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特定が進む北朝鮮“第1号”新型コロナ感染者――性的暴行/借金で韓国を離れた元脱北者か

西岡省二ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長
YouTubeチャンネル「開城アナック」に出演したキム氏(右)=筆者キャプチャー

 北朝鮮が新型コロナウイルス感染の発生を初めて明らかにした際、「韓国から戻ってきた脱北者」に「感染が疑われる釈然としない結果が出た」と主張した。韓国では“該当者探し”が本格化し、南北の境界線に近い金浦に居住していたキム氏=北朝鮮開城出身=ではないかとの見方が強まっている。

◇YouTube出演

 韓国の主要紙は、北朝鮮側の発表後まもなく「該当者は脱北者のキム氏(24)と推定される」と報じ、関連情報を伝えている。

 キム氏は先月、知人の脱北者キム・ジナさんのYouTubeチャンネル「開城アナック」に数回出演し、自身が2017年6月に脱北に至った経緯などを詳細に明らかにしている。サングラスで目を隠し、時折、笑顔を見せながらリラックスした様子でキム・ジナさんのインタビューに答えている。

 先月22日アップされた映像で、キム氏は北朝鮮を離れた動機を語っている。

「開城工業団地が閉鎖され、商売が難しくなった。生きるのもしんどくなり、希望が見えなくなりました。……開城の白馬山に登りました。死ぬべきかどうか、何もせず何も食べず、そこに3日間いました。

 南の方角には、韓国・金浦が見えました。ところどころに明かりが見え、山には木がありました。住宅も高層化しています。

 初めて見るものではなかったですが、とてもかっこよく思えた。気になったので(ここで)死ぬのではなく、一度、気になるものを行って見てみよう、という気持ちでした」

◇「泳いで漢江を渡る」

 6月25~26日にアップされた映像では、どのように韓国に逃れたのか詳細に語っている。

「白馬山から下りて、ここ(軍事境界線)を越えようと決心した。午後3時ごろでした。2重の高圧鉄条網の下を這って抜け出した。地雷畑に入った時には、木の枝を折って、突き刺しながら一歩一歩進み、(南北を隔てる)漢江の葦畑に出たんです。監視の目があるので葦畑に3時間ほど隠れました。そこで発泡スチロールを見つけ、救命帯を作って夜になるのを待ちました」

 2017年6月23日だった。泳いで漢江を渡り、韓国側に入った。

キム氏が移動した場所の位置関係(カカオマップをもとに筆者が漢字を加筆)
キム氏が移動した場所の位置関係(カカオマップをもとに筆者が漢字を加筆)

「しばらく泳いでいると、工場のような大きな明かりが見えたんです。さらに泳ぎ続けたが、韓国側の兵士を見つけられず、“死ぬのかな”とあきらめかけた。

 それでもしばらく進んでみたら(無人島の)留島が見えたんです。ここから境界線は近いと考え、『助けてくれ』と大声で叫んだんです。韓国側で私の声に気づいたようで、ライトを照らし、車両が行き来するのが見えました。

 それを見て、陸に這い上がったんです。すると、韓国側の門が開いて、軍人と警察の人が出てきた。その瞬間、私は倒れ込んだ。

 ランニングシャツだけを着て、ブルブル震えていたので(韓国の軍人が)布団をかけてくれた。車に乗せて、どこかに連れて行ってくれた。そこで『何か食べたいものはないか』と気を使ってもらえたのです」

◇韓国では評判を落とし

 ところが、韓国入りしたあとのキム氏の評判は芳しくない。

 韓国メディアの情報を総合すると、キム氏は金浦郡に住み、専門学校に通ったものの中退した。YouTubeがアップされたのと同時期の6月中旬には、金浦の自宅で、知人の女性と飲食をしたあと、性的暴行を加えた疑いがもたれ、警察の取り調べを受けて書類送検されている。

 さらに脱北者仲間から2000万ウォン(176万円ほど)を借り、返済せずに逃げていたともいわれる。

 一方、韓国の防疫当局によると、27日の時点で、新型コロナウイルスの感染者あるいは濃厚接触者としてのキム氏の登録はないという。またキム氏と頻繁に接触していた2人を検査したが、いずれも陰性だったという。

 聯合ニュースは、キム氏は今回も漢江を渡って北朝鮮に戻った可能性が高いとみている。キム・ジナさんは、キム氏が今月17日、知人と一緒に喬桐大橋(韓国・仁川)周辺を訪れたと証言している。キム氏は北朝鮮帰還前に事前調査をしていた可能性がある。

 北朝鮮側はそれまで「新型コロナ感染をゼロ」としてきた。今後、キム氏の人定や脱北・帰還の事実関係が確認されれば、北朝鮮側は何らかの形で「国内で感染が拡大した責任は韓国にある」などと主張する事態が予想される。

ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長

大阪市出身。毎日新聞入社後、大阪社会部、政治部、中国総局長などを経て、外信部デスクを最後に2020年独立。大阪社会部時代には府警捜査4課担当として暴力団や総会屋を取材。計9年の北京勤務時には北朝鮮関連の独自報道を手掛ける一方、中国政治・社会のトピックを現場で取材した。「音楽」という切り口で北朝鮮の独裁体制に迫った著書「『音楽狂』の国 将軍様とそのミュージシャンたち」は小学館ノンフィクション大賞最終候補作。

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