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【世界遺産】 ドイツ北部の最も古い港町ブレーメン2/3 旧市街巡り

シュピッツナーゲル典子在独ジャーナリスト

コーヒーや綿花の輸入で栄えたドイツ北部の最も古い港町ブレーメン。自由ハンザ都市、そしてメルヘン街道の終点としても知られる多様な顔を持つ街です。

前回は世界遺産とクリスマスマーケットをお届けしました。今回は旧市街注目のスポットを巡ります。(写真はすべて筆者撮影・トップ画像は人気ストリート、シュノーア地区にて)

べトヒャー通り 

前回は、マルクト広場を中心に巡りました。まずはその広場から続くべトヒャー通りをご紹介します。

マーケット広場を挟んで市庁舎の向かい側にあるブレーメン商工会議所・この脇がべトヒャー通り
マーケット広場を挟んで市庁舎の向かい側にあるブレーメン商工会議所・この脇がべトヒャー通り

中世を再現したベトヒャー通りは、マルクト広場の南西側にある商工会議所脇の小路です。100m程のこの通りは、金色のレリーフがはめ込められた門が広場から見え、すぐにわかります。

通りには美術館やレストラン、紅茶専門店やカフェ、そしてツーリストオフィスも軒を連ねています。かつてコーヒー輸入で財を成したロゼリウスが中世の街並みを再現したもので、私財を投資して造らせた通りだそう。

紅茶好きにはたまらない専門店
紅茶好きにはたまらない専門店

通りの名前ベトヒャーとは、樽の意。つまり現在のコンテーナーです。かつてこの通りは、ウェザー川水辺とマルクト広場を結ぶ最短かつ最適な通りとして、食料の運搬が頻繁に行われていたそうです。

レンガ造りの建物が続く路地は、倉庫街のような雰囲気
レンガ造りの建物が続く路地は、倉庫街のような雰囲気

こうした背景から樽の製造と販売は、熟練した商人や熱心な職人を金持ちにし、その名残が建物のあちこちに今も見られます。後に工業化の進展に伴い、工芸品は次第に衰退していきましたが、通りの名前は今も健在です。

通りの雑貨店でかわいいランプを見つけました
通りの雑貨店でかわいいランプを見つけました

通りの中ほどにある職人の中庭には、ブレーメンの音楽隊(水道管の上を行進しています)や七人の怠け者が横たわっている泉があります。

七人の怠け者。奥はキャンディショップ
七人の怠け者。奥はキャンディショップ

七人の怠け者」の伝説は、ブレーメンに住む七人の兄弟が、自分の怠け心を原動力に世界に飛び出し、自分たちの生活をより快適にしてくれる新しいアイデアや発明品を持って帰ってきたというものです。

その息子たちが本当に怠け者だったのかどうかはさておいて、彼らのリラックスした姿を見れば、思わず笑みがこぼれます。

美術館「ロゼリウスの家」
美術館「ロゼリウスの家」

ツーリストインフォ左隣にある個性的な建物は、建築家で画家でもあるベルンハルト・ヘトガー設計のロゼリウスの家と、ブレーメン出身の女流画家パウラ・モーダーゾーン=ベッカー美術館。ここは世界初の女性作家の美術館でもあります。

マイセンの鐘の音を是非聞いてください
マイセンの鐘の音を是非聞いてください

その隣の建物に、観光客に人気の仕掛け時計の「グロッケンシュピール」があります。屋根と屋根の間に掛かる30個のマイセン磁器の鐘が、12~18時の毎時おきになります。時計の横にある板絵が鐘と同時に動き出し、大航海時代をテーマにした絵が回りながら現れます。

現在は隣接するホテル「Radisson Blu」所有のため見学したい場合はレセプションに申し出てください。
現在は隣接するホテル「Radisson Blu」所有のため見学したい場合はレセプションに申し出てください。

ベトヒャー通りの終わりに近くにある「ハウス・アトランティス」は、ベルンハルト・ヘトガー建築のなかでも最も重要な作品のひとつと言われています。階段を上りきったところにある「天国の間」は、青と白のコントラストが美しいガラス天井が印象的です。

世界で最もクールな通り・シュノーア地区

旧市街の一角にあるブレーメン最古の地区シュノーアを散策しました。この地区が初めて文献に登場したのは13世紀で、その頃は主に川漁師や職人、商売人が住んでいたそうです。

車が走っていないというより、走れないほど狭い路地が続くこの地区は、100軒以上の文化財保護建造物が連なっています。時間の許す限り、気の向くまま散歩しながら昔の時代に浸ってみるのもいいでしょう。

狭い路地に美術品展示。館内はコロナ禍で入場できませんでした
狭い路地に美術品展示。館内はコロナ禍で入場できませんでした

中世の木組みの家、古い石畳、曲がりくねった路地に漂う独特の雰囲気は、訪れる人に日常生活のストレスをあっという間に忘れさせてくれます。

20世紀初頭は、車の通れない狭い路地だったことから、貧しい地区として発展していったそうです。その頃、夜出歩くのは危なかったようですが、今ではトレンドスポットになっています。

路地にはまるで真珠のネックレスのように店が軒を連ねています
路地にはまるで真珠のネックレスのように店が軒を連ねています

両手を広げれば触れられるほどの細い路地に、色とりどりの小さな家や店が軒を連ねるシュノーア地区。米・ニューヨークポスト新聞はここを「世界の最もクールな通り」として評価しました。

ちなみにシュノーアの名前の由来は、低ドイツ語で "ひも "を意味します。

アートショップやギャラリー、お土産ショップなど日曜日もオープンしています。コロナ禍の今は、状況も少し異なりますが、ウィンドーショッピングだけでも散策する価値があります。

お土産にも人気。ブレーメンの名産品スイーツはパン屋で是非入手してください
お土産にも人気。ブレーメンの名産品スイーツはパン屋で是非入手してください

ジュエリーやお土産に加えて、ブレーメンの名産品もずらりと並んでいます。ベーカリー、コンフェクショナリー、カフェでは、ブレーマー・クルテン、シュノークラー、カフェブロート、クラベン、バブラーなどのスイーツを楽しむことができます。

ウェディングハウス(緑の建物)は一晩にひとカップルのみ宿泊できます。結婚式プレゼントや恋人たちに人気
ウェディングハウス(緑の建物)は一晩にひとカップルのみ宿泊できます。結婚式プレゼントや恋人たちに人気

博物館、そして、新婚さんや恋人たちが泊まれる趣のある小さな「ホッホツァイトハウス」(ウェディングハウス)、小さな劇場などもあります。

マネとアストリュック作品が話題のブレーメン美術館

今回の取材にあたり、情報提供していただいたブレーメン観光局のソニア・ハックマンさんに勧められてブレーメン美術館(クンストハレ)へ行きました。

美術館正面 18時頃にはすっかり暗くなっていました
美術館正面 18時頃にはすっかり暗くなっていました

同館のコレクションの中心は、中世から現代までのヨーロッパ絵画で、特に19世紀から20世紀のフランス絵画に焦点を当てています。1849年から2年間かけて建立した後、改築や増築を繰り返し1960年代までにほぼ全面的な改修が行われました。

マネとアストリュック特別絵画展
マネとアストリュック特別絵画展

おりしも、エドゥアール・マネとザカリー・アストリュックの特別絵画展が開催されていました。

この展示では、マネとアストリュックの共通のテーマを探り、マネの傑作を、友人の驚くべき水彩画や彫刻とともに紹介しています。アストリュックはフランスに日本美術を紹介し、ジャポニスムの隆盛に寄与したことでも知られます。

エドゥアール・マネ(1832 -1883)は19世紀を代表する芸術家ですが、ザカリー・アストリュック(1833 -1907)は芸術家としては知られていないかもしれません。彼はまず美術評論家として名を馳せ、マネの作品を初めて公に擁護した人物です。

館内にて
館内にて

マネは1860年代に何度も彼を描いています。現在ブレーメン美術館に展示されているアストリュックの肖像画で、マネはアバンギャルドの好みをプログラム的に表現しました。ジャポニスム、スペインのファッション、オールドマスターの絵画、音楽など、二人が愛し、語り合ったすべてのものが絵の中に収められています。

ホテルへ戻る途中、ショッピングストリートゼーゲ通りで豚の集団に遭遇しました。これは5匹の豚と4匹の子豚、そして牧童とその犬から成るブロンズ像です。

通り名ゼーゲは、雌豚を意味し、すでに13世紀から14世紀初頭にゼーゲ通りという名前で呼ばれていたそうです。当時はここで豚が大量に買われていたといいます。

1970年代この通りに住んでいた商人たちの出資により、ブレーメン出身の彫刻家が制作したものだそう。このかわいい集団は音楽隊の銅像と同じく、待ち合わせ場所として人気のスポットだといいます。

次回はブレーマーハーフェンからお届けします。

在独ジャーナリスト

ビジネス、社会・医療・教育・書籍業界・文化や旅をテーマに欧州の情報を発信中。TV 番組制作や独市場調査のリサーチ・コーディネート、展覧会や都市計画視察の企画及び通訳を手がける。ドイツ文化事典(丸善出版)国際ジャーナリスト連盟会員

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