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母校での講演会は中学道徳の“授業” 阪神タイガース・原口文仁選手

岡本育子フリーアナウンサー、フリーライター
野球教室の最後、ロングティーで周囲はファウルと言うも、本人は「巻いた」と主張。

 阪神タイガースはきょう27日が仕事納めで、それより早く25日で鳴尾浜も閉まりました。年明けは新人選手の入寮で始まり、そこからまた賑やかになりますが、しばらくは冬休みです。といっても選手たちの休息は束の間かもしれません。来季の開幕が早いこともあり、もう既に準備期間というところでしょう。

 そして、激動の2019年シーズンを終えた原口文仁選手(27)は多忙なオフを過ごし、今は地元の埼玉県寄居町で自主練習中です。22日には地元での野球教室を開催。2016年から始まって4回目で、原口文仁後援会の主催では2017年から3回目となりました。日差しはなかったものの風も弱く、雨が降り出す前に終わって何より。これまで一度も雨に遭遇していないのは、原口選手が晴れ男だからですかね。

 ことしは寄居町、深谷市、熊谷市から7つの少年野球チームと1つの女子ソフトボールチーム、合わせて8チームの約120人が参加しました。キャッチボール、ノック、ティーバッティングを行い、そのあと恒例の小学生投手が投げて原口捕手に受けてもらう時間、それを原口選手が打つ時間、そして原口選手のロングティーと続き、約2時間半の野球教室が終了。子どもたちはロングティーで大きな当たりを飛ばす原口選手に大喜びでした。

 最後は2列に並んだ子どもたちの間を原口選手がハイタッチしながら進み、締めはサイン会。40分以上かけ、1人ずつにサインをしています。

お手伝いに来てくれた日置選手(右)と中嶋投手(左)。原口選手(中)の先輩と後輩です。
お手伝いに来てくれた日置選手(右)と中嶋投手(左)。原口選手(中)の先輩と後輩です。

 たった1人で120人の野球教室は大変で、今回は原口選手が中学時代に所属していた深谷彩北リトルシニアの先輩と後輩が助っ人に来てくれました。SUBARU硬式野球部の日置翔兼選手(29)と、来年からBCリーグ・群馬ダイアモンドペガサスでプレーする中嶋涼投手(21)です。実は2人とも、ことし社会人の大会で私がしっかり見ていた選手なんですよ。

日置選手(右)は守備を、中嶋投手(左)は投球を披露。
日置選手(右)は守備を、中嶋投手(左)は投球を披露。

 日置選手は元阪神・玉置隆投手が所属する日本製鉄鹿島(今季で引退)の補強選手として都市対抗に出場し、中嶋投手はクラブ選手権で元阪神・野原祐也監督のOBC高島と対戦したゴールドジムの先発でした。中嶋投手が来年からプレーする群馬は、阪神にも在籍した牧野塁監督が指揮を執ります。何かと縁がありますね。

 なお、この日の野球教室途中で中嶋投手が投げて原口選手が受け、日置選手がショートの守備を披露するサプライズも。中嶋投手の球に「はや~い!」、日置選手のスローイングに「うま~い!」と、子どもたちは素直な反応を見せました。でも日置選手は「きょうは球拾いの手伝いくらいだと思っていたので…。来年はしっかりトレーニングしてから来ます!」とリベンジを宣言。来年もお待ちしています!

ロングティーに手応えがあった様子

野球教室の最初と最後に整列する子どもたち。この日は約120人が参加しました。
野球教室の最初と最後に整列する子どもたち。この日は約120人が参加しました。

 お昼休憩時に取材した原口選手のコメントをご紹介しましょう。少し割愛した部分と、質疑応答の順番を入れ替えた部分があります。ご了承ください。

 地元で野球教室ができるのは嬉しいこと?「そうですね。ことし病気を発表した時は多分、誰もが無理だろうと思ったと思うので。こうやってまた、ことしもできて本当に嬉しく思いますし、多くの後援会の方たちにサポートしてもらって野球教室ができるので、そういうところも感謝ですね」

途中でキジが参戦!キジは悠々で周囲も平静。それもそのはず、キジは寄居町の鳥なんですね。
途中でキジが参戦!キジは悠々で周囲も平静。それもそのはず、キジは寄居町の鳥なんですね。

 病気のことを心配していた方々にも元気な姿を見せられてよかった?「そうですね、そうですね、ありがとうございます!」。現役を続ける限りはやりたい?「もちろん。育った町で、野球で恩返しできるようにと思っているので。ユニホームを着ている間は続けられるようにしたいです」

 このあと質問を挟まず、急に本人が「見ました?きょうロングティー、見ました?いつもと違う、ちょっと左中間寄りに打球が飛んで行ったのを見ました?」と勢い込んで聞いてきたのですが、打球までは見えなかったと言うと「いつもレフトのポール際に近いところへ行くんですけど、きょうはもう1個、こう入って」と身振り手振りで説明。ほう~それは来季に向けて?「そりゃあ、やっていることが明らかに出ているんじゃないですか?それが何かは言わないですけど。いや~あの打球はちょっと嬉しかったなぁ」

野球教室の締めはおなじみ、原口選手のロングティー。子どもたちがしっかり見つめています。まさか自分の練習をしていたとは(笑)
野球教室の締めはおなじみ、原口選手のロングティー。子どもたちがしっかり見つめています。まさか自分の練習をしていたとは(笑)

 やはり去年は疲れていた?「関係ないでしょ、絶対(笑)。関係ない、関係ない」。単に調子がいいってこと?「そう、明らかにバッティングが違うわ~」。秋季キャンプから取り組んできた打撃を継続中?「キャンプから取り組んでいる中での、またいろんな段階を踏んで今に至るので。その時、その時のものというわけではないんですけど、そうやって徐々に試行錯誤しながら(目指すところへ)向かっている最中です、今」

野球教室で自分の練習をした?

 秋季キャンプでは飛距離のアップがテーマだった。その手応えも感じられた?「(きょうは)ロングティーだけなんでね、難しい。手応え…。ロングティーの打球の質とか、自分の中では感覚がよくなっているので。あとはやっぱりタイミング。一番、ピッチャーに投げてもらったら大事なので。きょうは勝手に(自分の)バッティングをしていましたね。それをイメージしながら」

 勝手に自分のバッティング?子どもたちの野球教室、というよりも?「自分の練習!」。そう答えてニヤリとした原口選手は「で、めっちゃレフトの、左中間のところに飛んだいい打球が1本あって、なんか久しぶりにピッチャーの球を打てて」と続けました。つまり真剣だった?「だから真剣に空振りした(笑)」

ロングティーの最後、ポールを巻いたかどうか?
ロングティーの最後、ポールを巻いたかどうか?

 捕手を目指していても、外国人野手が3人入れば全体的な競争も激しくなってくる。気になる?「気になるんですか?全然ならないです。だって自分のやることは決まっていますもん。やることは明確に、僕は決まっているので、もう関係ないですよ」。明確にやることとは?「言わないです!これは自分の中で思っていればいいので」。今まで以上に明確?「今までと同じく」

 また、新外国人のエドワーズ投手は精巣がんを克服したという話を聞き「克服しているんですか?すごい!」と原口選手。いろんな人を勇気づけるという意味では同じ?「素晴らしいと思います。そういうね、同志じゃないですけどね、そういう思いを持って僕も頑張ります」。バッテリーを組む機会もあるでしょう。その時の新聞の見出し、今から浮かびます。

「来年は全部いい方向に向かう」

 ことしキャンプへ行けなかった分、来年はやりたいことができそう?「第1クールから実戦があるんですかね?それに合わせてということは、キャンプ前の1月中にピッチャーの球を平気で打ち返しているくらいの感覚や、体の仕上げというのはやっていかないといけない。キャンプでどうこうはあまりなくて、もう実戦に入ったら体のケアと、振り込むとかはキャンプでできるかどうかという感じなので。それまでなるべくいい状態で持っていきたい」

一日も早く投手の球を受けたいと願う原口選手。年明けは甲子園と鳴尾浜で自主トレです。
一日も早く投手の球を受けたいと願う原口選手。年明けは甲子園と鳴尾浜で自主トレです。

 今季はジョンソン投手などシーズンでいきなり組むことになったが、キャンプで新しい投手の球を受けられるのは大きい?「それは大きいですよね。やっぱり、その時の状態をキャンプで知ることができるのはすごく。今季はそれを痛感しました。ことしの状態っていうのがどれくらいか、いうのはキャンプで把握できると思うので。そこは大きいなと思いましたね。自分のことよりも。自分のバッティングどうこうもありますけど、そっちの方がやっぱり大きいなと思いますね」

 1年を漢字で表すと?という恒例の質問です。ことしの漢字は既に終わったイベントで『波』だと発表済み。来年の漢字は?「来年は『運』。運命の運」。その心は?「運がいいから。来年は全部、運がいい方向に進むことが決定しているので」。すべていい方向に?「運命」。決定しているんですね(笑)。時おり原口選手はこういう表現をします。「そうなることは決まっている」と、まるで予言みたいに。でも、おそらくは「運がよくて、何もかもいい方に向かうはず。そう信じている」という意味じゃないかと私は解釈しました。

台風19号の爪痕は寄居にも…

※台風19号が去ったあとの川本グラウンド。
※台風19号が去ったあとの川本グラウンド。

 昨年の野球教室前日、私は原口選手が中学時代に所属していた深谷彩北リトルシニア(当時は寄居リトルシニア)の練習を、常木正浩監督に見せていただきました。場所は荒川河川敷にある川本グラウンドで、原口選手が贈ったネットなども見せてもらったのですが…実はことし10月の台風19号で、ごっそり流されてしまったとか。

 10月12日と13日に、常木監督から「川本グランドは水没してしまいました。見るも無惨に。土手が決壊して土砂が流入、元の堤防ギリギリまで水位が上がりました。実は12年前にも水が上がったのですが、ここまでのことはなかったんです」という文章と写真をいただいたのです。本部席、作ったばかりの三塁側ベンチ、バッティングケージ、得点板、練習用ボールや各種机、練習試合用ヘルメットが入ったコンテナなど、ことごとく流されたそうです。

※翌13日にはみんなで片づけを始めました。
※翌13日にはみんなで片づけを始めました。

 昨年お邪魔した時にあった本部席が?とビックリ。あんな大きな物も、杭打ちをして固定してあった物も根こそぎ持っていってしまうなんて、水は怖いです。よく晴れた13日には「下流に流れたネットや一塁側ベンチ、壊れた本部席や潰れた物置などを重機を使って、とりあえず引き揚げました。選手も親もよくやってくれました!グランドは必ず復旧させます!マイナスからのスタートですが負けません!」と常木監督の力強い言葉も。

困った時はお互い様という心

 そして10月17日の夜、原口選手が常木監督の自宅庭にある練習場を訪れたそうです。本人いわく「CS(ファイナル)に負けて、それがあったので一回帰ってきたんですよ。お見舞金を持ってね。被害を受けたと聞いて次の日にグラウンドを見にいったら、エグかった。何もなかった」とのこと。全部流されて?「やばいですね。なかなか、そんなこと初めてだから…。お世話になったチームだしね、何か協力できればと」

※台風の水害でグラウンドが使えなくなった子どもたちを励まそうと、お見舞金を持って訪れました。
※台風の水害でグラウンドが使えなくなった子どもたちを励まそうと、お見舞金を持って訪れました。

 意気消沈していた子どもたちが、原口先輩の急な訪問を喜んだと聞いていますよ。「よかったです」。また先日はボールも届いたと常木監督が感激されていました。「それは僕というか、球団にお願いしてね。困った時はお互い様なので」

 この訪問、前もって何も伝えていなかったらしく、常木監督は「あえて連絡せずに来てくれたようで。本当にありがたい。お見舞いは大事に使いたいと思います。きのうフミが来た時、何かこう助かったというかホッとしたというか。小さい頃の思い出で、街が怪獣にやられた時にどこからともなくウルトラマンが来てくれた…そんな感じに似ていました」と。まさにヒーローですねえ。

 また、原口選手の1つ先輩である日置選手も練習用ボールを届けてくれたとか。「みんなにとにかく感謝、感謝です」と常木監督。グラウンドの復旧と、子どもたちが元気に頑張ってくれることを祈っています。

母校での講演会は6時間目の“授業”

 野球教室のあとは午後3時から、原口選手の母校である寄居町立城南中学校の体育館で約1時間、初めての講演会が行われました。講演会といってもトークショー形式で、せんえつながら私がお相手をさせていただいた次第です。参加者は、野球教室に出席していた小学生と、サポート役の深谷彩北リトルシニアの中学生、原口文仁後援会会員の皆さん、そして城南中学校の全生徒156人(1学年2クラスずつの計6クラスと、特別支援学級2クラス)。

城南中学校の校舎棟入口の看板(左)と、その玄関に置かれた原口選手へのメッセージ。
城南中学校の校舎棟入口の看板(左)と、その玄関に置かれた原口選手へのメッセージ。

 当日は日曜日だったものの、城南中学校は直前の金曜日に休みを振り替えて、この日は授業日でした。生徒の皆さんは朝から14時50分終了の5時間目まで通常通りの授業を受け、そのあと体育館へ移動。講演会は6時間目の授業として行われています。なお城南中学校では道徳の授業に、大腸がんから復帰した原口選手のことを文章にまとめた冊子を、道徳の授業の“教材”として作成。冊子といってもA4サイズの用紙2枚のオリジナルで、これが生徒に配られたわけではありません。

 そのあたりは講演会が始まる前に、城南中学校の関根光男校長(58)と、道徳教育推進教師であり、城南中学校道徳主任の木村洋介教諭(28)から詳しく伺いました。先生方のお名前は関根校長→関根、木村先生→木村と敬称を略して表記させていただきます。ご了承ください。

『希望と勇気、克己と強い意志』

 Q、もう実際に使って授業をしたのですか?

 関根「はい、全クラスでやりました。学校全部としての取り組みです。今回こういう話をいただいて、せっかく原口選手が講演会でいらっしゃるんだから、野球を知らない子も『あの人は何だろう?』で終わらないように、こういう実績を持った方なんだよっていうのを事前に学習しておこうと。そうすればキャリア教育の役に立ちますし、道徳的な面も培われるかなと思ったので」

道徳の授業で、実際に教材として使われたものです。
道徳の授業で、実際に教材として使われたものです。

 「木村先生に相談したら『できます』と、すぐに作ってくれたので、これを指導案も含めて各クラスの担任に配りました。そして全クラスで授業をして、きょうを迎えたというわけです。文科省の道徳の指導要録の中に、内容項目Aの『希望と勇気、克己と強い意志』っていうのがあるんですよ。それに絡めて彼がこういう資料を作って、授業として使いました」

 Q、内容項目にはBやCもある?

 木村「Aが基本的に自分自身にかかわること、Bが自分と他者、Cが自分と社会全体、Dが自分と生命、というふうにどんどん広がっていきます。今回はAで、原口選手の自分自身の意志の強さっていうところです」

 Q、生徒の反応は?

 木村「やっぱり自分の母校にそういう偉大な人がいるということと、意志の強さで大腸がんを乗り越えて復帰したというところで、すごいなと。ほんと純粋な感想が子どもたちから出ました」

 Q、現在、道徳の授業は教科になったとか。国語や理科のように“成績”をつける?

 関根「評価をしなくちゃいけないので、成績というよりは記述で『こういう発言があった』などを記録するんですね。それが中学校は今年度から、小学校は昨年度から、特別の教科・道徳とよく言いますが、教科になりました」

校内の掲示板。原口選手が通っていた(今も?)マツザキスポーツさんが新聞を持ってきてくださるそうです。
校内の掲示板。原口選手が通っていた(今も?)マツザキスポーツさんが新聞を持ってきてくださるそうです。

 Q、これまでも身近な人を取り上げてやったことは?

 木村「県内として渋沢栄一であるだとか、そういう郷土資料というものが作られていますけど、実際に自分で作ってというのは初めてですね。ただ読み物として配るというよりは、教師が読み聞かせて原口選手の心情に迫るものです」

 関根「6月の全校朝会でも原口選手のことを取り上げたんですよね。大腸がんを公表した時の直筆メッセージを読んだり、みんなの先輩がこういう形(1軍復帰して活躍)になったという話をして、スポーツ紙を校内の掲示板に貼って『頑張れ!原口先輩』というコーナーを作りました。本当にありがたいこと」

 Q、教材になるってすごいですね。

 関根「いやもうこの学校で過ごした先輩なので、こんなに身近で、こんなに訴えるものはないかなと。こういう先輩が活躍されていることは影響も大きいと思いますし、いい方向にいってくれればと。自分も頑張ろう、という感じになってくれたら」

まだまだこれから!始まったばかり

野球教室で子どもが投げた球を見て微笑む原口選手。
野球教室で子どもが投げた球を見て微笑む原口選手。

 原口選手本人は、道徳の教材になった話が初耳だったようで「ちょっと作りすぎちゃってるなあ(笑)。まあ母校だからね。ゆくゆくは教科書に?なるわけないじゃないですか~」と、照れもあるのか終始こんな感じでした。

 でも後輩たちが、ことしの自分を見てくれたということも使命の1つと言えますよね?「本当ですか?すごいなあ!ありがとうございます。そういうことですね。こうやって頑張っていることが多くの人の、何かを起こす原動力になれたなら、それはありがたいことだし、まだまだこれからですよ!始まったばかりだから」

 4年目となった地元でのイベント。昨年はまだ病気について何もわかっていなかったのですが、野球教室終了後にすごく疲れていたような気がしました。実際に疲れはあったと思います。でも、ことしは始まる前も終わったあとも、そのうえ講演会まであったのに、とても元気で明るくて。

助っ人の2選手と、野球教室をサポートしてくれた地元の同級生や後輩の皆さん。お疲れ様でした!
助っ人の2選手と、野球教室をサポートしてくれた地元の同級生や後輩の皆さん。お疲れ様でした!

 そんな原口選手だったので、ずっと聞きたかったことを聞いてみました。いくら寝ても取れなかった疲れはもうないですか?と。すると「ないですよ!まったく」と屈託のない笑顔で即答。奥さんに尋ねたら、前は起こしてもなかなか起きられなかったのが、今は娘さんの声で目を覚ましているそうです。起こされる前に。胸のつかえが取れたようで、ものすごく安心しました。

 「まだまだこれから、始まったばかり」という新生・原口文仁選手の、本当の戦いはここからです。

   <掲載写真の※印は常木正浩監督の提供、他は筆者撮影>

フリーアナウンサー、フリーライター

兵庫県加古川市出身。MBSラジオのプロ野球ナイター中継や『太田幸司のスポーツナウ』など、スポーツ番組にレギュラー出演したことが縁で阪神タイガースと関わって約40年。GAORAのウエスタンリーグ中継では実況にも挑戦。それからタイガースのファームを取材するようになり、はや30年が経ちました。2005年からスポニチのウェブサイトで連載していた『岡本育子の小虎日記』を新装開店。「ファームの母」と言われて数十年、母ではもう厚かましい年齢になってしまいましたが…1軍で活躍する選手の“小虎時代”や、これから1軍を目指す若虎、さらには退団後の元小虎たちの近況などもお伝えします。まだまだ母のつもりで!

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