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モンサントの原罪を描く映画『花はどこへいった』

大野和興ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長

農薬が化学兵器の平和利用であると書いたのはレイチェル・カーソンである。出版された当時、ケネディ大統領に大きな影響をあたえた『沈黙の春』のはじめの部分に述べられている。自然と共生し、自然を生かすことで果実を得ることを基本に発展してきた農業技術が、農薬の登場で「自然を生かす」技術から「自然を殺す技術」へ180度転換した。その農薬が再び兵器として使われたのがべトナム戦争であった。枯葉剤である。多国籍化学企業モンサントの除草剤が使われた。映画『花はどこへいった』(制作・監督 坂田雅子)はその事実を静かに告発する。

◆夫を枯葉剤で亡くして

2008年に公開された映画『花はどこへいった』を、昨年12月に都内で開かれた国際有機農業映画祭で改めてみた。ベトナム戦争中、米軍によってベトナムの森や野にまかれた枯葉剤の影響を追う映画を何故有機農業を銘打った映画祭が上映したのか。この映画祭では水俣病に文字通り生命をかけて取り組み、昨年亡くなった医師原田正純氏を追った熊本テレビが制作した作品も上映された。3・11原発事故がもたらした底知れない放射能禍を重ね合わあわせると、農業や環境をテーマとした他の作品とならべて枯葉剤と水俣病を取り上げた映画祭運営委員会の意図が浮かびあがる。

夫を肝臓がんで亡くした妻。フォトジャーナリストとして世界中を飛び歩いていた米国人の夫は青年時代ベトナム戦争に従事し、枯葉剤をあびた経験があった。夫の友人から、夫が若くして死んだのはそのせいではないかと示唆され、カメラをかかえてべトナムに飛ぶ。この映画を制作・監督した坂田雅子さんだ。坂田さんがベトナムで目にしたのは、枯葉剤が、ベトナム戦争が終わって30年たった当時もなお人々のいのちと大地と水を蝕み続けている現実だった。映画はその現実を追って、村に入り、人びとの話を聞き、ありのままを淡々と追う。

枯葉剤。オレンジ爆弾とよばれたこのものは、猛毒ダイオキシンを大量に含む強力なモンサント社製の除草剤を兵器化したものだった。ベトナムの山や森に潜む解放軍兵を狩りだすためには、樹木を枯らさなければならない。その目的で使用されたものだ。ダイオキシンの毒性はサリンの2倍、青酸カリの1000倍といわれている。極く微量で遺伝子の特定部分と結合し、発ガン、催奇性、免疫の異常、発育の異常などをもたらす。

タイトルとなった「花はどこへいった」はビート・シガーによって制作され、1956年に発売されたが、その後さまざまな歌手によってカバーされ、ベトナム戦争を背景に広く歌われた曲だ。特にピーター・ポール&マリーによってべトナム反戦歌として定着した。

花はどこへ行った 少女がつんだ

少女はどこへ行った 男のもとへ嫁に行った

男はどこへ行った 兵隊として戦場へ

兵隊はどこへ行った 死んで墓に行った

墓はどこへ行った 花で覆われた

いつになったら わかるのだろう

◆三世代に影響

映画を見ながら、2009年に訪れたベトナム・ダナン の枯葉剤被害者サポートセンター(DA NANG Suport Center for Agent Orange Victimus)で遭遇したことを思いだした。ピースボートに水先案内人で乗船し、その旅の途中で立ち寄ったものだ。訪れたセンターはベトナムを逃れて米国に渡たり、ベトナム戦争に翻弄される人びとの様子を描いて世界的に有名になった『天と地』(1993年、オリバー・ストーン脚本・監督で映画化されている)の女性作家が支援して立ち上げ、日本を含む世界の市民がサポートしている施設だ。センターには日本からの女性6人を含め、米国、フランス、イタリアなどからのボランティア13人働いていた。

ここに通っている枯葉剤の被害者は5、6歳の幼児を含め80人。みんな心身の障害を持つ人たちだった。サイゴン陥落でベトナム戦争が終わったのは1975年だから、この時点ですでに34年が経過している。センターにいる幼児は直接被曝者の3代目に当たる。枯葉剤の悲劇が代を継いで引き継がれている 実態を前にして、暗然となった。

枯葉剤との遭遇はこれ一度ではない。90年代後半、ベトナム中部の古都フエから山間地帯に入った山岳少数民族の村を訪れたことがある。山の中をホーチミ ンルートが通り、その村にはベトナム民族解放軍の兵士たちを攻撃するための米空軍基地がおかれていた。基地には枯葉剤の置場もあった。ぼくが訪れた数年前、カナダのNGOが来て、環境調査をしたということを聞いて、その調査資料を探し出し、自転車を借りてフエの街を駆け回ってコピーしてくれる店をさがしまわった。コピー代はとても高かったが、いくら払ってもいいという気持ちだった。村人が住み、耕し、水を使い、赤ちゃんを育てる、そのすべてに高濃度のダイオキシン汚染が見られた。一度自然界に放出された汚染物質は、とどまることなく生命を侵し続ける。

アメリカの戦争犯罪が裁かれるのはいつになるのか。

モンサントはいま世界最大の遺伝子組み換え作物の企業となり、全世界に売りまくっている。それを並行して、世界中に遺伝子汚染が広がっている。

ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長

1940年、愛媛県生まれ。四国山地のまっただ中で育ち、村歩きを仕事として日本とアジアの村を歩く。村の視座からの発信を心掛けてきた。著書に『農と食の政治経済学』(緑風出版)、『百姓の義ームラを守る・ムラを超える』(社会評論社)、『日本の農業を考える』(岩波書店)、『食大乱の時代』(七つ森書館)、『百姓が時代を創る』(七つ森書館)『農と食の戦後史ー敗戦からポスト・コロナまで』(緑風出版)ほか多数。ドキュメンタリー映像監督作品『出稼ぎの時代から』。独立系ニュースサイト日刊ベリタ編集長、NPO法人日本消費消費者連盟顧問 国際有機農業映画祭運営委員会。

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