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平野歩夢を生み出した絶対王者ショーン・ホワイト。5度目の五輪で歩夢にバトンを託す

野上大介スノーボードジャーナリスト・解説者/BACKSIDE編集長
16年の時を経て、自らの道標となったショーンからバトンを受け継いだ歩夢(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

4歳からスノーボードとスケートボードを始めた平野歩夢は、2006年のトリノ五輪で金メダルを獲得したショーン・ホワイトに憧れを抱き、その道を歩み始めた。

2008年、かつて東京ドームで開催されていた国際大会「X-TRAIL JAM」に歩夢の兄・英樹が出場権を獲得した際、ともに上京。ショーンも出場していたため、そのときに撮影された3人の記念写真がよくテレビ番組で放映されているのだが、憧れの存在を前にして10歳の歩夢は満面の笑顔を浮かべている。言葉は通じなかっただろうが、このとき確信したのだろう。この人に追いつきたい、と。

大会で初めて顔を合わせたのは、2011年12月に開催された「WINTER DEW TOUR」だ。トリノ、バンクーバー五輪を連覇して、スノーボード界にとどまらずスーパースターと化していたショーンは貫禄の優勝。13歳で大人と肩を並べて出場していただけでも驚かされるが、この大会で歩夢は28位だった。

この翌シーズン、歩夢は世界中に名を轟かせることになる。2013年1月に開催されたプロ大会の最高峰「X GAMES ASPEN」で2位を獲得。14歳でのメダル獲得は、当時のX GAMES史上最年少記録の快挙だった。もちろん、表彰台のとなりにはショーンがいた。X-TRAIL JAMで記念撮影した日本のボーイだったとは知らなかっただろうが、このときにアユム・ヒラノというジュニアライダーが台頭してきている事実を目の当たりにしたわけだ。

ショーン自身、キッズ時代から大人のプロスノーボーダーに混じり切磋琢磨してきた経験があるからこそ、歩夢の存在を気にかけていたに違いない。ショーンは昨年4月、アメリカの無料ストリーミングサービスであるFICTOで配信している「NOT A SPORTS SHOW」という番組で、「当時は誰も自分のことを真剣に見てくれていなかった。大会で勝てば勝つほど、その勝因はキッズポイントが与えられているからだと揶揄されることもあった」と話す場面も。

キッズライダーとして先駆けであるショーンが五輪メダリストになり、世界中に多くのキッズスノーボーダーが誕生する中で、日本の歩夢がズバ抜けていた。2014年、ショーンのオリンピック3連覇がかかっていたソチ五輪において、当時15歳の歩夢は日本スノーボード界初のメダルをシルバーで獲得。対するショーンは4位に。ベストな状態ではなかったが、王者陥落の瞬間だった。

ショーンの背中を見て成長してきた歩夢にとって、ソチ五輪で順位は上回ったとはいえ、その時点ではまだ追いかける存在だったはず。だが、高校生になった歩夢は日進月歩でスキルアップを図り、平昌五輪に向けて「金(メダル)しかない」と公言。それは、ショーンを破って頂点に立つという意味だった。

大ケガに見舞われるなど苦しめられたが、連続ダブルコーク1440と連続ダブルコーク1260を習得し、それらを4連続とする史上最強ルーティンを五輪開幕直前のX GAMESで完成させた。ショーンをもってしても、この時点で連続ダブルコーク1440は成功していない。だが、平昌五輪の最終ランでショーンは初成功。4連続とはいかず、中盤にフロントサイド540という1回転半の技を入れ込むことで、連続する高難度コンボのつなぎとした。内容では勝ったが、試合に負けた。

スノーボードからスケートボードに乗り替えて、戦いの舞台は東京へと移されるかと目されたが、ショーンが志半ばで断念。周知のとおり、歩夢は東京五輪の舞台で宙を舞った。

2020年1月に雪上復帰を果たしていたショーンは、北京五輪を最後の舞台することに。コロナ禍の影響により東京五輪が1年延期となり、わずか半年の調整期間で北京五輪に臨まなくてはならない歩夢は、2012年春にショーンが挑戦して大ケガを負った、フロントサイド・トリプルコーク1440で勝負に挑むことにした。

昨年12月、誰よりも先に歩夢が挑んだ。WINTER DEW TOURでハーフパイプ史上初のトリプルコークに成功。そのニュースは世界中を駆け巡った。奇しくもショーンと初めて相対した大会だった。

そして2月11日、歩夢はフロントサイド・トリプルコーク1440を完璧に決めて、悲願の金メダルを獲得したのだ。およそ10年の時を経て、ショーンが断念せざるを得なかった超大技がルーティンに組み込まれた。歩夢の夢が実現したと同時に、あのときショーンが描いた夢のトリックが現実化した瞬間でもあった。

激戦を終えた直後、ショーンが歩夢のもとへ駆け寄り、何か語りかけるようにして抱き合っていた。トリプルコークの話をしていたかどうかはわかりかねるが、歩夢のルーティンに対する賛辞はあったはずだ。

ショーンがいなければ歩夢はいなかったのかもしれない。そのショーンを、歩夢は最高のカタチで送り出した。

北京五輪を終え、ショーンが長きに渡り持ち続けてきたバトンは歩夢に託されたのだ。これから歩夢は、世界中のスノーボーダーやスケートボーダーたちに夢と感動を与えていくのだろう。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】

スノーボードジャーナリスト・解説者/BACKSIDE編集長

1974年、千葉県生まれ。大学卒業後、全日本スノーボード選手権ハーフパイプ大会に2度出場するなど、複数ブランドの契約ライダーとして活動していたが、ケガを契機に引退。2004年から世界最大手スノーボード専門誌の日本版に従事し、約10年間に渡り編集長を務める。その後独立し、2016年8月にBACKSIDE SNOWBOARDING MAGAZINEのウェブサイトをローンチ、同年10月に雑誌を創刊した。X GAMESやオリンピックなどスノーボード競技の解説者やコメンテーターとしての顔も持つ。Instagramアカウント @daisuke_nogami

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