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「ワクチン外交」に黄色信号――中国製に「有害で深刻な事態」。ブラジルの政争が影響か

西岡省二ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長
新型コロナウイルスに関連した式典で発言するボルソナロ大統領=10月19日(写真:ロイター/アフロ)

 ブラジルは今月9日、自国で進めている新型コロナウイルスの中国製ワクチンの治験を一時的に停止したと発表した。当局は「有害で深刻な事態が発生」を理由に挙げているが、ブラジルで激しさを増す「中国製ワクチンをめぐる政争」が影響しているもようだ。この措置は中国が進める「ワクチン外交」を減速させる恐れもあり、中国側で懸念の声も上がる。

シノバックのワクチン「コロナバック」

 米政府系放送局「ボイス・オブ・アメリカ(VOA)」によると、ブラジル政府は11月9日、国家衛生監督庁(ANVISA)のウェブサイトを通じて、中国の製薬会社「科興控股生物技術(シノバック・バイオテック)」のワクチン「コロナバック」に関するブラジルでの第3相臨床試験(治験)を一時的に停止したと発表した。同時にブラジルが米製薬大手ファイザーと連絡を取り、ワクチン購入について協議しているとも伝えられた。

 ANVISAは「10月29日に有害で深刻な事象が起き、ワクチンの臨床試験を中断すると決定した」とだけ記している。「深刻な事象」は具体的に記されていないが、「事象」の中には一般に▽被験者の死▽致命的な有害事象▽深刻な障害――などが含まれるとの説明が添えられている。停止期間は書かれていない。

 ブラジルは新型コロナの深刻な影響を受けた国の一つだ。世界保健機関(WHO)によると、11日現在の感染者数567万5032人、死者数16万2628人に上っており、ブラジル当局は速やかなワクチン入手を求めている。現地からの報道によると、「コロナバック」は、首都ブラジリアのある連邦直轄区と7つの州で治験が進められてきたという。

◇政治的思惑

 一方、この中国製「コロナバック」は、ブラジルで政争の具とされてきた経緯がある。

 サンパウロ州政府は「コロナバック」の開発に協力的な姿勢を取る。7月から9000人を対象に治験を実施し、10月には「深刻な副作用は報告されていない」と発表、4600万回分を9000万ドル(約95億円)で購入する契約を結んでいる。サンパウロ州のドリア知事は「国内で治験が進められているワクチンの中で最も安全で有望」と主張している。

 これに対し、“ブラジルのトランプ氏”とも呼ばれるボルソナロ大統領は「コロナバック」の安全性に疑問を抱き、治験に関しても「ブラジル国民は誰のモルモットにもならない」と反発している。ボルソナロ氏は、英オックスフォード大学や英製薬大手アストラゼネカが共同開発するワクチンを有望視しているとされる。

 ボルソナロ氏はそもそも中国に批判的であるうえ、ドリア知事とは政治的にライバル関係にある。ボルソナロ氏としては、中国やドリア知事の成果となるようなワクチン開発は阻止したいというのが本音だろう。ボルソナロ氏の支持者は今月1日、サンパウロでデモを強行して「中国のワクチンとドリア知事は出て行け」と訴えている。

 こうした状況から、ANVISAがボルソナロ氏から圧力を受け、治験を一時的に停止したのでは、という疑念が生じている。

◇中国のワクチン外交

 一方、中国はワクチン開発を「国際社会で指導的地位を固めるためのカード」ととらえているようだ。特に発展途上国を中心にワクチンを提供するという「ワクチン外交」を展開し、新型コロナ発生源をめぐる論議や香港問題などで広がる反中感情を抑え込みたいという意図を感じ取れる。

 習近平国家主席は6月の段階で「中国がワクチン開発に成功すれば最初にアフリカに提供する」と表明。王毅外相も7月、メキシコやコロンビアをはじめとする中南米諸国のワクチン購入を支援するために10億ドル(約1053億円)規模の借款提供を約束してきた。

 それだけに、今回の治験の一時停止発表は、ワクチン外交の勢いに水を差す形となった。

 中国製ワクチン開発にブレーキがかかった同時期、米ファイザーは、開発中のワクチンについて4万人以上が参加した治験で90%の有効性が示されたと発表した。米メディアは年内あるいは年明けにも供給が始まる可能性があると報じ、新型コロナの食い止めへの希望が持てるとして各国で株価が上がっていた。

 このような状況に関し、共産党機関紙・人民日報系「環球時報」の胡錫進編集長は10日、中国版ツイッター「微博(ウェイボー)」で「ワクチンの研究開発に、政治や経済的利益の過度な追求が絡んでいないか懸念している」と投稿している。

 中国の科学技術省は先月、中国製ワクチン4種類の治験に参加した計6万人に重篤な有害事象が起きたとの報告はないと発表していた。シノバック側も今月10日、「ブラジルでの治験は『医薬品の臨床試験の実施に関する基準』(GCP)に厳密に従って実施されており、ワクチンの安全性には自信を持っている」との声明を発表している。

ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長

大阪市出身。毎日新聞入社後、大阪社会部、政治部、中国総局長などを経て、外信部デスクを最後に2020年独立。大阪社会部時代には府警捜査4課担当として暴力団や総会屋を取材。計9年の北京勤務時には北朝鮮関連の独自報道を手掛ける一方、中国政治・社会のトピックを現場で取材した。「音楽」という切り口で北朝鮮の独裁体制に迫った著書「『音楽狂』の国 将軍様とそのミュージシャンたち」は小学館ノンフィクション大賞最終候補作。

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