現在NHKで放送中の「ちむどんどん」を欠かさず見ている。朝ドラを見ながら、沖縄に思いを馳せている人も多いはずだ。今年の5月15日は、沖縄が本土に復帰して50年目にあたる。

 20年以上前、大学院時代の教授に連れられて行った沖縄の旅のことを思い出す。読谷村でお会いした知花昌一さんが特に印象に残っている。また、同じく読谷村でお会いした山内(徳信)村長から出身地を聞かれ、「スリランカ」と答えると、「あなたの国と沖縄は接点がある」と言われたことを思い出す。沖縄が本土復帰したのと、イギリスの植民地だったセイロンがスリランカになったのも同じ1972年だと教えてくれた。

 私はセイロンで生まれ、3歳の時に国名が変わった。その後、日本に来てから35年が経つが、スリランカ人として日本に住んでいて沖縄のことを考えると、いつも複雑な気持ちになるのだ。

 日本でスリランカ出身者として生活していると、「ジャヤワルダナの話」を使って親しみを感じてもらうことは、ごく自然な流れである。 彼は、1951年のサンフランシスコ平和会議で、戦争の犠牲者でありながら、「憎しみは憎しみによってではなく、愛によって消える」というブッダの言葉を引用して、賠償権を放棄して日本の真の自由と独立を支持する演説をした人物である。その講演は、聴衆が立ち上がって拍手するほど魅力的で、日本代表の吉田茂は感動のあまり涙を流したと言われている。今の日本があるのは、スリランカのお陰だという声もある。(ちなみに私は彼のことを「世界一の親日家」と呼んでいる。)

 ジャヤワルダナは、スリランカを代表してサンフランシコ講和会議に参加したした時はまだ40過ぎの若い(大蔵)大臣であったが、その後(1977年)、スリランカにそれまであった議院内閣制を、現行の(フランス型)執行大統領制に転換して、初代大統領になった人でもある。

 「ジャヤワルダナの話」は、日本人の中でウケが良いことは、実践者の一人として私などもよく解っている。ただ日本全国どこでも同じではない。沖縄は例外だ。サンフランシスコ講和会議での決定事項が施行された1952年、日本本土の独立は回復したが、沖縄が本土から切り離され、米国に渡された。そしてその日は、日本にとってはめでたい日だったが、沖縄にとっての屈辱の日となったこと、多数派の日本人が喜び、少数派の沖縄人が泣いた日だと知ると、ジャヤワルダナの話はそう簡単に口に出せなくなってしまう。さらにはサンフランシコ講和会議での決定によって今に至る偏った沖縄に集中する在日米軍の存在、そしてその延長線上でのロシアの北方領土の不法占拠があるのだとすると、ジャヤワルダナの話は決して美談にはならない。ましてやジャヤワルダナ大統領から直に「日本はいい国だ」などと聞いた者として、日本と沖縄、そしてスリランカの関係性についてどう気持ちを整理すれば良いのか悩むばかりだ。

写真:ロイター/アフロ

 ここ最近、テレビをつけても沖縄返還にまつわる番組が多かった。多数派である本土の日本人によって沖縄が捨て石にされ、身代わりとされた沖縄の人々だが、返還後に本土にやってきた沖縄人を温かく迎えることはなかった。「沖縄人お断り」と入居差別し、「日本語上手いね」や「箸の使い方が上手ね」と上から目線で言われた歴史があったそうだ。日本で少数者として生きるスリランカ人として全く同じ経験をした思い出が重なり、沖縄の人々に対して勝手に仲間意識を抱くのだ。

 一方、50年前に英国自治領セイロンからスリランカ共和国になった国はどうか。スリランカは130年間にわたる英国支配の反動もあってか、自国のアイデンティティの取り戻しに急いだ。アイデンティティの取り戻しは良いが、そのアイデンティティは国民の多数派に照準を合わせて展開されたことが問題だったのだ。多数派のシンハラ・ナショナリズムや仏教ナショナリズムがこの時代から盛り上がった。その結果、スリランカになってからの50年の内の25年間は、多数派によって人権が奪われた少数派のタミル民族の苦しみが元となって勃発した民族紛争に明け暮れたのだった。そして今も多数派シンハラ・仏教ナショナリズムに基づいた政治によって、タミルに限らずムスリムなどの他の少数民族に対する差別的な扱いを起因とする争いが起こっている。少数者を無視した多数派本位の政治選択が最終的に何をもたらしたのかの答えは今日のスリランカの姿なのだ。現在この国は、1948年の独立以来最悪の経済状況と政治の混乱下にある。

 希望的観測も含めてスリランカは過渡期であると考えたい。それは今回のスリランカの混乱を機に民衆は、少数者への無関心、あるいは無視して来た過去を反省し、民族や宗教の違いを乗り越えて多数派本位からの脱却を試みようとしているのだ。政治によって作り出され、悪用されてきた民族や宗教の対立を民衆が手を取り合って修復しようとしているのだ。世界一の親日家によって紹介された執行大統領制までもが今では悪用されているため、まさに今、制度見直しを行おうとしている真最中なのだ。

 5月15日にはもう一つの顔がある。スリランカを初めとする小乗仏教を重んずる国々では5月の満月のこの日は、ブッダの誕生、解脱と涅槃の三大行事を重ね合わせて「ウエサック祭」を祝うのだ。沖縄の本土返還のこの日は、国連が定める国際デーの一つでのある「ウエサック」は、仏教を通して世界平和を願う日でもあるのだ。

 この文章は、沖縄返還の日に、一人のスリランカ出身の日本人が頭を過ったものを綴ったまでだ。沖縄返還から50年経過したが、多数派の本土の日本人はどこまで接点をもって、当事者として沖縄を思っているのか疑わしい。日本の平和に基づいた持続可能な発展を考える意味において沖縄がもつ意義があまりにも大きい。沖縄の人々の気持ちをありのままにどこまで包み込めているのか、沖縄の本土返還の50周年の今日改めて問われているのだ。

写真:ロイター/アフロ

 数年前に沖縄に行った際に久しぶりに知花昌一さんにご挨拶に伺った。楽しみにしていた本土返還だったが、沖縄が置かれている状況が改善がなされず、本土に裏切られた気持ちを抑えられず、かつて日の丸を燃やした知花さんも今では僧侶なのだ。後日、私が書いた「ブッダと歩く神秘の国スリランカ」をお送りしたら、知花さんからはがきが届いた。そこには大きな字で「命どぅ宝」と書かれていた。

 命こそ宝だという真理を軸とした世の中づくりの鍵は、多数派が握っている。