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「東京五輪は本当に開催できるのか?」という不毛な議論

大島和人スポーツライター
池江璃花子選手(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

増加する入国拒否の対象国

東京2020オリンピックの開幕まで、1年を切った。本来は20年7月24日に開幕する予定で、特例により「スポーツの日」も同日に移された。しかし新型コロナウイルス感染症の災厄により、世界はしばらく大規模な国際大会を開催できる情勢にない。

20年3月に入ると南北アメリカ大陸、ヨーロッパで爆発的な感染拡大が起こり、これを受けて国際オリンピック委員会(IOC)は3月24日に翌年への東京五輪延期を決定した。加えて感染者数などの推移を見れば、日本と世界の状況が大幅に改善しているとは言い難い。

国内のイベントやリーグ戦と国際大会では開催の難易度が全く違う。日本政府は7月27日の時点で、146カ国(地域)からの入国を原則的に拒否している。

航空機の乗員や、親族の見舞い、母国における治療などを理由とした移動は「特段の事情」として入国を認められている。野球やサッカーなどで、7月以降に外国籍選手が日本へ入国した例はあった。ただしバスケットボール、ゴルフ、プロレスなどの各競技で、新規の入国がストップしている。

リオ五輪は1万1000人が参加

さらに入国を拒否される国、地域は増加傾向が続いている。五輪は入国を希望するチームの完全な受け入れが大前提だ。過去には1980年のモスクワ大会、84年のロサンゼルス大会のようにボイコットで参加国数が大幅に減少した例もある。とはいえIOCや主催国が参加を「お断りする」形は、平和の祭典として望ましくない。

外国から就労ビザを得て来日するプロ選手は、全競技を合わせても数百人単位だ。これが五輪となれば入国者数の桁が違う。

16年のリオデジャネイロ大会には206カ国から約1万1000人の選手が参加した。関係者、メディア、ファンを含めればその何倍もの人間がブラジルに入国したはずだ。21年7月の段階で入国禁止対象国がゼロになっているか?と考えるだけで、来夏の開催が容易でない現状はご理解いただけるだろう。

IOCのトーマス・バッハ会長は先日のNHKによるインタビューで「世界中のすべての人にとって安全な環境のもとで開催したい」と述べている。「すべての人にとって安全な環境」が何を意味するかは解釈の分かれるところだが、それが安全なワクチンの開発と接種を意味するなら、12ヶ月で完了するとは考え難い。

結論を急かしても意味がない

もっとも「中止を早く決定しろ」と声高に唱えることが、社会やスポーツ界のためになるとは思えない。確かに開催の可否が定まらない状況はストレスで、すぐ白黒をつけたい心理は理解できる。だが仮に20年7月末の段階で答えを出すなら、中止以外の選択肢はない。

例えば観客を日本人だけに制限する、トータルの観客数を減らす、無観客で開催するといった選択肢もある。ただ、そこにはチケットの再発行や返金といった複雑なオペレーションも伴う。限られた時間内で五輪憲章や日本の法律、契約内容を確認し、利害関係や技術的課題を片付ける必要がある。スッキリ「やれる」と言い切れる事項ではない。

五輪の開催は日本だけでなく世界中にインパクトを及ぼす、特別な論点だ。そのようなテーマならば正しい人が正しい手順、タイミングで結論を発表するべきだろう。「本当に開催できるのか?」「早く結論を出せないのか?」と当事者を急かしても、ウイルスが遠慮してくれるわけではない。新型コロナ問題は膨大な人間、無数の変数が絡む“超複雑系”のテーマで、人間にコントロールできない要素が多い。

そもそも大会の開催可否を決定するのはIOCで、日本政府や安倍晋三首相に圧力をかけてもあまり意味がない。

可能性が1%でもある限り

今から我々が考えていいテーマは、アスリートのサポートだ。日本に限っても何百何千人の代表候補選手が、1年後に向けて必死な努力を続けている。不透明な社会情勢の中で、モチベーションを必死に維持しようとしている。文字通り「人生を賭けている」選手もいるはずだ。

開催の確率が仮に1%であっても、ゼロでない限りは彼らの「希望」を残したい。それは筆者の個人的な願望だが、スポーツファンの皆さんにも共有してもらえる思いだろう。

「政府が新型コロナによるリスクを軽視して大会を強行しようとしている」という受け止めもあるだろう。今年の3月、大会の延期が決まる直前にも目にした言説だ。

しかし私は政府やIOCが21年夏の開催に向けて強気の姿勢を示すこと自体は是としたい。1%でも開催の希望があるうちは準備を続けるべきだし、「やる」という決意も揺らがせずに保つべきだ。

開催と中止の二分法は不毛

確かに「プランB」「プランC」への備えは必要だし、既に水面下で大会の中止や再延期に向けた検討を進めているプロフェッショナルもいるだろう。一方で個人的に残念なのが「開催」「中止」の二分法で議論するメディアの多さだ。

巨大イベントの中止はテレビの電源スイッチを押して消すように、一瞬で終えられる作業ではない。様々なものに目配りをして、悪影響を最小限に留める周到な調整をして、それから実行に移るべきものだ。

ひとりの日本人として、21年夏までにコロナ禍が収束することを願っている。ファンとして報道の末端にいるものとして、心の底から来夏のオリンピック・パラリンピック開催を望んでいる。そのために努力を続ける選手、関係者を応援したい。

中止は「決まった後」が大変

ただし開催に向けた準備と並行して、苦渋の決断が下された場合の「マイナス」を減らす方策を周到に練る必要がある。

費用の分担、スポンサー料や保険金など、タフな交渉は必要だろう。大会がなくなったらスッキリできるわけでなく、中止の決定はむしろ日本政府や組織委員会、広告代理店が「よりシビアな戦い」を始める合図だ。

夏のオリンピック・パラリンピックは28年のロサンゼルス大会まで、開催地が確定している。東京はIOCと交渉して、特例で32年の大会を誘致できるように話を進めてもいい。日本が再び「開国」を迎えた暁には、各種目のトップアスリートが東京で競い合う限りなく五輪に近いイベントをやってもいい。

高校野球は現在、各都道府県で選手権地方大会の代替大会が行われている。8月には選抜大会の出場校が参加する「交流試合」も甲子園球場で開催される。五輪についても代表に決まった選手、代表を目指していた選手が報われる「何か」を用意するべきだ。

仮に21年夏の夢が潰えようとも、アスリートの人生は続く。スポーツ界の未来がすべて奪われるわけでもない。選手が伸びやかにプレーし、ファンが楽しむ文化を守り発展させていくーー。スポーツに関わる人間が目を向けるべき大きなミッションは、この先もきっと不変だ。

スポーツライター

Kazuto Oshima 1976年11月生まれ。出身地は神奈川、三重、和歌山、埼玉と諸説あり。大学在学中はテレビ局のリサーチャーとして世界中のスポーツを観察。早稲田大学を卒業後は外資系損保、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を始めた。サッカー、バスケット、野球、ラグビーなどの現場にも半ば中毒的に足を運んでいる。未知の選手との遭遇、新たな才能の発見を無上の喜びとし、育成年代の試合は大好物。日本をアメリカ、スペイン、ブラジルのような“球技大国”にすることを一生の夢にしている。21年1月14日には『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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