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結局、責任を負わされる「北朝鮮首相」という難しいポスト

西岡省二ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長
金総書記から指示を受ける金徳訓首相(右)=18日付労働新聞電子版キャプチャー

 北朝鮮の金徳訓(キム・ドックン)首相は、ウォッチャーの間には「愚直」「一生懸命」という印象がある。金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党総書記の信望も厚く、金総書記に代わって経済現場を回ってきた。最側近のみに与えられる黒革のロングコートを羽織ったこともある。その重要人物が突如、更迭の危機に立たされた――。

◇経済司令塔というプレッシャー

 金徳訓氏は2020年8月に開かれた党政治局会議で首相となった。

 公式報道で名前が出てきたのは、2001~08年に大安重機械連合企業所の支配人を務めていた時とみられる。金正恩時代に入って頭角を現し、2014年に副首相、2016年に党中央委員、2019年4月に党政治局委員候補、12月に党政治局委員、2020年8月の首相就任とともに党最高指導部メンバーの党政治局常務委員にも選出された。まさに金正恩時代に高速出世を遂げた人物といえる。

 金総書記は先代の金正日(キム・ジョンイル)総書記から指導体制を引き継いだ際、旧態依然としていた党幹部らに強い不信感を抱いていたといわれる。古い幹部をすべて入れ替えて、新しい発想で党・国家運営に向き合える人材を登用した。軍部では朴正天(パク・ジョンチョン)氏、党では金才竜(キム・ジェリョン)、李日煥(リ・イルファン)の両氏、そして内閣では金徳訓氏が引き上げられることになる。

 2020年8月のタイミングで金徳訓氏が首相に抜擢されたのは、翌年1月開催の党大会における国家経済発展5カ年計画策定を見据えた措置だったとみられる。

 北朝鮮首相は経済の司令塔とはいえ、必ずしも強力な権限があるわけではない。

 実権は党や軍にあり、特殊機関が既得権益を離さない。どの組織が何をして、モノがどう動いているのか、内閣が把握できているわけではない。実権のない内閣が国の経済をコントロールするには、そもそも大きな困難が伴う。

 ちなみに、外務省や社会安全省、国家保衛省、国防省は「省庁」ではあるが、金総書記をトップとする国務委員会の直属であり、首相の指導を受けるわけではない。内閣全員会議には外相や社会安全相らは参加しないようだ。首相は経済に特化した存在であると考えてよさそうだ。

険しい表情の金総書記の様子を伝える22日付労働新聞電子版=筆者キャプチャー
険しい表情の金総書記の様子を伝える22日付労働新聞電子版=筆者キャプチャー

◇「責任回避」という指摘

 金総書記は21日、南浦(ナムポ)の海岸付近で堤防が決壊した干拓地を視察し、金徳訓氏や内閣を厳しく批判し、公式報道の写真でも険しい表情を浮かべている。

 朝鮮中央通信が伝えた金徳訓氏に対する金総書記の主な発言は次の通りだ。

「内閣総理(首相)は傍観的な態度で現場を1度や2度見て回って帰り、副総理を派遣するのにとどまった」

「下部単位の誤った働きぶりも問題であるが、干拓地建設局がこのような建設を勝手に承認してむやみに実行する時まで、内閣が全く知らなかったというのは行政・経済規律がどんなに乱れているかを見せる端的な実例だ」

「最近の数年間に金徳訓内閣の行政・経済規律がだんだん劇甚に乱れ、その結果、怠け者らが無責任な働きぶりで国家経済事業をすべて駄目にしている」

「内閣総理の無力な活動態度と歪んだ観点にも大いに問題がある」

「内閣総理の無責任な活動態度と思想観点を党的に深く検討する必要がある」

 公式報道を使ってここまで強い表現で非難するのは、最近では珍しい。金徳訓氏は厳しい処分を受けることになるだろう。

 先述した通り、金徳訓氏に与えられていた権限は限定的だろう。北朝鮮での政策遂行は、たとえ金総書記であっても、既得権益層からの静かな抵抗に遭い、十分な成果を得られない例が少なくない。

 韓国メディアは、金総書記の言動について「食糧難など北朝鮮経済の劣悪な状況が続いているため、その矛先を金徳訓氏らに向け、自らの責任を回避しようとする意図があるのではないか」との見方を報じている。

 金総書記の指示を受け、金徳訓氏はそれに忠実に職務を遂行しようとしたが、現場はエネルギーや資材の不足などさまざまな制約から金徳訓氏の考えに沿った動きができず、結果を出すことができなかった――仮にこれが実情ならば、金徳訓氏の後任もまた同じ状況に立たされ、右往左往することになるだろう。

ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長

大阪市出身。毎日新聞入社後、大阪社会部、政治部、中国総局長などを経て、外信部デスクを最後に2020年独立。大阪社会部時代には府警捜査4課担当として暴力団や総会屋を取材。計9年の北京勤務時には北朝鮮関連の独自報道を手掛ける一方、中国政治・社会のトピックを現場で取材した。「音楽」という切り口で北朝鮮の独裁体制に迫った著書「『音楽狂』の国 将軍様とそのミュージシャンたち」は小学館ノンフィクション大賞最終候補作。

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