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横田滋さんは「第2の犠牲者」――拉致問題の突破口とは

西岡省二ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長
孫娘一家との面会を報告する横田さん夫妻=2014年(写真:ロイター/アフロ)

 北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの母早紀江さんは9日夕の記者会見で、先日亡くなった夫滋さんについて「全身全霊で打ち込んで、頑張ったと思います」とたたえた。被害者やその家族の高齢化、拉致問題の長期化が進むにつれ、北朝鮮を相手取ることへの無力感が漂う。この問題の突破口はないのだろうか。

◇「本当に立派な方なんです」

 筆者が横田滋さんに最初に会ったのは1997年3月。当時、拉致被害者家族会の結成に向け、滋さんは多忙を極めていた。だが、そんなことを少しも感じさせない、穏やかで丁寧な話しぶりだった。

「1993年11月に日銀を退職しましてね。いまは日曜日だけ、上野にある国立科学博物館で教育ボランティアをしているんです。応募があったので申し込みました。剥製なんかが置いてあるので、それを見ながら、子供たちにいろんな話をしています」

 めぐみさんがいなくなった当時の心情を説明する際も、その話しぶりは変わらなかった。

「帰ってくるかもしれないと思いましてね、帰りやすいように玄関を明るくして鍵をかけないでいたんですね。そして、必ず家には1人はいるようにしました。いつ“帰りたい”という電話がかかってくるかわかりませんから……。家族旅行もやめました」

 当時はまだ「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に拉致された疑いが持たれている事件」という表記だった。被害者家族の一部に「政府まかせでなく、我々が行動を起こさないと解決の道筋が見いだせない」という声が上がって会が結成され、滋さんはその中心的存在となった。当時、日本政府は「拉致された疑いのある日本人は6件9人」としており、この中にめぐみさんは含まれていなかった。

 拉致被害者には何の落ち度もない。また滋さんは、周囲が異口同音に「本当に立派な方なんです」と表現する人格者だった。拉致問題に詳しくない通りすがりの人たちに、腰を低くして現状を説明し、頭を下げて協力を求めた。その様子が広く知られるようになって共感を呼び、いつしか妻早紀江さんとともに拉致問題の悲劇を象徴する存在となった。

◇日朝首脳会談とストックホルム合意

 拉致問題は改めて記すまでもなく、1970~80年代、多数の日本人が不自然な形で行方不明になり、北朝鮮による拉致の疑いが浮上。北朝鮮側は長年否定してきたものの、2002年9月の日朝首脳会談で、当時の最高指導者、金正日総書記が拉致を認めて謝罪し、再発防止を約束した。

 北朝鮮側はこの時、日本政府が認定していた拉致被害者13人のうち「4人は生存、1人は北朝鮮入境が確認できない」としたうえ、めぐみさんを含む8人を「死亡」とした。この発表を聞いて、滋さんは記者会見で涙を流し、声を詰まらせながら衝撃を語った。その姿は、被害者やその家族への同情心とともに北朝鮮に対する国内の激しい憎悪をかきたて、その結果、空前の反北朝鮮感情が沸き上がった。

 北朝鮮側は徹底した調査を約束したが、証拠として提出したものは、記述が不自然な死亡診断書だったり、「めぐみさんらの遺骨」としながらも別人のDNAが検出されたりして、信ぴょう性が疑われた。このため日本側は「みんな生きている」という方針で北朝鮮に向き合うことにした。

 その後、日朝間では、核問題をめぐる6カ国協議(日米中韓露と北朝鮮)の枠組みで2国間協議を持って膠着打開が図られたが、進展はみられなかった。

 ところが、金総書記が死去して金正恩氏が最高指導者に就任。日本でも安倍晋三氏による安定政権が誕生したことを受けて対話の機運が高まり、交渉の末、2014年、スウェーデン・ストックホルムでの協議で合意が成立した。

 北朝鮮は「特別調査委員会」を設置し、1945年前後に北朝鮮域内で死亡した日本人の遺骨及び墓地▽残留日本人や日本人配偶者▽拉致被害者▽行方不明者――という四つの分野において、包括的かつ全面的な調査を開始するとした。日本側はこの見返りに独自制裁を解除した。

◇同床異夢

 だが、この特別調査委は当初から同床異夢だった。

 日本側は「認定被害者の生存情報が出てくる」と踏んだが、北朝鮮側は「すべての日本人に関する調査」を強調して「認定被害者でなくても他のカテゴリーの日本人に関して調査結果を出せば“目に見える成果”と主張できる」との立場だったようだ。

 北朝鮮では金総書記が「拉致は解決済み」としたため、これを変更するのは容易ではない。後継者の金正恩氏が立場を修正したという情報も伝わってこない。したがって拉致問題に関しては当初から「北朝鮮がこれまでと同じ結果で終わらせる可能性」が指摘されてきた。

 特別調査委をめぐってはさまざまな“観測気球”が打ち上げられた。「北朝鮮側から日本側に内々に情報が示された。政府認定拉致被害者に関する情報は過去と同様で、他の日本人の新たな情報ばかりが開示された。『認定被害者での成果』にこだわった日本側は、それを見なかったことにした」

 ウォッチャーの間では、この観測気球が日本側の姿勢を代弁しているという見方が強まっていた。反北朝鮮の国民感情が渦巻くなか、北朝鮮と交渉した末に「認定被害者の生存情報はなかった」という話を持ち帰ろうものなら、国内で激しい批判にさらされ、その次には全く進めないためだ。おのずと「認定被害者の生存情報がアップデートされないなら、交渉を動かさなくていい」という判断が強くなり、これに呼応するように北朝鮮側の動きも鈍くなった。

 結局、北朝鮮が2016年に核実験や弾道ミサイル発射を繰り返したため日本が独自制裁を強化して日朝関係がこじれ、北朝鮮は特別調査委の解体を宣言した。その後、拉致問題に大きな進展はない。

◇突破口はあるのか

 拉致問題には、北朝鮮の独裁体制と向き合うという強い特殊性がある。

 北朝鮮外交の基本は「強硬には超強硬」「超強硬には超超強硬」といわれるほど、譲歩というものは念頭にない。「工作機関の人間が交渉に出てくれば、平気でウソをつく」「目の前の交渉相手の背後はヤミに包まれている」(対北朝鮮交渉に携わる日本の外交官)という状況もある。また、目の前の交渉担当者が果たして最高指導者に自分たちの意向をその通りに伝えるか、確証がないこともある。

 同時に、国内的にも敏感な問題である。02年首脳会談以後、国内世論は北朝鮮に対して強硬になり、「拉致問題では何をやっても批判を受ける。だから政治判断を仰ぐしかない」「多様な意見があってもいいのに、マスコミも含めて『世論に乗っかる』『批判をされないようにする』ことを最優先にしている」「かつて日本では核問題よりも拉致問題が重視される傾向があった。みんなどこかで『おかしい』と感じながらも、そのままにしてきた」。こんな声が交渉や報道の第一線で聞かれたこともあった。

 さらに、北朝鮮が核・ミサイル実験などを繰り返すことによって「北朝鮮は世界中から悪者にされている本当のヒール」という見方がある。「だから日本では北朝鮮を悪者扱いすることに全く罪を感じない。何の遠慮も必要はない」(外務省関係者)という空気があるのも確かだ。

 こうした事情が複雑に絡み合って、日朝双方の相手側に対する国民感情は極度に悪化している。この状況で果たして、拉致問題を動かすことは可能だろうか。

 外交関係者のほとんどが「北朝鮮としてはいま日本と対話をする必要は感じていない。彼らは『米朝関係が進展して核問題がある程度前進すれば、そこに日本はついてくる』とみている」と悲観的な見方だ。

 日本側が独自制裁解除など、経済難に苦しむ北朝鮮の利益になるような措置を取るならば、対話には応じるかもしれないが、この場合でも「日本が『拉致』という言葉を出すならば会わないというのが彼らの立場」と厳しい状況なのだ。

 結局は、米国や韓国に中国なども加えた関係国と連携し、多国間の枠組みを構築して、北朝鮮をその中に引き込み、日朝対話のテーブルにつかせるのが、やはり現実的な選択肢ではないか。それが実現したあと、特別調査委の再構築を目指す。改めて日本側の疑問点を、日本側も加わった形で納得できるまで調査する。その際には、いかなる結果も受け入れる覚悟が必要となろう。

◇第2の犠牲者

 拉致問題が国民的課題となり、その先頭に立った滋さんは「もはや自分の娘だけの問題ではない」と自己犠牲的に動いた。

 かつて滋さんは孫娘に会いに平壌に行きたいという気持ちを明らかにしたことがある。当時の状況を拉致対策本部幹部から聞いたことがある。

「仮に、滋さんと早紀江さんが孫娘に会いに行き、その場所で『お母さんは亡くなりました。どうか信じてください』と泣かれてしまえば、どうなるか。夫妻も心が動かされ、『かわいそうに』と抱き締めるしかない。そこに和解の場ができてしまい、『めぐみさんは気の毒だった』という形にされてしまう可能性があった。だから慎重な判断を求められた」

 北朝鮮という国はギリギリまで手の内を明かさない。相手を試すためだ。一方で、北朝鮮の申し出に身を委ねた場合、思いもよらぬ可能性が開ける例もゼロではない。もし滋さんがこの時、平壌に行っていれば、予想外の状況を目にしていたかもしれない。だが夫妻は他の被害者家族らへの配慮から、これを自制した。

 このころ、滋さんは懇意にしている外交官に「中途半端な状態にもう疲れました。早く、どちらかにしてほしいです」と漏らしていたという。疲労は極限に達していたようだ。滋さんをはじめとする家族たちは拉致問題の「第2の犠牲者」なのだ。

 滋さんが亡くなったのを受け、早紀江さんは9日夕、息子の拓也さん・哲也さんとともに記者会見に臨んだ。

「何も思い残すことがないほど、全身全霊で打ち込んで、主人は頑張ったと思います。すごく静かな、いい顔で天国に引き上げられましたことを、良かったなと思っています」

ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長

大阪市出身。毎日新聞入社後、大阪社会部、政治部、中国総局長などを経て、外信部デスクを最後に2020年独立。大阪社会部時代には府警捜査4課担当として暴力団や総会屋を取材。計9年の北京勤務時には北朝鮮関連の独自報道を手掛ける一方、中国政治・社会のトピックを現場で取材した。「音楽」という切り口で北朝鮮の独裁体制に迫った著書「『音楽狂』の国 将軍様とそのミュージシャンたち」は小学館ノンフィクション大賞最終候補作。

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