Yahoo!ニュース

幻の都、長岡宮をフルCGで探訪 iPad片手に校外学習、変わる学びの場

小野憲史ゲーム教育ジャーナリスト
『AR長岡宮』のVR(CG)画面(アプリ画面をキャプチャ)

ARで在りし日の長岡宮を見学する

緊急事態宣言の終了とともに人の動きが元に戻りつつある。教育現場でも同様で、修学旅行や社会見学などが、全国で再開されはじめた。そうした中、GIGAスクール構想で実現した「一人一台の端末」環境を活かし、VRやARといった先端技術を活用した学びを提供する試みも始まっている。京都府向日市の史跡長岡宮跡で2021年10月22日に行われた校外学習の模様を取材した。

秋晴れのもと、京都府長岡京市立長岡第七小学校の三年生児童が約60名、史跡長岡宮跡朝堂院公園(京都府向日市)を訪れた。もっとも公園には柱跡など表面的な遺構表示と小さな案内所があるだけで、建造物などは見当たらない。すると子供たちは鞄からiPadを取り出し、アプリを立ち上げて周囲の様子を観察しはじめた。画面上には、約1200年前の朝堂院西第四堂が表示されている。AR(拡張現実)で地域の歴史に触れるというわけだ。

本アプリ『AR長岡宮』は、京都府向日市内の4つの史跡エリア(朝堂院公園、大極殿公園、内裏公園、築地跡)で、ARやVR(フルCG)を用いて、古代宮都「長岡宮」を画面上に表示させ、史跡内を探訪できるというものだ。復元された長岡宮は原寸大で表示され、GPS機能と連動しており、建物の中を歩くこともできる。向日市が国の補助金などを得て開発したもので、2014年より無料で配信されている。

しばらくすると、子供たちから口々に「蛙を見つけた」「鹿を見つけた」などの歓声が上がり始めた。いずれも「続日本紀」に記された長岡宮ゆかりの動物たちで、画面上に出現する仕掛けがほどこされている。子供たちは動物をスクリーンショットに保存したり、互いに見せ合ったりして楽しんでいた。それとともに向日市教育委員会の職員から説明された、動物たちと長岡宮の関係などに耳を傾けていた。

iPadで『AR長岡宮』を体験する児童たち(筆者撮影)
iPadで『AR長岡宮』を体験する児童たち(筆者撮影)

その後、子供たちは300mほど北に位置する大極殿公園に移動し、ここでもiPadを通して、在りし日の大極殿を「見学」していた。この日は長岡宮への遷都を実現した桓武天皇をはじめ、歴史上の人物も大極殿跡の周辺に出現(動物や人物の出現場所は日によって変化する)し、子供たちはコレクション感覚でスクリーンショットを集めていた。このように、アプリには楽しみながら歴史に触れられる仕組みが盛り込まれていた。

同校の教員によると、本会は今春に予定されていた校外実習が、コロナ禍で秋にずれこんだものだという。同校では今夏からiPadが全児童に提供され、さまざまな授業で活用されている。校庭で花の写真を撮り、調べ物学習に活用するなどは一例だ。もっともiPadを活用した校外実習は今回が初めてだった。一人一台の環境が実現できたことで、想像以上の成果があがったという。

これまでも同校では、公園内の案内所で貸し出しているタブレットを活用して、校外実習に活用していた。しかし、長年の運用でタブレットに不具合が発生するなどしたため、一人一台の環境が実現できなかった。また、天候によってGPSの精度が低下するなど、スムーズな運用が難しかったという。そうした問題が、一人一台の端末環境(しかもiPadのWi-Fiではなく、セルラーモデル)が実現したことで、ほぼ解決できたのだ。

3DCGで建造物を再現する「VRモード」(アプリ画面をキャプチャ)
3DCGで建造物を再現する「VRモード」(アプリ画面をキャプチャ)

現実空間に3DCGを重ね合わせる「ARモード」(著者撮影、以下同じ)
現実空間に3DCGを重ね合わせる「ARモード」(著者撮影、以下同じ)

向日市におけるARアプリ活用の経緯

このように長岡宮跡は地域住民の憩いの場であると共に、向日市と同市に隣接した長岡京市や京都市の一部の小学校で、校外学習などに活用されている。こうした活用ができるのも、『AR長岡宮』のリリースあってのことだ。では、向日市はどういった理由からアプリの配信に至ったのだろうか。開発を主導した向日市教育委員会の渡辺博氏と、開発を担当した、ゲーム開発会社ジーン(大阪府大阪市)の曽根俊則氏に話を聞いた。

延暦3年(784年)に平城京から遷都し、延暦13年(794年)に平安京に遷都されるまでの10年間、都が置かれた長岡京。この長岡京跡の発掘調査は昭和29年(1954年)から行われているが、10年の短命であったため、長く幻の都だった。遷都の理由も謎に包まれており、さらなる調査研究が期待されている。一方で長岡京の大部分は向日市を中心に隣接する長岡京市、京都市、大山崎町にまたがる住宅地で、大規模な整備と活用が難しいのが現状だ。

こうした中、地域住民に対する史跡長岡旧跡への理解を深めるため、AR・VRを活用したアプリを開発することになった……。開発時から一貫して『AR長岡宮』にかかわる渡辺博氏は、このように回答した。複数の企業からヒアリングし、アプリ制作に必要な仕様書などを作成して、指名競争入札を実施。以後、向日市ととの二人三脚で、運用が続いている。

本作の主な原資は文化庁の補助金などで、2013年度、2014年度、2015年度、2020年度と、2021年10月末現在で4回のアップデートを実施済みだ。初年度の製作費は約1,500万円、これまでの総事業費は約2,830万円で、約56%が国の補助金など、約38%が基金積立金で充当されている。その過程でエリアの拡張、場所を問わずに遊べる「怨霊退治」モードの追加など、さまざまな改良を行ってきた。史跡認定エリアの拡大と共に、今後もアップデートを続けていく予定だ。

アプリの総ダウンロード数と、朝堂院公園で貸し出しているタブレット利用者の合計は1万7771人(2021年8月末現在)だ。この数の評価は見方によって異なると思われるが、向日市教育委員会では2017年に国からの全額助成で、市内の古墳群を巡る『墳タビ!物集女車塚古墳』アプリもリリースしている(開発はジーン)。VRやARによる新たな史跡活用に対して、手応えを感じていると言えるだろう。

GPSを活用して、史跡跡地の場所にあった建造物がリアルタイムに表示される(アプリ画面をキャプチャ)
GPSを活用して、史跡跡地の場所にあった建造物がリアルタイムに表示される(アプリ画面をキャプチャ)

大極殿公園で発見された桓武天皇のキャラクター
大極殿公園で発見された桓武天皇のキャラクター

自治体と人材育成とゲーム業界と

本アプリのリリース後、スマートフォンやタブレットを片手に、公園を散策する児童や観光客の姿が増えたことで、市民の意識変化も生まれたという。大極殿公園の北西部には、在りし日の長岡宮の建造物を彷彿とさせる東屋が存在する。2017年にこの東屋が建造された背景に、長岡宮の建物を原寸大で現地に建築(復元)することを求める地域住民の声があった……。取材中にそのような声も聞かれた。

もっとも史跡の整備と保存は一朝一夕には終わらない。長岡宮跡が史跡指定を受けたのは1964年で、以後56年間で11回の地域追加指定を受け、保存・整備・活用を推進中だ。その後、向日市教育委員会では2020年に「史跡長岡宮跡保存活用計画」を策定し、継続的な取り組みを進めている。『AR長岡宮』も、そうした啓発事業の一環という位置づけだ。だからこそ継続的な運用が必要というわけだ。

渡辺氏は「長岡宮跡の保存・整備・活用に終着点はない」と語る。そのために史跡散策・ペーパークラフトの作成・当時の衣装の活用・紙芝居・オリジナルの遊具開発・観光部局との共同事業・FMラジオの配信など、歴史・文化遺産の活用のためであれば、内容を問わず取り組んでいる。その中でもアプリの配信は、運用面でのコストが低く、若い世代にも関心を持ってもらいやすいメリットがあるという。

大極殿公園の北西部にある東屋
大極殿公園の北西部にある東屋

大極殿公園に設置された案内板
大極殿公園に設置された案内板

実は筆者は1970年代を大阪府高槻市ですごし、京都府向日市に親戚が住んでいたこともあって、何度か彼の地を訪れたことがあった。しかし、当時はまだ整備が進んでおらず、長岡京について特に意識することもなかった。こうした中、VR・ARアプリの活用とともに、長岡京の存在があらためてクローズアップされていることを知って、懐かしく、また誇らしい気持ちにもなった。

また、アプリを活用した校外学習が小学校で実施されているのも、新鮮な驚きだった。GIGAスクール構想に対する賛否両論がある中、こうした新しい学びは次世代の人材育成に大きく貢献していくだろう。自治体によるVR・ARアプリの開発と教育のICT化がどのような相乗効果をもたらすのか。そして、そこにゲーム開発技術がどのように貢献していくのか、今後も注視していきたい。

ゲーム教育ジャーナリスト

1971年生まれ。関西大学社会学部卒。雑誌「ゲーム批評」編集長などを経て2000年よりフリーのゲーム教育ジャーナリストとして活動中。他にNPO法人国際ゲーム開発者協会名誉理事・事務局長。東京国際工科専門職大学専任講師、ヒューマンアカデミー秋葉原校非常勤講師など。「産官学連携」「ゲーム教育」「テクノロジー」を主要テーマに取材している。

小野憲史の最近の記事