種は誰のものか 地域と運動の現場から考える種子法のこれから

 2018年4月から主要農産物種子法(以下、種子法)が廃止され、そのことをきっかけに種子に対する関心が高まっている。農業にとっては重要な制度改変であるにもかかわらず、種子法廃止をめぐる国会審議は、安倍内閣の政治姿勢の典型ともいえる強引さで押し通され、あっという間に廃止法案が2017年4月に可決成立した。国会審議中から、種子法が廃止されることは日本の食料主権は放棄することに等しいといった反対論が盛り上がり、廃止後六野党が種子法復活法案を国会に提案したり、種子法運営の主要プレイヤーである県が、種子法の仕組みを継続するための条例を作るなどさまざまな動きが出ている。ここでは、そうした種子法の制度をめぐる動きを整理すると当時に、種子論議を制度論の枠組みから解き放し、人びとにとって種とは何か、という視点から考えてみる。

◆復活法案と県条例で対抗

 まずことの経過を整理しておく。廃止された種子法がいう「主要農産物」とはコメ、ムギ、ダイズの三つを指す。人びとの生命の再生産にかかわる基本食料といいかえてもよい。といっても、ムギ、ダイズはその供給のほとんどを輸入に頼っている(自給率は2017年概算でコムギが14%、ダイズが7%)から、ここで問題となるのはコメということになる。

 種子法はこれら基本食料の育種、種子の生産・普及を国の管理のもとに都道府県に義務付けた。それを受けて都道府県の農業試験場は品種の開発や、原種・原原種などの遺伝子資源管理、奨励品種を定めて地域の生産者への種子の提供などを行ってきた。基本食料の種子を開発から生産、普及まで公的に管理してきたのが種子法なのである。同時に農業競争力強化支援法第8条4項で、種子や種苗について、民間事業者の開発を促進するとともに、国や都道府県の試験研究機関がもつ種苗の生産・育種に関する知見の民間事業者への提供を促進すること、を定めた。

 こうした内容は、所管官庁である農林水産省から出てきたものではなく、内閣直轄の規制改革推進会議の農業ワーキンググループ(WG)の意見取りまとめそのものであるところに、種子法廃止の本質がある。同ワーキンググループにはこの問題の専門家は一人もおらず、グローバル企業の要求が直接現れるという意味では、きわめて分かりやすい展開だった。ほとんど審議らしい審議もなく、問題提起を無視して強行するという安倍政権の性格がもろに現れたのもうなずける。

 種子法の廃止は、基本食料の公的管理を取り払い、民間に開放することを意味する。コメの育種を市場競争の中に投げ込み、コスト引き下げと同時にこれまで公費で開発されてきた技術や仕組みを民間に開放させる狙いがあると指摘されている。こうした動きに抗して4月19日、立憲民主党、日本共産党、希望の党、無所属の会、自由党、社民党の6野党は種子法復活法案を国会に提出した。廃止になった種子法をそのまま復活させると同時に、都道府県の種子生産に関する知見の海外流出を招きかねない「農業競争力強化支援法第8条第4号」を削除するというのがその内容である。復活法案は6月6日に衆院農水委員会で審議されたが、与野党の論議は平行線のまま終わった。

 一方、県段階ではなんとか種子法の枠組みを残したいと、それぞれ独自の条例を制定したり制定に向け動いたりしている。直近までの動きでは、新潟、埼玉、兵庫の3県が条例を制定済みで、北海道、山形、長野、富山の4道県が制定に向けて動いている。それぞれ地域性を加味するなどの工夫もみられる。8月29日に骨子案を発表した北海道の場合、道・JA農協・生産者の連携と役割分担、北海道立総合研究機構などが積み重ねてきた知的財産の保護、財政措置などについて触れている。さらに、従来の種子法の枠組みを超えて、道農業の重要な構成要素である輪作体形をくるみこむ制度化も視野に入れている。

◆農民の存在があってこその種子法

 以上、種子法廃止をめぐるこれまでの経過を簡単に振り返ってみた。廃止に反対する運動側の論理は二つに整理できる。一つは、種子は農業生産にとって基本的な要素なので、その部分をこれまで支えてきた公的枠組みをはずすことは食料主権をグロ-バル企業に売り渡すことになる、という議論。もう一つは、グローバル企業とはモンサント(最近バイエルと合併)に代表される遺伝子組み換え種子産業であり、種子法がなくなることで日本の水田は遺伝子組み換え稲に占拠される、という議論だ。簡単明瞭で、わかりやすいといえばわかりやすい。だが、こうした単純な議論の立て方には違和感も感じる。同法を復活させようという野党の提案や運動には賛成だが、これだけでは今の農業や農村の現状、さらには「種子と国家と資本と人・地域の関係」をどう整理するかという問題、人類史と同じほどの射程をもつ種をどう扱うかという文化的側面などこれからを考えるに必要な視点が抜け落ちてしまうのではないかという危惧も覚えるのだ。以下、そのことを覚え書き風に書いてみる。

 

 種子法があってもこの列島の農業と農村は壊死寸前であった。1952年に議員立法で成立した種子法を理想の法律とみなす言説が、種子法廃止に反対する運動の中で広まっているが、本当にそうなのかはもっと検証する必要がある。種子法は戦時統制法を引き継ぎ、国民に食料を不安なく供給するための制度として戦後を生き抜いてきた食糧管理法(以下、食管法)を種子という側面で補完する制度であった。食管法は農民運動、労働運動の洗礼を受ける中で、生産者には再生産を、消費者には家計費の枠内で安く買える生命の再生産米価を、という二重価格制度を作り、食の民主化の主軸となってきた。だが、食管法は日本の農業をもろにグローバルな市場競争に投げ込んだガット(貿易と関税の一般協定)の多国間交渉ウルグアイランドで日本が受け入れを余儀なくされたコメ部分自由化によって1995年に廃止となり、その後生産者手取り米価は一貫して下がり続けて現在に至っている。そのことを是正しようと民主党鳩山・小沢政権の時作られたコメの戸別所得補償制度は、安倍政権の六年間で解体の道を歩んできた。

 民主党政権は食管法に代わり、グローバル時代に整合する仕組みをつくり、コメ生産とコメ農民のくらしの安定を図った。その戸別所得補償制度の柱である直接支払い交付金が今年度で終わる。食管制度―個別所得補償と続く農民の生存権を保障し農業と農村を守る制度が終わることは、種子法の使命の終わりを意味する。種子法の存続を説く運動は、種子の大切さをいうが、農民の生存権についてはほとんど言及しない。種子法が残っても、農民がいなくなれば種子法の成果は資本が利用するしかなくなる。

 種子法についてさらに言えば、種子法はそんなにいいことづくめの法律だったわけではない。種子法がこの列島の稲の多様性を守ったという説が広まっているが、逆に種子法が列島の稲の多様性を押しつぶした側面を見逃すことはできない。富山県の稲作農家生まれの研究者刑部陽宅はわが家の稲作史を書いた『稲作の戦後史』(2013年、東京図書出版)で、昭和30年に12品種作付けていたのが平成3年には2品種、同10年には1品種になったと記している。

 1970年代終わり、山形県庄内地方を稲作の取材でたびたび訪れていた。当時庄内は宮城県大崎地方と並んでササニシキのメッカだった。同じような人気品種コシヒカリと並んで、ササコシ時代といわれていた。20代後半から30代初めの稲作青年にも多数会った。彼らから異口同音に「コメ作りを始めて、ササしか作ったことがないので、ほかの品種に怖くて手が出せない」という話を聞いて愕然としたことを覚えている。コシと比べもともと地域適応性が弱いササニシキなのだが、高値に売れるとあって不適地にも作付けが拡大、次々問題が出てやがてすたれていった。今ではササニシキは一地方品種として命脈を保っている存在になっている。

 そして今、列島の品種構成はコシヒカリの遺伝子を持つコシヒカリ系で7割を超えるのではないか。列島の稲作は種子法体制下で著しく遺伝的多様性を失い、劣弱化している。その原因を追っていくと、コメの市場性と機能性追求に傾斜したここ3,40年来のコメ育種政策に行きつく。多収安定生産よりもおいしくて売れるコメ作り、そのための新品種育成が推奨された。それは国策ともいえるものだった。ササニシキ、コシヒカリを超える品種として秋田県が満を持して発表したあきたこまちは(これもコシヒカリ系)、県外持ち出しを厳重に規制したが、あっという間に県境を越えて広がっていった。

 食管法が廃止され、市場競争を前提とする食糧法時代に入ると、この傾向はいっそう強まり、道府県ごとの市場競争が激化、ちょっとした新趣向を凝らした新品種が次々県奨励品種となって市場に投入され、いまコメ市場は乱戦状態に陥っている。日本のおいしいコメをアジアに富裕層にというコメ輸出戦略が、その競争にいっそう輪をかけている。

 こうした現実を見ない種子法復活論議では、これからを切り拓いてく際の説得力に欠ける。いま道府県で進んでいる条例づくりも、県間競争に後れを取らないためのインフラ作りという見方も成り立つくらいだ。

◆秩父の風土の中で考えたこと

 種子法による種の公的管理が、時代の要請によってコメの市場競争と育種合戦をつくり出した、と述べた。こまでくるともう種子法廃案まであと一歩である。そして案の定廃止になった。

 ではどうするのか。先にこれからの議論の視点の一つとして「種子と国家と資本と人・地域の関係をどう整理するか」と書いた。今の種子法論議は「種子の公的管理か資本の管理か」という二者択一の枠で行われている。「公」には権力が伴う。公的管理の主役はいうまでもなく「国」である。育種の国家管理については、私たちはコメ品種を先兵とする朝鮮半島と台湾への植民地侵略という苦い歴史をもっている(このことに触れる余裕はないので、興味ある方はインターネット新聞『日刊ベリタ』掲載の大野「種とナショナリズム」を読んでいただきたい)。

 いま必要なのは、資本か国かという二者択一の単純な議論ではなく、「種は誰のものか」という種論議の本質に立ち返ることだろうと考えている。「種と人・地域」の関係性を種子法論議に入れ込むのだ。それを「共」と呼ぶことにする。首都圏の西のはずれの山間地帯、秩父に住んで、仲間と雑穀自由学校(主宰西沢江美子)をやり、もともとこの地で作られていたはずのアワやキビ、ヒエなど雑穀や地種のダイズ、イモ、戦前作出されたパン用小麦などを作っている。そのために、秩父の山と谷の村を訪ね、山村の命をつないできた豆やイモの話を聞き、種を分けてもらったりという動き方を続けている。

 なぜこんな話をするのか。現在の種論議の中で百姓と地域の姿が見えてこないからだ。種は誰のものか、と問われればちゅうちょなく「百姓のものだ」と答える。その百姓不在の運動にどこか違和感も覚える。百姓がみえないから地域も見えない。本来、農業と風土は切り離せない。地域には地域特有の風土がある。地域の風土が地域の農業をつくり、人びとの生きる糧を供給してきた。だから、その風土が育てる農業もまた、地域ごとに異なる。耕し方も作り方も品種も、それぞれ地域特有のものがある。品種の場合、それを地種(じだね)といった。そこから地域特有の食材が作られ、それが地域特有の食文化を生んだ。農業も食も食文化も、だから多様なのだと思う。秩父の険しい山と深い谷筋がつくり出した複雑な地形、そこに住む人びとが共同の力で育ててきた多様な農と食の文化に接していると、制度論に偏りがちな今の種子法論議の限界が見えてくる。

◆市民の力

 もう一つ、書いておかなければならならないことがある。種子法がなくなると日本の種子はモンサントなど多国籍企業に押さえられ、日本の田んぼはたちまち遺伝子組み換えイネに埋まってしまうという言説が広がってることについてだ。この説はまちがいといえないまでも、重大な欠陥がある。

 確かに現在世界の種子市場は巨大農薬・種子企業による寡占化の状態にある。ダウ・ケミカルとデュポンが対等合併した「ダウ・デュポン」、シンジェンタの買収した中国化工集団ChemChina、そして最近のバイエルによるモンサント買収。この三社で世界の種子市場で約6割のシェアをもつとされている。その巨大な圧力と政府のゆるふん規制のおかげで、日本は遺伝子組み換え食品の世界有数の輸入市場となっている。だがその一方で、国内での遺伝子組み換え作物の栽培は行われていない。消費者と生産者が力を合わせての運動が、それを許さないで来たからだ。「遺伝子組み換え食品いらない!キャンペーン」代表の天笠啓介さん(科学ジャーナリスト)は多岐に渡るその運動を次のように整理している。GM(遺伝子組み換え)稲の栽培阻止、GMOフリーゾーン運動、大豆畑トラスト運動、GM食品表示運動、検査運動、GMナタネ自生調査運動、カルタヘナ法改正運動、自治体規制条例制定運動、国際連帯活動、等々だ。(『農民新聞』2018年6月15日号)

 これらの運動は、天笠さんと並んで筆者も共同代表を務める日本消費者連盟が運動の中軸を担ってきたし、これからも運動を弱めるつもりは毛頭ない。種子をめぐるこれからの運動は、地域で種を守り続けてきた百姓、この列島で遺伝子組み換え作物の栽培を許してこなかった市民の存在を認め、信頼することから始まるのだと考えている。