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著名人を次々に摘発、監視カメラよりも強力な密告組織とは

西岡省二ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長
朝陽群衆について報じる網易ビデオの一場面=筆者キャプチャー

 北京市民がよく口にする冗談が「わが国には世界第5位の諜報機関がある」。米中央情報局(CIA)、英秘密情報部(MI6)、旧ソ連国家保安委員会(KGB)、イスラエル対外諜報機関モサドといった「著名な情報機関に次ぐ組織」だそうだ。その名は「朝陽群衆」。ここ数年、中国の著名人の不祥事を次々に通報し、中国メディアでもさかんに取り上げられている。

◇街中の市民が監視

 朝陽群衆は北京市朝陽区に住み、通行人の監視に当たる市民ボランティアを指す。

 朝陽区は北京中心部のやや東側に位置し、大型ショッピングモールのほか、ナイトスポットの三里屯、好運街などがある。日本や米国、韓国をはじめ大多数の国の大使館、各国企業の現地事務所、各国メディアの総支局などもあり、中国内外の著名人やビジネスマンの往来が活発な地域だ。

 2020年11月1日時点で朝陽区の住民は約350万人。2018年の当局発表によると、このうち5%ほどの約19万人が朝陽群衆だそうだ。実名登録しているのは約13万人、実際に活動しているのは約6万人ともいわれる。集合住宅の商店主、公園などで「広場舞」を踊っている年配女性、ボランティアの交通指導員……。街中でよく見かける一般市民が、実は監視の目を光らせ、月間2万件以上の情報を警察当局に提供しているというのだ。

 香港の英字紙サウスチャイナ・モーニング・ポスト(SCMP)によると、1974年の中国共産党機関紙・人民日報の記事には、一般市民の協力によりKGBのスパイを捕まえたことが書かれ、こんな描写が加えられている。「スパイたちは暗闇で秘密の取引をしても、誰にも気づかれない思っていた。愚かなことだ。彼らの犯罪行為は、中国の一般市民の鋭い目にさらされていたのだ」

朝陽群衆に関する放送に使われたポスター=鳳凰網ビデオよりキャプチャー
朝陽群衆に関する放送に使われたポスター=鳳凰網ビデオよりキャプチャー

◇著名人情報の密告

 朝陽群衆の存在を再認識させたのが、今月21日夜、北京の警察当局が著名ピアニストの李雲迪(ユンディ・リ)容疑者を買春の疑いで拘束した事件だ。

 李容疑者は18歳だった2000年、ショパン国際ピアノコンクールで中国人として初めて優勝し、端正な容姿によって「ピアノ王子」と呼ばれてきた。この事件は国内外に衝撃を与え、翌日には中国音楽家協会が会員資格の剥奪を発表した。

 この時、警察当局の発表に記されていたのが「『朝陽区の住宅地で売春をしている人がいる』という市民からの密告」。これを端緒に捜査した結果、李容疑者の関与が浮上したという。

 北京の警察当局は2010年代に入って、朝陽群衆からの情報提供をもとに著名人を次々に摘発している。2013年8月には有名な投資家、薛蛮子(本名・薛必群)氏を買春容疑で、2014年8月にはジャッキー・チェン氏の息子ジェイシー・チャン氏を薬物使用容疑でそれぞれ拘束したことで、朝陽群衆の存在が広く知られるようになった。

 その後も朝陽群衆の通報による著名人摘発が相次ぐ。中国文化管理協会の中国版ツイッター「微博(ウェイボー)」への投稿には、2014年以後、歌手の李代沫氏や尹相杰氏、脚本家の寧財神氏、俳優の高虎氏や王学兵氏、黄海波氏ら、少なくとも10人の名前が明らかにされている。

◇基準が必要

 SCMPによると、北京の有力紙、北京青年報の記者が2015年、朝陽区のある地域を取材し、当時の様子を次のように書いている。

 そこには200人以上の朝陽群衆がいる。「熱狂的な住民だったり、商店の経営者だったり、みなが赤い腕章をつけている。食べ物を買ったり、散歩をしたりしている時、何か怪しいものを見つけると、すぐに地域の警察に報告する」

 地域住民約70人による24時間体制のパトロールチームもあり、全員が警察の電話番号を手にしているという。著名人摘発だけでなく、急病人の介抱や犯罪捜査への協力にも応じているそうだ。

 一方で、朝陽群衆による通報の弊害を指摘する声もある。華東政法大の専門家は北京青年報の取材に対し、「個人のプライベートな空間が安易に狭められてしまう。公共の安全を守ることと、プライバシーを守ることのバランスを考える必要がある。朝陽群衆が通報できる内容の基準を示すなどの対策が必要だ」と述べている。

ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長

大阪市出身。毎日新聞入社後、大阪社会部、政治部、中国総局長などを経て、外信部デスクを最後に2020年独立。大阪社会部時代には府警捜査4課担当として暴力団や総会屋を取材。計9年の北京勤務時には北朝鮮関連の独自報道を手掛ける一方、中国政治・社会のトピックを現場で取材した。「音楽」という切り口で北朝鮮の独裁体制に迫った著書「『音楽狂』の国 将軍様とそのミュージシャンたち」は小学館ノンフィクション大賞最終候補作。

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