Yahoo!ニュース

自民党先輩議員たちからのパタハラ&パワハラが苦しかった。宮崎謙介元議員が今だから言えること

小酒部さやか株式会社 natural rights 代表取締役
取材時に筆者撮影

自身の「育休宣言」によりイクメン議員として名を上げた宮崎謙介元衆議院議員。その後、妻の金子恵美元衆議院議員の出産間際に女性問題を起こし、肩書と中身のあまりのギャップに世間から激しく非難を受け、辞職した。この点については言語道断で、フォローの余地は全くない。

しかし、育休宣言から週刊誌報道までの間に、宮崎さんは自民党内の先輩議員たちからひどいパタハラ(パタニティハラスメント)とパワハラを受けていたという。この時期の宮崎さんにお会いしたことがあったが、確かに沈痛な面持ちで本当に苦しそうだった。

本来、人権侵害やハラスメントを防止するはずの国会議員が、逆に加害者となってハラスメントしていたとしたら、それは問題だろう。一体何があったのか、宮崎さんに話を聞いた。

パタハラとはパタニティハラスメントの略。パタニティー(Paternity)とは英語で“父性”を意味し、男性が育児参加を通じて自らの父性を発揮する権利や機会を、職場の上司や同僚などが侵害する言動におよぶこと。パタハラは男性社員が育児休業をとったり、育児支援目的の短時間勤務やフレックス勤務を活用したりすることへの妨害、ハラスメント行為を指します。

2016年1月18日イベント写真 左:小酒部さやか(筆者)右:宮崎謙介氏/筆者提供
2016年1月18日イベント写真 左:小酒部さやか(筆者)右:宮崎謙介氏/筆者提供

●二分した世論を受けて、自民党議員たちが「育休宣言、もう黙れ!」

小酒部:私が最初に宮崎さんにお会いしたのが、2016年1月18日のイベントでした。このイベントのメインゲストは宮崎さんなのに、ほとんどお話をされず、話したいのに話せないといった様子が印象的でした。

宮崎:「お前、そんなイベントに出て話したら、どうなるか分かっているんだろうな!」と自民党の上の方から強くプレッシャーをかけられていて。

小酒部:その後、1月27日に議員会館で個別に宮崎さんとお会いしたときは、「こんなに大変なことになるとは思っていなかった…」「眠れない」と沈痛な面持ちで、本当に苦しそうでした。そして、その数日後に文春の報道がありました。育休宣言から週刊誌報道までの間に何があったのですか?

宮崎:妻(金子元議員)の妊娠が分かったのが2015年5月でした。その後、1回目の議員向けの結婚式を2015年8月に行ったんです。そこで、当時の厚生労働大臣などが「育休を取っちゃいなよ」と言ってきたのが始まりで。それを受けて「僕は子育てに参加しますよ」と宣言しました。その時は、「おお~」と会場から拍手が起こるくらい、反対する人など誰もいなかったんです。

2回目の結婚式を12月に行い、年明け2016年の頭にメディアが僕の育休宣言を報道しました。すると賛否両論が起こって、その世論の様子を受けて、自民党議員が「これは駄目じゃん」と反対してくるようになりました。そして、「育休宣言、もう黙れ」「育休宣言するな」と先輩議員から言われるようになっていったんです。

今思えば、「育児休暇(育休)」という言葉が良くなかった。休暇だと、夏季休暇とか長期休暇のようなバカンスのイメージがあり、「国会議員が休むのか!」という世論が出てきてしまった。

僕は「育休宣言」といっても議員としての仕事はきちんとやるつもりでした。ましてや、国会の採決を休むなんてことは、絶対にするつもりはなかった。テレワークを活用して、柔軟な働き方に変えて、育児と仕事を両立しようと考えていた。それが「休暇」で休むという話になって、世論が思わぬ方向に動いていってしまった。

小酒部:「育児参加」が「育休宣言」にいつの間にか変わって、「国会議員が休むなんて有り得ない」というバッシングになっていったということですか?

宮崎:はい。僕の育児参加の話と並列して、11月に若手男性議員6~7人で衆議院規則を変えましょうという動きを起こしていました。衆議院規則の中に「産休」という一文はありますが、「育休」という言葉はない。だから、女性議員のために作った方がいいという要望を、自民党の若手男性議員たちが国会に陳情するという動きです。いよいよ陳情を持っていくというタイミングで、とあるメディアが先に報道してしまって。僕の「育児参加宣言」が「育休宣言」となっていった。この陳情も、自分が育休を取りたいがために、規則を変える動きを起こしているんだという話になってしまいました。

●経緯

・2015年5月    妻(金子元議員)が妊娠

・2015年8月    1回目の議員向け結婚式 育児参加に賛同を得る

・2015年11月   若手男性議員たちで衆議院規則を変える動きを起こす

・2015年12月23日 2回目の議員向け結婚式 メディア各局が取材撮影に入る

・2016年1月    メディアが「育休宣言」を報道、賛否両論の世論が起こる

・2016年1月18日 NPO法人ファザーリング・ジャパン緊急フォーラム

          「どうなる?議員の育休~永田町が変われば、日本の子育て・WLBが変わる」

・2016年1月27日 小酒部が宮崎氏と接見

・2016年1月末   週刊文春による女性問題の報道

・2016年2月12日 議員辞職の記者会見

(筆者作成)

小酒部:けれど、「育休宣言」と報道されたときに否定されませんでしたよね?

宮崎:はい。報道が出て騒がれていくなかで、男性の育休取得率が3%以下(当時)という事実も知って、それなら、なおさら自分が頑張んなきゃと思ったんです。

小酒部:女性議員の育休整備とは、どのようなことをしようと思ったのですか?

宮崎:そもそも概念がないこと自体が問題だと思ったんです。実際の制度設計をどうこうする前に、衆議院規則に一言入れて、古い永田町の中に旗を1つ立てたかったんです。

●安倍総理はエールを送ってくれた。けれど、先輩議員が猛反対!毎日怒鳴られた。

小酒部:当初は賛同してくれる方々もいたのですよね?

宮崎:重鎮の方々の反応は、最初から厳しかったです。総理は明言しなかった。けれど、年明けに世の中の意見が半分に割れて、安倍総理はエールを送ってくれました。「国民が議論するようなメッセージを出して、世の中に考えてもらうことは政治家として大事なこと。私だって憲法改正とか、いつもみんなが二分して議論しているじゃないか。頑張って!」みたいなことを総理はおっしゃっていた。

地元の支援者からは「アホちゃうか」と言われたり、事務所に脅迫の電話やFAXが来るようにもなりました。でも一方で、「よく勇気を出した。頑張って」という声もあった。

事務所に送られて来た脅迫のFAX/宮崎さん提供画像
事務所に送られて来た脅迫のFAX/宮崎さん提供画像

小酒部:そこから、どうして宮崎さんは苦しくなっていったのですか?

宮崎:一番きつかったのは党内ですよね。党内で勉強会を引き続きやると言ったら、まず仲間が協力してくれなくなった。世論が二分すると、案内を流しても、来てくれた人が来なくなっていった。

小酒部:陳情を出そうとしていた6~7人のメンバーたちがですか?

宮崎:そうです。同期の間にお触れが出て、「勉強会には参加すんなよ」となったそうです。

小酒部:もし、それが本当なら、ひどいですね

宮崎:毎日先輩から呼び出されて怒鳴られたりもしました。昼に電話がかかってきて、「おまえ、今どこにいるんだ」と。ちょうど議員会館でカレーを食べようとしていたら、「そんなもん食べている場合じゃない!今すぐ来い!」と言われて。すぐに国会の部屋に行くと、机をバンバン叩かれながら罵声を浴びせられました。二週間くらいほぼ毎日です。

小酒部:それは2016年1月に入って世論が二分してから?

宮崎:そうです。5人くらいの先輩議員がいて、毎日代わる代わる言われました。

小酒部:どのような内容を言ってくるんですか?

宮崎:育休自体を反対だという人もいましたし、1人でスタンドプレーをするなという内容も多かったです。先輩議員は、野党からの悪口や文句をひたすら吸収して耐えるという仕事をします。法案を通すために「すみません」と頭を下げて、何とか法案を通すという仕事なんですが、そういう中で、「何でおまえだけ目立っているんだ。みんな目立ちたいのに、おまえだけ注目されているんじゃねえぞ」と怒っている人もいました。

妻(金子元議員)も一緒に怒鳴られたこともありました。「おまえら、ばか2人のせいで」と。

小酒部:そのとき奥様は臨月ですよね。妊婦に怒鳴るのはひどいですね。

宮崎:僕が宣言しただけの話なのに、嫁さんを「ばかだ」と言うのはさすがにおかしいと思った。「嫁も連れて謝りに行け」と言われたりして。なぜ妻が謝る必要があるのか、全く分からなかった。

小酒部:それが事実なら、ひどいパタハラ&パワハラですね。

宮崎:かなり苦しかったです。

取材時に筆者撮影
取材時に筆者撮影

●本当に一人孤独だった。もう辛過ぎて…

小酒部:「宮崎さんの詰めが甘い。もっと党内の上の人にお伺いを立てて…」なんて意見もありましたが。

宮崎:確かにそういうご指摘も理解できるのですが、正規のやり方でやっていたら体よく先延ばしにされるか、潰されて終わりになっていた可能性が高い。それに、緻密な根回しが必要な内容とは思っていなかった。男性の育休推進と与党は言っているわけで。野党も絶対に乗ってくる内容だから問題ないだろうと思った。それなのに、イクメンで売っている他の議員まで批判してきて。

小酒部:世の中にマタハラとかパタハラがあるのは、ご存知ではなかった?

宮崎:あんまり分かっていなかった。まさか自分がその対象となるとは…。僕の父性の感覚では、育児参加は本当にごく普通の、当たり前なことだったから…。

僕の育休をすごい応援してくれていた、厚生労働行政に詳しいある先輩から言われました。「謙介の何気なく押したボタンが、(大御所たちの)急所だったんだよ」と。

小酒部:世論が二分ではなく、賛成が多数を占めていれば、その先輩議員たちも反対して来ない可能性がありましたよね。これは結果論ですが、宮崎さんが1月頭に記者会見を開いて、「僕がやろうとしていることはこういうことです」と、きちんと国民に説明すればよかったのではないでしょうか。そうすれば、応援する人たちはもっと増えたと思います。

宮崎:今振り返れば、そうですね。けれど、そういうことをアドバイスしてくれるブレーンもいなくて、本当に一人孤独だったので、世の中がどういうふうにバッシングしているのか、自分ではもう辛過ぎて見れなかった。

国会議員は報酬額が多いから批判されるというのであれば、自分は育児でもし仕事を休むことがあったら、その間のお金は返納しようとも考えました。

小酒部:返納するという話もありましたね。けれど返納できないんですよね。

宮崎:できない。国会議員は刑務所に入っていてもお金をもらえるんです。どういうときにお金をもらえなくするのか、返納できるようにするのかという議論も、育休の議論が終わったらしたいと思っていました。

小酒部:先輩議員たちからのパタハラ&パワハラと、女性問題が報道された後のバッシングと、どちらが辛かったですか?

宮崎:どちらも辛かったですが、種類の違う辛さでした。後にも先にもあんなに大変なことはないし、多分、今後の人生の中でも、あれ以上のことはないんじゃないかなと。

小酒部:種類がどう違ったのですか?

宮崎:取り返しがつかないことをしたという話では、女性問題ですよね。育休宣言は「大変なことになるから、取り下げたほうがいいぞ」と言う人がいたんです。けれど、「言ったものを引き返せるわけがない」と突っぱねた。でも、今考えたら、育休宣言はまだ引き返せましたよね。ここまでのことを経験すると。

取材時に筆者撮影
取材時に筆者撮影

●国会議員が子育てを経験していかないと、大きくは変わらない

小酒部:議員辞職せず、厚かましく続けるという選択肢はなかったのですか?

宮崎:何も悪いことはしていないなんて、とてもじゃないですが開き直れないですよ。嘘をつきながら議員を続けるメンタルは僕にはないです。

小酒部:嘘がつけないんですね?

宮崎:明らかに黒なのに、「私は白です」としらを切るのも辛いですよ。

小酒部:今後、国会議員の育休は放置されてしまいそうですが、どうですか?

宮崎:若い女性議員が増えてくると、こういった問題はまた出て来ます。その時には党も理解をして、逆に党の方から提案があるかもしれない。

小酒部:一人の議員が声を上げるのではなく?

宮崎:イクボスからの働き掛けがないと駄目なんじゃないですか。党からの提案というのが本来あるべき形なのかもしれません。

小酒部:イクボスになる人はいるんですか?

宮崎:10年後でしょうね。10年経てば、出るんじゃないですか。今は上が怖いから言っていないだけで、心の中はみんな違うと思いますし。

小酒部:10年後では、少子化はますます進んでしまいますね。

宮崎:難しいんですよ、永田町の力学は。理屈で動く部分と、人間関係のような感情で動く部分と両方あって。時として、感情に大きく振れるような瞬間もあって。

小酒部:そうですか。残念ですね。

宮崎:子育ては、体感、体験しないと分からないと思う。だから、本当に国会議員に経験してもらえるようにしないと、大きく変わらないと思います。

小酒部:最後に宮崎さんから何かメッセージはありますか?

宮崎:男性の育児は義務だと思っています。少子化対策と女性活躍の両立はかなり難しい。まずは、女性の負担を軽減することが必要で、そのためには、男性が家事・育児に積極的にならなければいけない。

出産直後から男性が育休を取得すれば、スムーズに育児ができるようになるので、そのタイミングでの育休取得はきわめて重要だと、自分の経験を通して思います。

今、息子は2歳半。息子との時間で人生はすごく豊かになった。男性が積極的に育児をするようになったその先には、社会全体としては絶対いいものが待っているはずです。

宮崎さん、お話ありがとうございました。

株式会社 natural rights 代表取締役

2014年7月自身の経験から被害者支援団体であるNPO法人マタハラNetを設立し、マタハラ防止の義務化を牽引。2015年3月女性の地位向上への貢献をたたえるアメリカ国務省「国際勇気ある女性賞」を日本人で初受賞。2015年6月「ACCJウィメン・イン・ビジネス・サミット」にて安倍首相・ケネディ大使とともに登壇。2016年1月筑摩書房より「マタハラ問題」、11月花伝社より「ずっと働ける会社~マタハラなんて起きない先進企業はここがちがう!~」を出版。現在、株式会社natural rights代表取締役。仕事と生活の両立がnatural rightsとなるよう講演や企業研修、執筆など活動を行っている。

小酒部さやかの最近の記事