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中国通の元首相が教える「中国にとって重大な脅威」となるもの

西岡省二ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長
菅義偉首相(中央)と記念写真の撮影に臨む日米豪印4カ国外相(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

 オーストラリアのラッド元首相が今月、米外交誌「フォーリン・アフェアーズ」に中国外交に関する論文を発表した。ラッド氏は中国の故事成語に精通し、流ちょうな中国語を話す知中派だ。そのラッド氏が中国側からみた最近の国際情勢について論じ、「Quad(クアッド=日米豪印4カ国の枠組み)が機能すれば、中国の野望にとって重大な脅威となる」との見解を示している。

◇当初は中国側の警戒心も高くなく

 ラッド氏はまずQuad立ち上げの経緯を振り返っている。

 この構想は、2006年に当時の安倍晋三首相が「共通の価値観」を持つ4カ国の対話推進を訴えたのがきっかけだった。だが、このころブッシュ米大統領(当時)は「対テロ戦争」で中国の支持が必要とし、印豪両国とも対中経済関係が損なわれるのを懸念し、反応は限定的だった。安倍氏の首相辞任でこの枠組みは姿を消した。

 だが安倍氏が2012年に再登板し、計画が再浮上した。その間、国際情勢は大きく変化し、米中は緊張して南・東シナ海での中国の自己主張が強くなった。2017年11月にはマニラでの東アジアサミットに合わせて4カ国の局長級会合が招集された。ただ、この時には共同コミュニケを発表できなかった。中国側の警戒心も高くなく、王毅(Wang Yi)外相が「(メディアの)見出しを飾るためのアイデア」と揶揄するほどだった。

 その後、4カ国は2019年9月には米ニューヨークで初の外相会談を開催する。中国に配慮してきたオーストラリアは2020年4月、米国とともに新型コロナウイルス発生源の国際調査を求めて中国と対立。インドも同年6月の中印国境紛争を機に対中政策を見直し、4カ国の枠組みに積極姿勢を見せるようになった。

 米国は北大西洋条約機構(NATO)にならって「Quadプラス」を構築したい考えで、ニュージーランド、韓国、ベトナムが参加国候補に上げられている。

◇「殺一儆百」のターゲットがオーストラリア

 ラッド氏は「中国は当初、比較的単純な(Quad)対応策があると考えていた」とみる。それは、4カ国が中国市場に大きく依存していることを強調し、アメとムチを使ってくさびを打ち込むというものだった。

 中国が「ムチを使うべき対象」として選んだのがオーストラリア。中国には「殺一儆百」(ひとりを厳しく罰して大勢の見せしめとする)の戦術がある。Quadに当てはめれば、ひとり(オーストラリア)を罰して2人(インドと日本)に警告するということになる。

 中国は「オーストラリアを“Quadの中で経済的圧力に最も弱い国である”と判断」(ラッド氏)し、矢継ぎ早に石炭、大麦、小麦、木材、銅、砂糖、ロブスター、ワインなどの輸入を制限した。

 一方、「アメ」に関しては、インドや日本には関係修復に取り組んだ。日本とは習近平(Xi Jinping)国家主席と菅義偉首相の首脳会談を調整し、インドとは紛争地域から軍を撤退させるなど緊張緩和に打って出た。だが、前者は尖閣諸島沖での中国側の領海侵犯や香港の人権問題で冷え込み、後者もインド側の対中警戒心がとけず、「安全保障で米国や他のパートナーと集中的に関わる必要がある」との考えが高まった。

 結局、「Quadを無視することも、くさびを打ち込むこともできない、と中国は悟った」というのがラッド氏の見解だ。

◇Quadを孤立させ、周辺化

 そこで中国は「第三の選択肢」として、全面的な政治的攻撃に打って出た。Quadに関し、中国は「新たな冷戦を始めようとしている小さな徒党」「多国間主義を口実に徒党を形成したり、イデオロギー的な対立を煽ったりしている」などと批判することが多くなった。中国は東アジアの地域的な包括的経済連携(RCEP)を推進し、欧州連合(EU)との投資協定の締結を目指す。米国主導の環太平洋パートナーシップ(TPP)交渉から発展した包括的・進歩的なTPP協定(CPTPP)への参加にも前向きだ。

 世界の舞台で外交的・商業的にQuadを凌駕することで、Quadを孤立させ、周辺化させたい――これが中国の思惑だとラッド氏は考える。だが、この考えとは裏腹に、Quadは存在感を示す。

 今年3月には初めての4カ国首脳会談(Quadサミット)がテレビ会議方式で開かれた。共同声明が発表され、名指しは避けながらも中国を念頭に「民主主義的な価値観に支えられ、抑圧によって制約されない、自由かつ開放・包括的で健全な地域を目指す」と記された。

 Quadはさらに動き続け、今年6月の主要7カ国(日米英仏独伊加)首脳会議(G7サミット)にはオーストラリア、インドのQuad2カ国と韓国が招待された。米EU、米NATOの両協議でも中国が議題となり、中国側でさらに懸念が高まった。

 これに先立つ米韓首脳会談(5月)に際しても「韓国のQuad参加」が取りざたされ、関係国の間で「韓国も加わってQuint(クイント)になるのでは」との観測が広がった。

◇中国の野心に立ち向かうなら

 Quadの効果について、ラッド氏は「安全保障の面では、米国がかかわるいかなる紛争にもオーストラリア、インド、日本の軍事力が関与する可能性を中国が認識するようになる。つまりQuadは、台湾海峡、南シナ海、さらには東シナ海におけるさまざまなシナリオにおいて、中国側の考え方を変えることになる」とみる。

 ラッド氏が重視するのは、米国の「太平洋抑止イニシアチブ(PDI)」(インド太平洋地域の米軍強化を目的とする基金)とQuadが連携を取ること。「この地域の同盟国に配備されたミサイルなど精密攻撃能力の分散型ネットワークは、中国が台湾に脅威を与える能力を阻む可能性がある」と考えるからだ。また「もうひとつの中国の懸念」として、ラッド氏は「Quadが『ファイブ・アイズ』(米英加豪ニュージーランドの英語圏5カ国による機密情報共有の枠組み)と情報を共有することで、中国の戦略・行動に関する機密情報がより広く発信されるようになること」を挙げている。

 そのうえで、ラッド氏は中国とQuadの先行きを次のように描いている。

「中国の視点から見た最悪のシナリオは、Quadが『より広範で世界的な反中連合の基盤となる』ことだ。もしQuadが他のアジア諸国やEU、NATOを巻き込んで中国の国際的な野望に立ち向かうなら、やがて全体のパワーバランスが決定的に中国に不利になる可能性がある」

「Quadはまた、より広範な同盟国の経済・関税・規格の連合の基礎を築くこともでき、グローバルなインフラ資金、サプライチェーン、技術標準など、あらゆるものが再構築される可能性がある」

ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長

大阪市出身。毎日新聞入社後、大阪社会部、政治部、中国総局長などを経て、外信部デスクを最後に2020年独立。大阪社会部時代には府警捜査4課担当として暴力団や総会屋を取材。計9年の北京勤務時には北朝鮮関連の独自報道を手掛ける一方、中国政治・社会のトピックを現場で取材した。「音楽」という切り口で北朝鮮の独裁体制に迫った著書「『音楽狂』の国 将軍様とそのミュージシャンたち」は小学館ノンフィクション大賞最終候補作。

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