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受動喫煙は「タバコ脳」をつくる 喫煙者が禁煙しやすい環境作りを

西多昌規早稲田大学教授 / 精神科専門医 / 睡眠医療総合専門医
写真:Shutterstock

喫煙者の多くはタバコ依存

わたしは精神科医だが、禁煙治療に携わった経験がある。精神疾患をもった喫煙患者からの禁煙相談が増加し、(当時勤務していた)病院としても対応の必要が生じてきた時代要請がある。さらに禁煙補助薬バレニクリン(商品名チャンピックス)の副作用には不眠、不安など精神症状が記載されており、一般禁煙外来にてバレニクリンの処方をためらわれ、慎重を期して精神科に紹介する例が増えてきたという背景もあった。この機会に、タバコ依存について触れてみたい。

わたしの立場を初めに明らかにしておくと、厚生労働省が進める受動喫煙対策法案には賛成である。公共の場は原則禁煙にするというのが、わたしの基本的な考えだ。受動喫煙による年間死亡者が15000人と推計されるなど、健康に対して有害であることは間違いない。

ただ、受動喫煙防止を推進する論評、特にSNSコメントのなかには、喫煙者に対する感情的反発やバッシングが一部ながらみられるのも事実である。逆も然りで、喫煙者から見れば禁煙の押しつけを「嫌煙ファシズム」と思う人もいるだろう。わたしも診察現場で、「先生、タバコぐらい大目に見てくださいよ」という声に異を唱えるのは、情が薄いような気もしてこないでもない。

しかし、受動喫煙が他人の健康を著しく障害する行動であることは、データによっても明らかである。受動喫煙問題を考えていくには、

「喫煙者のほとんどはタバコ依存症である」

という事実認識が必要である。

(正確にはニコチン依存だがわかりやすさを優先し、ここではタバコ依存と呼ぶ)

アメリカで約43000人を対象とした調査では、喫煙者の半数がタバコ依存症の診断基準を満たしていた(1)。重要なのは、喫煙者の75%-85%はタバコをやめたいと考えるが、実際にタバコをやめることができるのは50%にも満たなかった成功率の低さである(2)。日本の調査でも、喫煙者の約6割が禁煙したいと思っているにもかかわらず、病気で受診した際に医師から禁煙をすすめられた割合は3割程度しかなかったという(3)。

喫煙者は決して居直っているわけではなく、内心では「やめたい」「やめれれば」と思っている人が多数派なのである。実際に、

「『やめろ』 といってもらえない」

「やめたいのに『やめたい』と言いづらい」

など、葛藤を抱えた禁煙外来受診者も少なくなかった。

タバコ使用障害

タバコ依存は、国際的な診断基準では以下のように分類される。

・F17.2 タバコ使用<喫煙>による精神及び行動の障害,依存症候群

(ICD-10:WHO(世界保健機関)の国際傷害疾病分類第10版)

・305. 1 タバコ使用障害

(DSM-5:アメリカ精神医学会による精神疾患の診断・統計マニュアル第5版)

著作権の問題もあり診断基準をそのまま載せることは控えるが、代表的な特徴としては

  • タバコを制限したいと思ってはいるが、うまくいかない
  • 吸わないとイライラが強くなり、タバコ使用への強い欲求・衝動(渇望)が生じる
  • 危険な状況でも吸ってしまう(寝タバコ、可燃性物質近くでの喫煙)
  • タバコ使用を巡って他人と口論するなど、社会的・職業的問題が生じている

ただそれよりもタバコ依存を象徴しているのは、

「自分がタバコ依存であることを認めない」

という、否認のプロセスかもしれない。

  • 喫煙は文化の一つである
  • コミュニケーションツールとしても意味がある
  • 人間には喫煙する権利がある
  • 酒は規制されていない
  • タバコを吸っていても長生きする人もいる、

などの自己正当化は、依存症にはつきものの心理プロセスである。この正当化の裏側には、いくら強がっていても「できればやめれれば」という心理があるように思う。

受動喫煙は「タバコ脳」をつくる

禁煙したい人の意思をくじけさせるのが、当たり前のことに思えるが副流煙である。35個の研究を統合したメタ解析でも、受動喫煙は喫煙開始やタバコ依存の形成に正の相関を、禁煙に負の相関をそれぞれ示していた(4)。

神経科学にても、副流煙は、脳のタバコ渇望スイッチをONにすることが知られている。カリフォルニア大学ロサンゼルス校のポジトロン断層法(PET)を用いた研究によれば、非喫煙者において1時間程度の受動喫煙でも、直接喫煙するのと同じ程度のニコチンが脳内受容体に結合したという(5)。

受動喫煙の慢性的な蔓延が、非喫煙者への健康被害にととまらず、喫煙者のタバコ依存からの回復を妨げている証左と言える。

タバコの吸い過ぎで救急車を呼んだり生死をさまよったりしたという話は聞いたことがない。覚せい剤や、アルコールのように、長く大量に続けたために幻覚やけいれん、あるいは社会的な廃人になるようなこともない。これが、タバコが嗜好品として生き残ってきた理由でもある。しかし、

「自己制御が困難になった生物学的状況」

すなわち依存症という脳の報酬系の機能異常が発生していることは確かなのである。

禁煙サポートの重要性

覚せい剤など薬物依存に対しては、一罰百戒の厳罰主義で臨む方針に疑問の声が出され、支援の重要性が最近では強調されている。タバコは覚せい剤などとは、心身への毒性の強さやどんどん量が増えていく「耐性」などの点で異なるものの、精神的な依存性はやはり強い。タバコ依存の人にも、支援が必要であることは言うまでもない。

対策として、もちろん受動喫煙防止法に代表される公共場所での喫煙禁止やタバコ税の引き上げなど、包括的なタバコ規制も必要だろう。実際に禁煙外来受診の動機として、「タバコ代を節約したい」という家計面からの切実な要望もかなりあった実感がある。

こういった外堀を埋める施策によって、禁煙にチャレンジする人は増えている。しかし、禁煙を成功に持っていくためには、喫煙者が禁煙しやすい環境作りをさらに整えていくことが地道ながらも必要だ。治療へのアクセスが良くなること、禁煙をサポートしてくれる指導者の養成、禁煙治療が保険治療とならない患者(入院患者は禁煙治療ができない)や未成年、精神疾患といった禁煙困難例への治療期間延長など、やるべきことはまだまだある。禁煙治療については、6月4日の石田雅彦氏の記事「『禁煙本』を転がしておく禁煙法とは」には、工夫を凝らした禁煙治療の実際がわかりやすく説明されている。

冒頭にも述べたが、感情的な反発よりも、喫煙者を禁煙に導いていくサポートのほうが、建設的であると考える。

1. Grant BF, Hasin DS, Chou SP, et al. Nicotine dependence and psychiatric disorders in the United States: results from the national epidemiologic survey on alcohol and related conditions. Arch Gen Psychiatry. 2004;61(11):1107-1115.

2. WHO EMRO. Tobacco Free Initiative facts and FAQs.[Accessed May 15, 2011]. Available from: http://www.emro.who.int/tfi/facts.htm.

3. 大阪府立健康科学センター. ニコチン依存症と禁煙行動の実態に関する調査. 2005.

4. Okoli CT, Kodet J. A systematic review of secondhand tobacco smoke exposure and smoking behaviors: Smoking status, susceptibility, initiation, dependence, and cessation. Addict Behav.2015;47:22-32.

5. Brody AL, Mandelkern MA, London ED, et al. Effect of secondhand smoke on occupancy of nicotinic acetylcholine receptors in brain. Arch Gen Psychiatry. 2011;68(9):953-960.

早稲田大学教授 / 精神科専門医 / 睡眠医療総合専門医

早稲田大学スポーツ科学学術院・教授 早稲田大学睡眠研究所・所長。東京医科歯科大学医学部卒業。自治医科大学講師、ハーバード大学、スタンフォード大学の客員講師などを経て、現職。日本精神神経学会精神科専門医、日本睡眠学会総合専門医など。専門は睡眠、アスリートのメンタルケア、睡眠サポート。睡眠障害、発達障害の治療も行う。著書に、「休む技術2」(大和書房)、「眠っている間に人の体で何が起こっているのか」(草思社)など。

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