と言うんです。芝居小屋作って、月にいっぺんでも八代亜紀に歌いに来てまえんか。ちっと安ぅやってまえんかと。何ならわしも大須演芸場で月いっぺんくらいしゃべれんかと。わしは今69歳で、政治も34歳からやっとるし名古屋市長も9年やらせてもらっとるで、よう知っとるしおもしれぇですよ。ギャラなしで、焼き鳥屋で一杯おごってもらえやぁええもんでよ」
大竹 「それは本当にやってもらいたい。何なら私が毎月対談相手をブッキングしますよ」
河村 「商店街の会長ともホントに話しとるでね。とにかくどうやったら名古屋が面白なるかが大問題なもんで、大竹さんにもアイデアもらいたいくらいだわ!」
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よきにつけ悪しきにつけ注目を集めてしまう街・名古屋。河村たかし市長はまさしくその象徴のような存在です。名古屋城の天守閣もくだんのアンケート結果も名古屋めしも、河村市政下にあったからこれほど世間の耳目を集めることになったことは間違いありません。そして、その手腕や発言に、“よきにつけ悪しきにつけ”と相反する評価がついて回ることもこれまたお約束事となっています。これが少しでも“よき”方向へ傾くことを期待し、私も引き続き市長の言動に注目しつつ機会があれば物言いしていきたいと思います。
(撮影=アトリエあふろ・鈴木暁彦)