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0勝4敗からの世界10位・豪を撃破! バスケ日本代表が起こしたジャイキリとその理由

大島和人スポーツライター
(写真:森田直樹/アフロスポーツ)

成績、人気ともに低迷していた日本代表

ブレイクには人のハートに衝撃を打ち込む「引き金」が必要だ。スポーツならば番狂わせ、大逆転といった名勝負による“サプライズ”がないと、人気の急上昇も起こらない。サッカーの日本代表ならば1993年のドーハの悲劇、1997年のジョホールバルの歓喜が、その後の隆盛につながっている。

2016年9月にBリーグが開幕し、バスケットボール界は上げ潮ムードにある。一方で代表の実力、人気はBリーグの盛り上がりに比例していなかった。ワールドカップ(W杯)アジア地区1次予選では、0勝4敗と敗退の瀬戸際に追い込まれていた。

6月29日に千葉ポートアリーナで開催されたオートラリア戦の観客は5,652人。試合前に「隙間」がある2階席を見て、少し寂しい気持ちになった。

今年5月2日、同じく平日に同会場で開催されたリーグ戦で、千葉ジェッツは6,036人の観客を集めている。東京や神奈川から少し遠いアリーナのアクセスや、ここまでの低調な戦いも影響したのだろう。6月中旬にサッカーのW杯が始まってからスポーツファンはサッカーに夢中で、マスメディアもバスケをあまり大きく扱っていなかった。

しかし5,652人のファンは、大きな満足と感動を胸に帰路へ着いたに違いない。1次予選の大一番で、世界ランク48位の日本が、世界ランク10位のオーストラリアを下す大番狂わせを起こしたからだ。

アジアでは無敵だったオーストラリア

アジアとオセアニアの大会が統合したのは2017年。オーストラリアがアジアに仲間入りしてから、彼らにとっては対アジアで初の黒星だった。

2019年のW杯中国大会から、アジア予選はセントラル開催から「ホーム&アウェイ方式」に変わっている。ここまでの1次予選4試合はNBAやNCAA、Bリーグのシーズン中に行われていた。しかし「Window3」と呼ばれる今回の2試合はアメリカのオフ期間。オーストラリアはベン・シモンズこそ不在だったがマシュー・デラベドーバ、ソン・メイカーという2人のNBAプレイヤーを招集していた。

NBAの優勝経験もあるデラベドーバは推定年俸960万ドル(約10億6千万円)で、日本の全12選手を合計した以上の高収入を得ている。21歳のメイカーは年俸とキャリアこそ及ばないが、216センチの身長とアスリート性、スキルを兼ね備えた世界的注目株だ。しかも昨年11月27日のアウェイ戦で、日本はNBA選手不在のオーストラリアに58-82で敗れている。

ただし1次予選は「4分の3」が勝ち残る広き門で、現在グループB最下位の日本にもまだ可能性が残っていた。とはいっても普通に考えればフィリピン、台湾に勝てていない日本がオーストラリアを退ける可能性は低い。台湾が29日にフィリピンに敗れ、最終戦で「0勝5敗の日本が1勝4敗の台湾を倒す」という他力本願の勝ち上がりが“現実的なルート”だった。

実際に台湾は29日のフィリピン戦を71-93で落としている。日本が最後に台湾を下さなければいけない状況は変わらない。しかしオーストラリア戦の勝利は単なる1勝に止まらない、未来に向けた「きっかけ」を作る試合になった。

大きかったファジーカス、八村の合流

過去4戦との違いはニック・ファジーカス、八村塁の合流だ。ファジーカス(33才)は今年4月26日に日本国籍の取得が認められ、今回の合宿からチームに合流している。八村(20才)はゴンザガ大の2シーズン目を終えたばかりで、NCAAのシーズン中はそちらを優先していた。29日の試合ではファジーカスが25得点12リバウンド、八村が24得点7リバウンドを記録。全得点の62%を二人が挙げている。二人の加入でチームが変わるというのは誰もが期待し、口にしていたことだが、その威力は想像以上だった。

八村は試合後にこう述べていた。「僕がいないとき、前の試合で(オーストラリアに)一度負けていて、自信も無かったんじゃないかと。だから僕が最初に行って自信を与えられたら良いなと思ってプレーしました」

八村はその言葉通りに開始直後から積極的に仕掛ける。10分間で13 得点を挙げた彼がチームを引っ張り、日本は23-16で第1クォーターを終えた。更にリードを広げて42-33で前半を終えた日本だが、第3クォーターにはオーストラリアに一度ひっくり返される時間帯があった。しかしそこで大崩れせず、ファジーカスの連続得点などでリードを取り戻した。

司令塔の篠山竜青はこう説明する。「日本はメンタル的に我慢しきれずに終わってしまう試合が多かった。彼ら二人の加入で、しっかりいいディフェンス(DF)をすればリバウンドにつながるし、ファーストブレイクにつながる。それは今日の試合を通してみんなの自信になったと思うし、中盤に逆転されずに切れずについていけた要因だと思う」

場内が一体になった残り1分の攻防

それでも第3クォーター終了時点でリードは6点。シュート2本で追いつかれる点差だった。第4クォーターはお互いに決め合う展開だったが、残り2分39秒には73-72と1点差に詰められる。だが残り2分18秒に馬場雄大がリバースレイアップを決めると、リードは再び3点差。さらに残り1分50秒、ファジーカスが必死のDFからシュートミスを誘い、リバウンドを獲得する。

代表戦はBリーグに比べると演出が地味で、ファンのカルチャーも固まっておらず、会場の昂揚感は総じて乏しかった。しかし試合の最終盤、ファジーカスがリバウンドを奪ったあたりから観客が一体になり、場内の空気は「クレイジー」になっていく。

残り56秒で点差は再び1点差に詰まったが、残り21秒には篠山がロングリバウンドから速攻に持ち込んで得点し、スコアは77-74。スタンドは360度が総立ち状態となり、ニッポンコールと手拍子を送っていた。

さらに残り12秒、比江島慎がリバウンドを奪ってロングパスを送り、八村がダンク!そこからオーストラリアの追い上げで点差は詰められたが、日本は79-78で勝ち切った。最高の試合だった。

二人の加入が生んだ副次効果

今までの日本代表は比江島の突破が最大の武器だった。しかしファジーカスは210センチの体格と「上手さ」「賢さ」を持つ選手で、八村は203センチのサイズに加えてスピードと跳躍力、力強さがある。これによりポイントガード、シューティングガードといった「外」に依存していた得点源が「内」に移った。

篠山が「誰かが無理に突っ込まずに済む」と口にするように、ファジーカスと八村の二人はボールを預けられるし、崩し切っていない状況からも決める個の能力がある。「ズレを作るために必死にボールを動かして崩し切れず、悪い形から打たされる」ことがなくなった。

比江島も二人の加入による“副産物”をこう説明する。「オフェンスで今まで体力を使っていた部分があったけれど、二人が入ってきたおかげでDFの余裕ができた。リバウンドのような泥臭いところも今日は頑張れた」

昨年11月の対戦では「48本 対 21本」と惨敗したリバウンド争いも、今回は「50本 対 44本」と微差に留まった。比江島もリバウンドを8本取っている。また今までの日本はゴール下のDFでどうしても、ダブルチームなどの無理があった。新加入の二人は1対1で対応できるので、他のポジションも含めて「穴」が開かなくなった。

7月2日の台湾戦は“未来”に向けた大一番

日本代表の新戦力はまだ残っている。ジョージワシントン大を卒業した渡邊雄太は「ドラフト外」からのNBA入りを懸けてサマーリーグに参加中。現在は候補止まりで12名のロースターには入っていないがシェーファーアヴィ幸樹(ジョージア工科大)、渡辺飛勇(ポートランド大)といったNCAAでプレーする2メートル超の若手選手もいる。

20才の八村、シェーファーは昨年のU-19世界選手権で10位という好成績を収めたチームのメンバー。渡邊雄太(23才)、渡辺飛勇(18才)も含めて「これから」のプレイヤーだ。33才の竹内兄弟、34才の太田敦也に依存していた日本のインサイドだが、未来へのめどは立っている。

ファジーカスと八村の加入と同じくらい、いやそれ以上に大きいのがスケジュールの問題だろう。昨年11月の2試合、今年2月の2試合はその準備をリーグ戦期間中に進めねばならず、選手は「週中」に東京へ集まって合宿を行っていた。リーグ戦を終えた翌日、翌々日に追い込んだ練習はできず、2泊3日程度の練習で元のチームに戻らなければいけない。

今回は5月にリーグ戦、ポストシーズンを終えた選手が順次合宿へ合流し、約1か月の強化期間を得られた。コンディション調整、戦術の浸透と万全の状態でオーストラリア戦に臨めた。2月の2試合は腰痛明けでコンディションが万全でなかった竹内譲次も「自分自身すごくコンディションが良かったし、しっかりチームを作る時間もあった」と説明する。

7月2日の台湾戦は、アウェイ台北で行われる。勝ち抜けの条件はシンプルで日本が勝利すれば、2次予選進出が決まる。台北和平籃球館のチケットは完売と聞いており、29日のようなホームの後押しは期待できない。しかしファジーカスと八村が加わり、1か月をかけて準備した今の日本ならば、きっと台湾を倒して勝ち抜けを決めることができるだろう。

スポーツライター

Kazuto Oshima 1976年11月生まれ。出身地は神奈川、三重、和歌山、埼玉と諸説あり。大学在学中はテレビ局のリサーチャーとして世界中のスポーツを観察。早稲田大学を卒業後は外資系損保、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を始めた。サッカー、バスケット、野球、ラグビーなどの現場にも半ば中毒的に足を運んでいる。未知の選手との遭遇、新たな才能の発見を無上の喜びとし、育成年代の試合は大好物。日本をアメリカ、スペイン、ブラジルのような“球技大国”にすることを一生の夢にしている。21年1月14日には『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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