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40年前『愛の不時着』はあり得なかった?――金正恩氏祖父を「ハンサム」と言った95歳女性ようやく無罪

西岡省二ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長
金日成国家主席の肖像(写真:ロイター/アフロ)

 韓国の朴正煕政権(1961~79年)時代に「北朝鮮の金日成氏(金正恩朝鮮労働党委員長の祖父)はハンサムだったよ」などと口走ったとして有罪判決を受けた95歳の女性に対し、約40年たってようやく無罪が言い渡された。適用されていたのは、「事件を作り出す」という手法がたびたび批判されていた「反共法」だった。

◇反共法違反容疑

 ソウル中央地裁はこのほど、反共法違反の疑いで1979年に有罪判決を受けていた女性(95)に対し、再審で無罪判決を言い渡した。

 韓国メディアの情報を総合すると、女性は78年6月、韓国京畿道の知人宅で「金日成が住んでいた藁家」「平壌国立劇場で上映されるサーカス」などの北朝鮮の放送を約50分間視聴した。

 翌日、知人に「金日成氏はふっくらしている。40代のように見え、ハンサムだった」「北側にはあちこちに高層ビルがあり、道路もきれいに整備されていた」などと話した。同日夜には親族に対し、自宅のテレビで北朝鮮の放送が映るか試してみようと口にしたという。

 こうした言動が反共法違反にあたるとみなされ、女性は同年9月に拘束・起訴され、翌79年3月に最高裁で懲役10カ月が確定した。

 女性は今年5月になって再審を請求し、最近、無罪が言い渡された。

 地裁はこの女性に関して▽普段から北朝鮮について言及するようなことはなかった▽連続ドラマを見るために知人宅に行ったら、たまたま北朝鮮の放送が映っていた▽拘束された状態で裁判を受けており、法廷での陳述に信ぴょう性はなさそうだ▽女性の行為によって国の存立・安全を危うくしたり、自由民主的な基本秩序に危害を加えて明白な危険が発生したりしたとは考えにくい――などと認定したという。

◇朴正煕政権の行き過ぎ

 反共法は、朴正煕氏が軍事クーデター(1961年5月16日)のあと、共産主義に加担する一切の行為を禁止するために制定したものだ。

 反国家団体に加入したり他人を勧誘したりした場合、7年以下の懲役▽国外の共産系の活動に同調したり賛美・鼓舞したりして反国家団体を利する行為をした場合、7年以下の懲役▽これらの目的で文書・図書その他の表現物を製作・輸入・複写・保管・配布・販売・取得した場合、同様の刑とする――などと規定されていた。

 条文にある「賛美・鼓舞」の解釈があいまいなため、時の政権が「反政府的」とみなす行為に恣意的に適用したため、言論弾圧に結びついていた。

 反共法が適用されて拘束された事例は▽映画『7人の女捕虜』(1965年)で朝鮮人民軍を肯定的な印象で描写したとみなされた李晩煕監督▽官僚腐敗を問題視した長編詩『五賊』(1970年)が「階級意識を刷り込む『容共作品』」と曲解された詩人・思想家の金芝河氏ら3人――など数多くある。光州事件(1980年)の引き金となった金大中氏(のちに大統領)らの逮捕容疑にも「反共法違反」が含まれていた。この解釈でいえば、最近流行している韓国ドラマ『愛の不時着』も、時代が違えば反共法違反とされていたかもしれない。

 反共法違反事件では自白が事件成立の唯一の根拠となった。このため拷問が横行し、捏造も多発した。反共法は国家保安法との重複が多く、その内容の一部が国家保安法に吸収される形で1980年12月31日に廃止された。

 朝鮮日報が2014年3月6日付で伝えた最高裁のデータによると、再審請求の件数は年間200件前後。13年の再審請求者のうち、朴正煕政権下の「大統領緊急措置」(国家の危機的な状況に際して大統領が国民の自由や権利を暫定的に制限すること)違反に問われた人は85人、国家保安法違反と反共法違反に問われた人が、それぞれ16人いるという。

ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長

大阪市出身。毎日新聞入社後、大阪社会部、政治部、中国総局長などを経て、外信部デスクを最後に2020年独立。大阪社会部時代には府警捜査4課担当として暴力団や総会屋を取材。計9年の北京勤務時には北朝鮮関連の独自報道を手掛ける一方、中国政治・社会のトピックを現場で取材した。「音楽」という切り口で北朝鮮の独裁体制に迫った著書「『音楽狂』の国 将軍様とそのミュージシャンたち」は小学館ノンフィクション大賞最終候補作。

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