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阪神・横山投手が3年半ぶりの1軍登板「感謝の気持ちをボールに込めて」

岡本育子フリーアナウンサー、フリーライター
昨年7月4日、鳴尾浜で手術後初の実戦登板を終え、笑顔で取材に応じる横山投手。

 阪神タイガースの2014年ドラフト1位・横山雄哉投手(26)が、左肩の手術と育成選手契約を経て、きょう10月3日に1軍へ戻ってきました。そして即、甲子園で行われた巨人戦の9回に登板。2017年4月23日の巨人戦で先発し、勝利投手になって以来3年半、1260日ぶりの1軍マウンドです。

 また甲子園での登板は2016年5月18日の中日戦以来で、約4年半前のことになります。ただ甲子園という点だけなら、ことし9月18日のウエスタン・中日戦も甲子園開催でしたが、“1軍の甲子園”という意味では4年半ぶりですね。

 きょうの巨人戦は点差の割にちょっと重苦しい展開で、結局は7回以降に点を取られて敗戦。横山投手が投げた9回も、先頭への四球と続くホームランで2点を追加されています。そのあとヒットを許しながらも後続を断ち、何より1イニングを投げきってくれたのでホッとしました。

感謝の思いをマウンドで表現したい

 では、この巨人戦が始まる前に球団広報から届いた横山投手のコメントをご紹介します。

 1軍に合流して、甲子園のグラウンドに入った時の気持ちを聞かれ「懐かしさがありましたし、緊張感もありますが、やってやろうという気持ちです」と言い、周囲から何か言葉をかけられたかとの質問には「矢野監督に挨拶をした時、『まずはここまでお世話になった方々に感謝の気持ちというものを込めて投げるように。結果はあとからついてくるものだから、まずはそういった気持ちを持ってやりなさい』という言葉をかけてもらいました」と答えています。

 また9月30日、石井将希投手(25)とともに支配下選手契約された際の質疑応答で、左肩手術からの2年間で成長した部分を聞かれた際に「まずは肩の状態がよくなって腕をしっかり振れるようになってきたところが一番の成長で、あとはメンタル面でもしっかりくじけずに毎日、野球に取り組めたこと」と答えていた横山投手。

 この時の発言を踏まえ、メンタルも成長したと話していましたが、どのような投球を見せたいですか?と聞かれると「僕自身も監督に言われたような、お世話になった方々に感謝の気持ちを持って投げる姿を見せたいと思ってやっていたので、そういった気持ちをマウンドで表現できればと思います」と話しました。

左肩手術と育成契約の2年間

2016年10月7日、みやざきフェニックスリーグの街中イベントにて。
2016年10月7日、みやざきフェニックスリーグの街中イベントにて。

 横山投手は新日鐵住金鹿島(現・日本製鉄鹿島)から2014年のドラフト1位で阪神に入団。ルーキーイヤーの2015年は1軍で4試合(先発3試合)に登板しています。後半はファームでしたが、8月9日に地元の山形で行われたイースタン・楽天とのファーム交流試合で2安打完封勝利を挙げました。これが“プロ初完投初完封”です。

 2016年には1軍で3試合に登板して、プロ初勝利を含む2勝をマーク。しかし2017年は前述の4月23日の1試合のみ。1軍、2軍とも先発は1試合ずつで、ともに5イニングでした。そして2018年は公式戦登板がなく、ファームでも2月と5月の練習試合に登板しただけで、8月に左肩を手術しています。オフに翌年の育成選手契約が発表されて背番号は115に。その時の記事はこちらからご覧ください。→<阪神・横山投手と横田選手「一日も早く支配下へ」と誓った契約更改>

 リハビリを終え、2019年7月4日のウエスタン・オリックス戦(鳴尾浜)で実戦復帰。→<横山雄哉投手がファンの声援で実感した“スタートライン”> 先発は8月14日のオリックス戦(オセアン)で、5イニングを投げてリハビリ組卒業。以降は先発での登板を続け、計8試合(先発5)で1勝1敗という成績です。9月18日の広島戦(由宇)での6イニングが最長でした。

 そして6年目の今季、育成選手としては異例の沖縄・宜野座キャンプに召集された横山投手は、練習試合2試合とオープン戦1試合に登板。その後はファームでの教育リーグや練習試合で投げ、ウエスタン公式戦が開幕してから9月26日までに計13試合(先発8)で2勝2敗、防御率3.26という成績です。

 今季は9月18日の中日戦(甲子園)で7回まで投げていて、これは2016年5月4日の1軍・中日戦(ナゴヤドーム)以来、また同年9月14日の社会人・カナフレックス戦(鳴尾浜)以来、4年ぶりの7イニングです。この試合は8回を能見投手、9回をエドワーズ投手が抑え、完封リレーで1対0の勝利!この時、横山投手の支配下復帰がグッと近づいた印象を持ちましたね。

手袋をして投げるようなもどかしさ

昨年10月のフェニックスリーグで、試合後にバッティング練習。これもフォーム固めの一環です。
昨年10月のフェニックスリーグで、試合後にバッティング練習。これもフォーム固めの一環です。

 ことしはキャンプが終わってから取材機会がなかったので、まったく本人のコメントがありません。でも昨年8月中旬に、わりとじっくり聞けた話を書かせていただきます。当時のスポニチ大阪版の紙面で掲載された『岡本育子の小虎日記』を読んでくださった方は、内容がかぶります。すみません。

 2019年7月4日に、術後初登板を果たした横山投手は、そのあと公式戦や練習試合に4度投げ、8月14日に初先発。その直後に聞いたところ「真っすぐがまだまだです。全然ダメ。生きたボールがいかなくて…。課題は山積みです」と、不満そうな顔でした。「復帰戦はアドレナリンが出ていたからよかったんですけど、そのあとはブルペンで投げている球が試合で投げられない。納得いかないですねえ」

 どんなふうに納得いかないのかを尋ねた時、ちょっと考えて「簡単に言ったら」と自分の左手を見せ「ビニール手袋をして投げているみたいな感じ」と説明してくれました。素手ではなく、手袋をしたままってこと?「そう。すごく気持ち悪いんですよ。素手ではなく手袋をつけているから、なんかこう…感覚がなくて」。指先でボールを離すジェスチャーを見せます。ピッチャーにとって、その瞬間は何より敏感で大事な感覚なのに、手袋越しではもどかしかったでしょう。

 「それが怖さから来ているのか、反射的に体がそうなってしまっているのかわからない」と首をかしげながら話す横山投手。「それでも投げていくしかないんですよね。腕は振れているので」と言い、続けて「投げられることは嬉しい!マジで嬉しいです」とニッコリ。以降も、試合後に納得いかない表情を何度か見ましたが、今季はどうだったんでしょうね。直接聞けなくて今度は私がもどかしいですけど、もう手袋は外れたのかな?

「僕、弱音を吐くタイプです」

昨年8月7日、大阪市立大との練習試合(鳴尾浜)。中継ぎで3回無失点でした。
昨年8月7日、大阪市立大との練習試合(鳴尾浜)。中継ぎで3回無失点でした。

 昨年の夏は左肩手術からちょうど1年で、リハビリ中を振り返るとまだ溜息が出るほど辛かったみたいです。「本当にもう痛くて、痛くて。自分の肩じゃないみたいな痛みなんですよ、これが。だからやめようと思ったことは正直、何度もありました」。手術が済んだら痛みも消えるはずだと思っていたのに…という話はよく聞きますね。それは経験した人でなければわからないと。ただ、そのあとに続く横山投手の話は想像とだいぶ違いました。

 「僕、弱音を吐くタイプです(笑)。トレーナーさんにも『もう無理です!』って、しょっちゅう言っていました。痛い、できない、もう無理って、ずっと」

 アスリートって、そういうところを見せないものかと思っていました。とあるトレーナーさんに聞いたら「ちょっと珍しいタイプかもしれませんね。弱音を吐かない選手が多いので」と少し思い出し笑いです。やっぱり。でも逆に人間味が感じられて、励ましたくなるのではないでしょうか。

 その通り、ネガティブなことを言い続けていた横山投手に、トレーナーの方々は「大丈夫!」「きっとよくなるから」「いけるよ」と根気よく励ましてくださったそうです。横山投手も「あの時、トレーナーさんからマイナスな言葉は1つも聞いていません」と振り返っています。

 「一番の感謝はトレーナーさんです。間違いない。そこしかないですね。家族の支えがあったのはもちろんですけど、それとはまた別で。考えたら家族よりも一緒にいる時間が長かったし。それに愚痴も聞いてもらったし(笑)」

ことし2月の宜野座キャンプ、ブルペンで福原投手コーチ(左)と何かを話している横山投手。
ことし2月の宜野座キャンプ、ブルペンで福原投手コーチ(左)と何かを話している横山投手。

 この時の取材で、最後に横山投手が告げたのは「トレーナーさんにありがとうって伝えたいです。でもまだ早い。1軍で投げたら、です。ことし(2019年)に関しては間に合わなかったけど、腐ることなく来年につながるよう頑張ります!感謝の気持ちをボールに込めて」という言葉。

 残念ながら1軍復帰戦でビシッと抑えて戻ることはできなかったけれど、背番号91のユニホームで甲子園のマウンドに立つ横山投手を見て、トレーナーの皆さんは本当に喜んでくださったでしょうね。もちろん、スタンドで見られたファンの方も、テレビや動画でご覧になった方も、そしてリハビリで苦しむ横山投手を支えたご家族も。恩返しは始まったばかりです。

    <掲載写真は筆者撮影>

フリーアナウンサー、フリーライター

兵庫県加古川市出身。MBSラジオのプロ野球ナイター中継や『太田幸司のスポーツナウ』など、スポーツ番組にレギュラー出演したことが縁で阪神タイガースと関わって約40年。GAORAのウエスタンリーグ中継では実況にも挑戦。それからタイガースのファームを取材するようになり、はや30年が経ちました。2005年からスポニチのウェブサイトで連載していた『岡本育子の小虎日記』を新装開店。「ファームの母」と言われて数十年、母ではもう厚かましい年齢になってしまいましたが…1軍で活躍する選手の“小虎時代”や、これから1軍を目指す若虎、さらには退団後の元小虎たちの近況などもお伝えします。まだまだ母のつもりで!

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