痴漢で「示談慣れ」した常習者と被害者に"情報格差" 手薄な法的サポート
「痴漢」で検索すると、加害者のための法的サポートを提案する弁護士事務所のサイトがいくつもヒットする。
一方で、被害者のための法的支援については、あまり知られていない。痴漢の被害に遭って相手を捕まえた場合、相手側の弁護士から示談交渉をされ、疲れ果ててしまうこともある。
再犯・示談を繰り返す加害者も中にはいる。そういった常習者がネット上で情報交換するなど、「示談慣れ」している一方で被害者はそうではない。
「痴漢など性犯罪被害者の方へのサポート」を打ち出す、岸本学弁護士に実態を聞いた。
・被害者は「示談金相場」なんて知らない
ーー弁護士による被害者のサポートはあまり知られていません。被害者が弁護士をつけず、加害者側の弁護士と話し合うというのは、なかなか酷なことだと思っています。
岸本学弁護士(以下、岸本):やはり示談金を低く抑え込まれたり、ということはありますね。普通の人は示談金の相場なんて知りません。低く提示されていてもそれで受け取ってしまう。
被害者の側がそれで納得をすればもちろん構わないとは思うのですが、示談金10万円を提示されて怒って、「自分も弁護士を探す」という人もいます。
ーー相手から提示される金額はそのくらいのことが多いのですか?
岸本:最初の提示額としては、やはり10万円、20万円という金額が多いです。でもそれは被害者感情に見合っている額とは思いませんし、そう感じて相談に来られる方が多いです。
・日弁連の委託援助金制度を利用して
ーー「弁護士費用は高いのでは?」と不安に感じている被害者の方もいると思います。
岸本:日弁連の委託援助制度というのがあるんですね。この制度を利用すると、示談金額が300万円未満の場合に着手金が実質負担なしになります(※依頼者の預貯金が300万円以内の場合に利用可能)。成功報酬については、私の場合は、示談金額の10%と消費税です。
ーーこういう聞き方は失礼ですが、それで採算がとれるのでしょうか……?
岸本:痴漢の示談金交渉の場合、あまり時間がかからずに済む場合が多いのです。たとえば離婚調停・裁判に関わった場合、数年かかることもざらにありますが、こちらは早い場合は1週間ほどです。多数の事件を受任しても対応ができます。
ーー岸本先生のように痴漢の被害者側の代理人ですというのを打ち出している弁護士さんは他にもいるのでしょうか?
岸本:されている先生はいらっしゃると思いますが、数は多くない。報酬水準としては小さい部類に入るので、これまで弁護士が注力してこなかった分野だと思います。
ただ先程も申しましたように、かかる期間が短いし、業務負担も少ない。他の弁護士さんももっと参入していただいて、被害者側も弁護士を頼むのが当たり前になっていただいた方がいいと思います。
・示談した場合は不起訴になる?
ーー示談した場合、基本的には不起訴になることが多いのでしょうか。
岸本:示談した場合、「宥恕(ゆうじょ)文言」という、「犯人を許します。処罰を求めません」という内容の一文が入るのが普通です。
それとは別に、被害者が示談を拒否した場合に、加害者側が不起訴や刑の軽減を狙って「被害弁済」を受け取ってほしいと言ってくる場合があります。
- 被害弁済(被害弁償)…被害者の経済的な損害を填補するために支払う金額とされ、示談金とは異なり基本的に受け取る条件などをつけることはできない。
迷惑防止条例違反にあたる痴漢の場合、示談金を受け取れば、ほぼ間違いなく不起訴。宥恕文言がない被害弁済を受けとっても、不起訴の可能性は高いです。
- 電車内での痴漢行為は、大きく分けて迷惑防止条例違反の痴漢にあたる行為と(服の上から触る行為など)、刑法の強制わいせつ罪にあたる行為(下着の中へ手を入れる、陰部を触らせる行為など)がある。
・「相手の弁護士と会う前に相談を」
ーー示談して不起訴になった場合、加害者には前科がつきませんね。「前科をつけないために示談を成功させます」とアピールする弁護士事務所も多い。
岸本:そうですね。ただ、前科にはならなくても前歴というかたちで警察には記録が残ります。初犯で示談したとしても、2回目の逮捕時には「前もやっている」ことは警察は把握しています。
ーー裁判になってもよほど悪質でない限り実刑となる可能性は低く、迷惑防止条例違反での罰金は「50万円以下」など(※都道府県によって異なる)。示談を選ぶ被害者が多い理由はわかります。
岸本:そもそも逮捕すること自体に負担がありますし、警察で長時間の取り調べを受けるのも負担です。疲れ果てた状態で加害者側の弁護士から示談交渉を受けるわけですから。本来は、もっと早い段階で支援者の介入が必要です。
できれば相手の弁護士と会う前に相談してほしい。
(被害者と加害者には)体格差もありますし、被害者は未成年や若年層であることが多いですから、なんていうのかな、加害者の方が社会経験もある。言いくるめられてしまうこともあるわけです。
・示談金相場を上げ、再犯抑止につなげる
ーーそこまで考えて若者を狙うのかもしれませんね。性犯罪は再犯が多いというか、初めて逮捕されるまでにすでに何度も犯行を繰り返していることが多いと聞きます。示談の条件に、「加害者臨床を行うクリニックで専門的なサポートを受け、再犯防止に努めてほしい」というような希望を加えることもできるのでしょうか。
岸本:できると思いますよ。ただ、これまで被害者の方からそういった提案があったことはないです。
ーー加害者臨床を知っている人がまだ少ないのかも。
岸本:これは私の考えですが、示談金相場を上げていくというのも、再犯の抑止にはつながっていくかなと思います。
被害者への示談金が10〜20万円の場合、弁護士への報酬を含めると、加害者が支払う金額はトータルでだいたい80〜100万円ほどだと思います。示談金の相場が100万円とかそれ以上になると、それだけ支払う金額が増える。
ーー倫理観よりも経済事情に働きかける方が効果がある人もいるのでしょうね。逃げるスキルを磨く方向へいかないといいですが。
岸本:謝罪文を書いてくる人はたまにいますが、受け取らないように勧めることが多いです。ろくな謝罪文を書いてきた試しがないからです。
ーーなんと。
岸本:ちゃんとした謝罪文を書ける人が痴漢なんてしないですよね。
決定的なのは、「その行為をした段階で被害は終わっている」と加害者は思っているんです。でもそうじゃなくて、被害者はそのあとずっと電車に乗れなかったり、着ていた服を捨てたり、日常生活に影響が出たりと苦しみ続ける。
「痴漢行為で不快な思いをさせてごめんなさい」ではすまない。そういう謝罪文は火に油です。謝罪文を出した実績を作りたい、という面もありますしね。
・民間企業、金融庁を経て弁護士に
ーー岸本さんは、どういうきっかけで被害者支援に関心を持たれたのでしょうか。
岸本:もともと私は民間企業、金融庁を経て弁護士となっていますので、企業法務をやるしかないのかなと思っていました。司法修習生になったときにすでに30代後半でした。
ーー元官僚というのは、珍しいご経歴なのかなと思います。
岸本:今から思えば影響が大きかったのは、司法修習のときに女性の検察官の方が集団強姦事件について、検事の立場からお話をされていて。
被害者は高額を提示されて示談を申し入れされた。そのときに被害者に代理人弁護士がついて、「被害弁済として受け取ったらいい」とアドバイスをしたと。そういうかたちで弁護士が被害者の救済にあたることができると気づきました。
・痴漢は軽い犯罪ではない
岸本:最初は企業法務の事務所に勤めるかたわら、弁護士会の犯罪被害者に関する委員会に入り、そこで経験を積みました。今は独立しています。
ーー被疑者弁護に比べて国からの補助が少ないなどいろいろな問題はあると思うのですが、被害者側を支援する弁護士さんも増えてほしいと思っています。
岸本:そうですね。被害に遭った方から気づかされることは多いです。
私は男性なので、女性の被害について自分の経験として理解はできないというところがあるというのは、認めざるを得ないと思うんです。だから、被害に遭って体が固まってしまうとか、電車に乗れなくなるとか、やはり想像力を働かせなきゃいけない。
痴漢は軽い犯罪だと思われがちですが、決してそうではない。そういう受け止め方に社会が変わらなければいけないと思っています。
岸本学弁護士プロフィール
1997年大阪大学法学部卒業後、民間企業勤務を経て2010年3月に横浜国立大学法科大学院を卒業。同年6月に金融庁証券取引等監視委員会、その後、弁護士事務所に勤務。現在は独立し、痴漢を含む性犯罪の被害を受けた人へのサポートを打ち出している。みせばや総合法律事務所
ツイッターアカウントは@9jtCdbGf3lih8Fe
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