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冨田姉妹が二人三脚で日本スノーボード・フリースタイル界の歴史を動かした。姉・せなが銅メダル獲得

野上大介スノーボードジャーナリスト・解説者/BACKSIDE編集長
2シーズン前に同地で大ケガを負った恐怖心を克服し、見事銅メダルを獲得した冨田せな(写真:松尾/アフロスポーツ)

2022年2月10日、日本女子フリースタイル界の歴史が動いた。1998年の長野五輪からハーフパイプが、2014年のソチ五輪からスロープスタイルが、2018年の平昌五輪からビッグエアがオリンピックの正式種目として採用されているが、これらフリースタイル種目において日本人女子初のメダリストが誕生した。

北京オリンピック女子ハーフパイプで冨田せなが銅メダルを獲得したのだ。これまでの女子ハーフパイプの歴史を駆け足で振り返ると、長野五輪で吉川由里が20位、2002年のソルトレイクシティ五輪で三宅陽子が8位、2006年のトリノ五輪で中島志保が9位、2010年のバンクーバー五輪で同じく中島が13位、トリノ五輪で岡田良菜が5位、平昌五輪で松本遥奈が6位。平昌のときにせなは初出場で8位入賞を果たしていた。

2017年2月に行われたハーフパイプ伝統の一戦「BURTON US OPEN」において、表彰台を独占したアメリカ勢に続き4位という好成績を収めて国際大会でデビューを飾ったせな。当時17歳。新潟出身のせなは県内にある開志国際高等学校に通っており、1学年上には平野歩夢がいた。スノーボード部が存在し、アスリートとしてスノーボードに集中できる環境が整っていたのだ。

翌年、平昌五輪目前に開催されたプロ大会最高峰とされる「X GAMES ASPEN」に招待されて7位、先に述べたように平昌五輪で8位、オリンピック直後のBURTON US OPENでは8位と、ファイナリストとして世界中から認められる存在に。翌2019年にもX GAMESに招待されて7位、BURTON US OPENでは5位と、着実に成績を伸ばしていた。

せなの武器と言えば、高さのあるエアだ。そのハイエアを生み出すためには正確なハーフパイプ内での滑りが求められるのだが、テイクオフ(踏み切り)、ランディング(着地)、パンピング(ボードを進行方向に押し出す動き)などの基礎力が卓越している。540(1回転半)や720(2回転)などのスピントリックをルーティン(技の構成)に組み込みながらもエアの高さが落ちることがなく、むしろ、演技後半にかけて加速しているようにさえ見える。

こうして腕に磨きをかけている最中に、悪夢が起こった。2019年12月に北京五輪の会場であるシークレットガーデンで行われたW杯にて決勝へコマを進めるも、公式練習中に転倒して脳挫傷を負った。3ヶ月の絶対安静。競技者として順調に来ていた歩みが止められてしまった。シーズンを棒に振ることになり、20歳のせなは苦しんでいた。

筆者は2017年から毎年、BURTON US OPEN取材のため米コロラド州ベイルを訪れていたのだが、2020年にせながいなかったことは鮮明に覚えている。なぜかと言えば、せなの妹・るきが3位で表彰台を射止めたからだ。姉とは異なるグーフィースタンス(右足が前になるスタンスで、せなはレギュラースタンス)から繰り出されるスタイリッシュなエアが印象的だった。

姉妹あるあるかもしれないが、幼少期から大会を転戦していて結果に差が出てしまった場合、帰りの車内は重たい空気に包まれていたんだとか。父の影響でスノーボードを始めたせなとるきは、ともに負けず嫌い。選手として明るい未来を見通せない時期に、招待されていた伝統の一戦に出られないだけでも悔しいわけだが、妹が先に表彰台を獲得するという結果になった。

競技生活に別れを告げることも考えていたようだが、るきの好成績がせなを奮い立たせたのかもしれない。医師からの許可が出るとすぐに雪上復帰し、体幹トレーニングなどフィジカルを鍛え上げた。ケガを乗り越えて以前よりも強くなるアスリートを見てきたが、せなも例外ではなかったのだ。

翌シーズン、2021年1月にスイス・ラークスで長きに渡り行われている欧州一の国際大会「LAAX OPEN」で完全復活。高さのあるフロントサイド(進行方向がお腹側の壁で谷側に回す)900をファーストヒットから繰り出し、ラストヒットではフロントサイド540にステイルフィッシュを加えることでスピン後半の回転速度を少し遅らせるオシャレ技を披露。堂々の3位で表彰台を射止めた。

前年のケガの影響によりX GAMESには招待されず、BURTON US OPENが長年の歴史に幕を下ろしてしまい活躍の場が減ってしまうも、FIS(国際スキー連盟)世界選手権では4位となり日本人最高位を獲得。続くワールドカップでは北京五輪の順位と同じく、クロエ・キム(アメリカ)、ケラルト・カステリェト(スペイン)に次いで3位に。大ケガを乗り越え、一度は見失いかけた道のりを一歩一歩確実に進んでいった。

しかし、世界のトップランカーが出揃っての順位ではなかった。2019年のX GAMESで3位、BURTON US OPENで3位、2020年のLAAX OPENで2位、BURTON US OPENで1位と、平昌五輪以降は常に上位にランクインしていたツァイ・シュートン(中国)が出ていない。事実上の表彰台を確実にするためには、エアの高さと安定感を誇るライディングに加えて、大技が必要だった。もちろんせなはそれに挑戦しており、筆者はW杯の解説を務めさせていただいているのだが、それにトライする彼女の姿を見てきた。

その大技とは、北京五輪ハーフパイプ決勝2本目でベストポイントを獲得したランの5ヒット目に繰り出した、フロントサイド1080だ。ボードの両足間をグラブ(ボードをつかむ動作)したほうが回転軸が安定するため回しやすいのだが、あえてテール(ボードの後端)をグラブしながら優雅に宙を舞った。昨シーズンはまだ未完成だったが、今シーズンは高い完成度で操れるようアジャストさせてきたのだ。結果、ツァイを4位に従えての銅メダル獲得となった。

妹のるきは1、2本目に転倒してしまい後がなくなった3本目。今年1月にW杯で初優勝を飾ったルーティンで勝負に挑む。これまで以上にエアの高さを叩き出しており、攻めの姿勢を感じられた。スタイリッシュなだけでなく迫力あるダイナミックな演技は高得点を記録し、5位にランクアップ。

四年に一度という大舞台が幕を下ろした翌日、会見に臨むせなの姿がテレビにあった。決勝1本目を終えたとき、るきと励まし合いながら高めあっていたことを明かしていた。負けず嫌いの姉妹がそろって夢の舞台に立ち、互いを鼓舞しながら持てる力をすべて出しきった結果、日本女子フリースタイル界初となるメダルをせなにもたらしたのだ。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】

スノーボードジャーナリスト・解説者/BACKSIDE編集長

1974年、千葉県生まれ。大学卒業後、全日本スノーボード選手権ハーフパイプ大会に2度出場するなど、複数ブランドの契約ライダーとして活動していたが、ケガを契機に引退。2004年から世界最大手スノーボード専門誌の日本版に従事し、約10年間に渡り編集長を務める。その後独立し、2016年8月にBACKSIDE SNOWBOARDING MAGAZINEのウェブサイトをローンチ、同年10月に雑誌を創刊した。X GAMESやオリンピックなどスノーボード競技の解説者やコメンテーターとしての顔も持つ。Instagramアカウント @daisuke_nogami

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