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前阪神・守屋功輝投手が日本製鉄鹿島へ!「玉置さんと同じ道を歩みます」

岡本育子フリーアナウンサー、フリーライター
2015年8月30日、姫路での野球教室で子どもたちと話す守屋投手。

 2022年も残り何日、というフレーズを聞くようになった12月半ば、嬉しい知らせが届きました。阪神に8年間在籍し、このオフに戦力外通告を受けた守屋功輝投手(29)が、社会人チームの日本製鉄鹿島でプレーすることになったというものです!

 11月8日に仙台で行われたNPB12球団合同トライアウト。阪神タイガースからは、ことし戦力外になった選手のうち小野泰己投手(28)はオリックス、尾仲祐哉投手(27)はヤクルトへの入団が決まり、牧丈一郎投手(23)は引退を発表したため、守屋投手が1人で参加しました。

 でも、“元阪神”ではソフトバンクの中谷将大選手(29)や、日本ハムの谷川昌希投手(30)が受験。そして中谷選手と同期の一二三慎太さん(30)も投手として挑戦したトライアウト。その模様は、守屋投手の結果とコメントもありますので、こちらからご覧ください。→<球場に流れた最初で最後のアナウンス「ピッチャーは一二三慎太、阪神タイガース」>

11月8日の合同トライアウト(仙台)にて。
11月8日の合同トライアウト(仙台)にて。

◆つながった縁と機会

 右肩痛から復帰し、さあこれからというところだった守屋投手に告げられた戦力外。でもトライアウトでは、まさに本領発揮の見事なピッチングでした。残念ながらNPBからのオファーはなかったものの、いくつかの社会人チームに声をかけてもらったようです。

 そして先日、日本製鉄鹿島から正式に“合格”の通知があったと連絡が来たので、ここまでの経緯を語ってもらいました。

 実はトライアウト前日、近鉄とオリックスでプレーして現在は関メディベースボール学院の代表である井戸伸年さん(45)と食事をしたのが、大きなきっかけになったようです。

 井戸さんはHonda鈴鹿でコーチをされていた縁もあって、守屋投手いわく「もともと大変お世話になっていた」とのこと。そして井戸さんがプロ入りまでに所属していたのが住友金属、住友金属鹿島でした。

 井戸さんからの連絡を受け、日本製鉄鹿島の中島彰一監督(56)は、なんと翌日のトライアウトを見に仙台まで来てくださったとか!あのトライアウトでの好投を監督自身の目で、しっかりご覧になったというわけです。

 「その日にもう『野球部としては前向きに検討します。会社がOKを出すかどうかはこれからだけど』と言っていただきました」。本当に最高の内容でしたから、きっとNPBから話があると思ったくらい。でも野球を続けられるのは何よりですね。

 「はい、本当にありがたいです!」。NPBが第一希望だったと思いますが、社会人という選択肢も?「もちろん!もちろんです。それで前日の食事の時、井戸さんにも『NPBの話がなかったら社会人へ行きたいです』と言ったんですよ。じゃあ…って中島監督に電話を」

 なるほど、これはもう人の縁とタイミングによるもの?もちろん、そこには当日の素晴らしいピッチングもあったからこそでしょう。そして先月半ばに内定をもらったそうです。

ルーキーだった2015年7月15日、鳴尾浜での練習風景です。
ルーキーだった2015年7月15日、鳴尾浜での練習風景です。

◆玉置先輩との再会

 さらに、先月末には中島監督との会食もありました。守屋投手に会うため、わざわざ大阪まで来られた監督が「玉置も連れていくよ」と。阪神の先輩で、今度は日本製鉄鹿島の先輩にもなる玉置隆さん(36)は2019年11月の社会人野球日本選手権大会をもって引退し、社業(鴻池運輸)に専念。今は関西で勤務しています。

 「実は玉置さんの連絡先を知らなくて…」と守屋投手。なるほど、それなら直接会えて一番よかったかも。玉置さんと守屋投手は、阪神で2015年の1シーズンだけ一緒にやっています。

 食事の席で中島監督とはどんな話を?「もう内定をいただいたあとだったので、是非うちへ来てくださいと言われて。いやもう、こちらこそ!よろしくお願いします!と答えました。玉置さんにも『お前の、この選択は絶対に間違っていない。一番いい選択をしている』と言ってもらって」

 さすが玉置さん、今も変わらず熱い(笑)。鹿島の野球部は最高のチームだと常に言っているくらいなので、同じ阪神から守屋投手が行くというのは嬉しいでしょうねえ。

 すると守屋投手が「玉置さん、鹿島ですごい活躍をしたじゃないですか」と言うので、そうですねと答えたら「だから…プレッシャーがヤバいんですよ~。ほんまに」と苦笑い。あー、そこですか!

これは2018年7月24日、BCリーグ・石川との練習試合(金澤市民)で試合前練習中。
これは2018年7月24日、BCリーグ・石川との練習試合(金澤市民)で試合前練習中。

◆のしかかるプレッシャー…

 玉置投手は入社1年目の都市対抗予選で力投し、チーム3年ぶりの本大会出場を決めました。秋には、これまた4大会ぶりの社会人野球日本選手権も出場。この東京ドームと京セラドームの“ダブルドーム”出場は、日本製鉄鹿島にとっても、前身の住友金属にとっても初めての快挙だったのです。

 その当時の記事は、こちらからご覧ください。

     ↓

<社会人の夢・東京ドームへ!もと阪神の選手たちが戦った都市対抗予選>

<もと阪神・玉置隆投手 無四球完封で決めた新日鐵住金鹿島の日本選手権出場!>

 特に忘れられないのは日本選手権出場と、それによってチーム史上初のダブルドーム出場を決めた試合です。社会人1年目の玉置投手が、なんと無四球完封で導いたのですから。もう6年前のこと。懐かしいです。

 守屋投手も、そんな玉置さんの活躍をよく知っていて「玉置さんが在籍中、ずっとダブルドーム出ているんですよ。それって、ほんまにすごいこと!ほんまにすごいんですよ。メチャクチャすごい!4年連続ダブルは、ほんまにすごいです」と力説。よってプレッシャーも半端ないということでしょう。

 そして中島監督との会食から数日後に、今度はチームの選手たちとも食事をしたそうで「そこでも、やはり言葉にはしないけれど“玉置さんぐらいの活躍をして当然”みたいな、“それほどの助っ人が入ってくる”っていう空気が…」と守屋投手。

 それは光栄な反面、かなりの重圧でしょうね。「いや~もう、それを楽しく思ってやりますよ」

 玉置さんのように先発も?「はい。先発で考えているって言われましたよ、一応」。いつ以来?「プロ初登板が先発で、最後が2年目ですかね?6年ぶりくらい。2軍ではそのあとも何度かありますけど」

 まあ玉置投手も同じような状況でしたし。「玉置さんはプロで4イニングが最長らしいですね。それで完投もしていたとか」。そうそう!確かに公式戦での完投も完封もあります。「だからお前も絶対いける!って言われました。いいから、いいからって」。勝手に断言している(笑)。

 「ほんと期待に応えたいですねえ」としみじみ語る守屋投手に、そこまで期待されるのはやっぱり嬉しい?と尋ねたら「嬉しいというか、ほんと幸せですね」と言葉を噛みしめているようでした。

2018年2月25日、安芸キャンプでJR四国との練習試合に先発した守屋投手。
2018年2月25日、安芸キャンプでJR四国との練習試合に先発した守屋投手。

◆目標はもちろんダブル!

 今後の予定は?「年明けの1月4日に入寮して、そのままチームに合流です。それまでは関メディで練習させてもらいます」

 鹿島で暮らすうえで、野球でも私生活でも一番頼りになるのが、玉置さんと同い年の片葺翔太捕手(来季からコーチ)だと思います。玉置さんとも、まるで恋人同士のような付き合いでしたので。あ、これは片葺さんいわく、です。

 チームの方々との飲み会で話をしたか聞いたら「片葺さん、会いましたよ。大ファンや!って言われました」とのこと。目に浮かびます。バリバリの関西人ですからね。さぞ楽しい会だったのでしょう。

 「すっごくいい雰囲気でしたねえ、チームが。だって監督と飲みに行くなんて、僕は社会人時代になかったので。これはもう、この監督のためにみんな頑張るわ!って思いました。玉置さんにも『この監督やから、お前は絶対成功する』って太鼓判押してもらったんです」と、守屋投手も楽しそうに振り返っています。

 そんな監督やチームに迎えてもらって、来年から鹿島のユニホームで戦う守屋投手。2018年にファームが日本一になって矢野燿大監督を胴上げしたのですが、次は1軍と誓った夢はかないませんでした。でも今度は中島監督を胴上げできたらいいですね。では最後に目標を。「ダブルドームですよ、もちろん!」。はい、しかと承りました。

2015年12月4日、尼崎市の一日人権擁護委員を務めた守屋投手。インタビューを受けて笑顔を見せています。
2015年12月4日、尼崎市の一日人権擁護委員を務めた守屋投手。インタビューを受けて笑顔を見せています。

◆玉置さんも感動した男気

 では続いて、玉置隆さんの話もご紹介しましょう。連絡先を知らなかった守屋投手は、玉置さんの1つ後輩の鶴直人さん(阪神タイガース事業本部振興部)に聞いたそうです。ああ、それで連絡がついたのかと思ったら…ちょっと違いました。

 玉置さんいわく「その前に、中島監督が守屋に挨拶をしたいと大阪に来られ、食事会があって僕も行きました。鶴からの連絡はそのあとに来たんですよ」とのこと。なるほど、それが前出の会食ですね。じゃあ守屋投手は先に直接報告ができたわけで、それはそれでよかったかもしれません。

 とはいえ、守屋投手の獲得について玉置さんは前もって監督から聞いており、それで食事会にも来てくれと言われたとか。なるほど。その席で玉置先輩は日本製鉄鹿島野球部のこと、中島監督のことを熱く語ったわけです。

 「何より本人の意思が強かったんですよ。僕は家族もいたから鹿島へ行くことに対して悩みもありましたけど、守屋はそういうのがなく、いずれ関西に戻りたいってのもないみたいで、ただ鹿島へ行って野球をやらせてほしいです!社会人やりたいです!と言っていましたね」

 さらにこんな話も。「守屋は他のところからもオファーがあったらしいんですけど、その契約内容も聞かずに『鹿島さんでやらせてもらいます』と返信したみたいで。すごい男気なんですよ」。へえ~!知りませんでした。そうだったんですか。

 玉置さんにとっては阪神の後輩でもあり、思い入れも強い?「そうですし、やっぱり今後そういう話をする仲間ができるってのは嬉しいですね。鹿島の熱い野球とか、社会人の面白さとか。守屋はもともとHonda鈴鹿にいたから知っているんですけど、ただ鹿島はもっと、どこよりも熱くて泥臭いチームですので」

 「あそこに僕も、30歳で行ってよくやったなあと思うくらいの練習量もあったんですが、そこに同じ歳で守屋も飛び込むというのは縁をすごく感じました。あと僕が入部した時の同期メンバーの大貫とか林とか西村とかが、守屋と同い年なんですよ。そこも縁ですね」

 林悠平選手は今季キャプテンとしてチームを引っ張っていて、大貫晋一投手はDeNAで頑張っています。元阪神の横田慎太郎選手によく似ている西村竜治選手は残念ながらもういませんが、同い年とは。本当に不思議と縁がありますねえ。

※2018年の社会人野球日本選手権(京セラドーム)にて。とてもとても頼もしい存在でした。
※2018年の社会人野球日本選手権(京セラドーム)にて。とてもとても頼もしい存在でした。

◆守屋投手に託す大仕事

 守屋投手からの連絡が「玉置さんと同じ道を歩みます」だったと告げたら、玉置さんは「あははは」と笑ったあと「すごく嬉しかったですね。まさか阪神からまた鹿島に行く選手が出てくるとは思っていなかったのでね」と言っていました。

 ただし玉置投手の活躍があるため、相当なプレッシャーだとも。「まあ予選は頑張れましたけど、僕がやり残したことなんていっぱいありますから。一番はやっぱりドーム、全国大会の場で、決勝まで行けなかったこと。今まで鹿島は決勝に行ったことがないんですよ」

 「都市対抗も日本選手権も、ベスト4は2回ずつあるんですけど決勝戦はなくて…。準優勝、優勝ってのは一度もないので、そこは僕の最大の目標でした」。それでも日本選手権の2度のベスト4は玉置投手がいた2018年と2019年ですから、大したものです。

 「でも最後まで(決勝戦出場は)達成できなかったので、その大仕事を守屋にやってほしいと思いますね」

 それそれ、守屋投手がまたプレッシャーだと言っていましたよ。とにかくダブルドームは達成したいと。「そこが一番大変だとは思うんですけどね。そこを突破すれば、また見えてくると思うんで」

 さらっと4年連続ダブルドームって言っていますけど、すごいことなんですよ!と何度も繰り返していました。「そうなんですよ~。僕も正直、奇跡の4年間やったなと思っていますんで。もう一回やれと言われたら絶対ムリです(笑)」

 ほんと見事に4年間、全部ダブルドームでしたからね。「チームの結束力が一番の要因だと思うんですけど、そういうとこも守屋が作っていってくれたらいいですね。チームの雰囲気とか。マウンド以外でも頑張ってほしいです」

 玉置さんの言う“奇跡の4年間”、こちらでご覧ください。→<元阪神・玉置隆投手 野球人生のエピローグは「最高に幸せな4年間でした」>

※2019年、玉置投手にとって最後の日本選手権。京セラドームで投げる姿を間に焼きつけました。
※2019年、玉置投手にとって最後の日本選手権。京セラドームで投げる姿を間に焼きつけました。

◆鹿島サイコー!と思ってほしい

 結果的には1シーズンしか一緒にプレーはできなかったけれど、阪神時代の守屋投手はどんな印象だったかと尋ねたら「ひたすら野球に全力で、ひたむきに努力する子だなというイメージがありました」という答え。そのあと「何より…」と続きました。

 「僕はその年に戦力外になったんで、一緒にご飯を食べに行ったり、プライベートで遊んだりというのはなかったんですけど、送別会には顔を出してくれましてね。すごく仲のよかったメンバーの中に、なぜか守屋も入っていて(笑)。情に厚い子なので来てくれたんですよ」。

 そんなエピソードがあったんですね。

 「いや~これから楽しみが増えますねえ。今までやっていた選手がだいぶいなくなったし、片葺も(現役選手を終えて)コーチになりますし。中島監督がやっている以上、またお世話になった鹿島野球部でもあり今後も見に行くつもりではいましたが、やっぱり知っている選手が出ている方が楽しいので」

 「そういう点では守屋が来てくれて嬉しいのと、守屋にも野球をした上で“鹿島サイコー”って思ってほしいですね。僕もこの4年間でいっぱいできた思い出というのは、一生の財産なので、こういう同じものを守屋も作ってほしいです。次の人生にも必ずつながってくると思います」

 「守屋の場合は、そのままコーチとか、ゆくゆくは監督とかの話があれば。なんだったら、この先何十年も野球に携われるチャンスはいくらでもあると思うので、そういうきっかけになる結果を出してほしいですね」

 やっぱり熱いです、玉置先輩。

 「そうそう、(片葺)翔太からソッコーで電話がかかってきましたよ。守屋メチャクチャええ奴やん!って。いじめるなよと言うときました(笑)。守屋は酒が飲めないのに、無理やり飲ましたみたいで。早速やってますね、あいつ」

 そう言って楽しそうに笑いつつ「現役の翔太を知らないのはちょっと残念ですけど、翔太の男気とか熱さは一緒に入ればすぐわかると思いますので」と玉置さん。はい、きっと片葺コーチにも可愛がってもらえるはずです。

 「1か月後には監督の家に乗り込んで、一緒に飲んでますよ。片葺が連れていくでしょう。また片葺の金がなくなりますね(笑)、面倒をみる後輩が増えると」。自宅で選手と飲んでくれる中島監督も、自腹で面倒を見てくれる片葺コーチも、本当にありがたい。よろしくお願いします!

※2018年の日本選手権で勝利インタビューを受けている日本製鉄鹿島(当時は新日鐵住金鹿島)の中島監督。かなり緊張されています。
※2018年の日本選手権で勝利インタビューを受けている日本製鉄鹿島(当時は新日鐵住金鹿島)の中島監督。かなり緊張されています。

◆誰かのためにやる野球を

 ところで、中島監督は守屋投手のことをどんなふうに話していましたか?「謙虚さも、野球に対する思いも伝わってくるし、ほんまにいい選手だというのはわかっていると、本人に直接伝えていましたよ」。そうなんですね。

 「あと、僕と初めて会った頃に似ていると何度も言っていましたね。雰囲気とか、やってくれそうな感じがするとか。あの頃を思い出すわ~って。ちなみに守屋と違って、僕に関しては監督も最初はまったく期待していなかったみたいですけどね(笑)」。あら、それは初耳のエピソードでした。

 「守屋も、社会人で頑張って出戻りということもありますからね。その時、中島監督の性格からすると『それはもう守屋、行ってこい!』って送り出してくれる人です。ただ守屋は人間的に見て『いや、鹿島さんで』と言いそうですけど」。はい、その律義さ。わかる気がします。

 阪神時代、ファームの遠征先で試合後に話を聞かねばならないのに、もうバスに乗り込んでしまった守屋投手。ダメもとで窓の外から合図をしたら、快くバスから降りてきてくれたことがありました。

 鳴尾浜でも、建物内に入ってしまったらもう取材できない状況で、その様子を察した守屋投手がわざわざ姿を見せてくれたり。先月のトライアウトでも、空港で律儀に対応してもらったこと感謝しています!自身の手間をいっさい苦にしない、まさに好青年ですね。

 話を戻しましょう。玉置さんみたいな活躍ができるか、心配していたと告げたら「大丈夫です。僕、ドームで(先発して)いきなり5点取られて2/3回KOがありますもん。そういう思い出したくない過去もひっくるめて、いい思い出ですけど」と玉置さん。

 本当に、取材した私にとっても阪神時代を超えるほど印象深い4年でした。「そうですね。僕もそうですし、家族も同じことを言っていました。楽しかったと。僕も高校以来の熱い野球というか、誰か人のためにやる野球っていうのを最後にできたのが、いい思い出として残っています」

 守屋投手にも積み重ねてほしいですね。そんな時間を。「また新しい自分を見つけてほしい。まだまだ成長するので」。そして最後に、試合を見に行きましょう!と声をかけたら、玉置さんは

 「ちょっと今、守屋が頑張っている姿を想像したら、既に泣きそうになってきました」

 と言って笑います。情の厚さも、熱い男気もお互い様ですね。

※2019年の日本選手権にて。日本製鉄鹿島は2年連続のベスト4でした。
※2019年の日本選手権にて。日本製鉄鹿島は2年連続のベスト4でした。

 <掲載写真の※印はチーム提供、他は筆者撮影>

フリーアナウンサー、フリーライター

兵庫県加古川市出身。MBSラジオのプロ野球ナイター中継や『太田幸司のスポーツナウ』など、スポーツ番組にレギュラー出演したことが縁で阪神タイガースと関わって約40年。GAORAのウエスタンリーグ中継では実況にも挑戦。それからタイガースのファームを取材するようになり、はや30年が経ちました。2005年からスポニチのウェブサイトで連載していた『岡本育子の小虎日記』を新装開店。「ファームの母」と言われて数十年、母ではもう厚かましい年齢になってしまいましたが…1軍で活躍する選手の“小虎時代”や、これから1軍を目指す若虎、さらには退団後の元小虎たちの近況などもお伝えします。まだまだ母のつもりで!

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