貿易と聞いてまず連想するのは、コンテナを大量に積んだ巨大貨物船ではないだろうか。我々に必要な燃料や食物、嗜好品など、ありとあらゆるものが運搬されている。船舶の運行状況をリアルタイムで表示するWebサービス上には、おびただしい貨物船が今も航行している。世界の貿易において大きな比重を占める貨物船は、巨大化し、とてつもない重量で制御が難しく、安全な運航を支えるためのインフラ体制が追いついていない。実に、これらのコンテナ船は、いつ災害が起きても不思議ではない。モーリシャス石油流出事故なども記憶に新しいが、このほどスリランカ沖でも貨物船の炎上事故が起きた。

 5月20日、コロンボ港の沖合18キロ付近に入港まちで停泊していたシンガポール船籍のエクスプレス・パールの甲板で火災が発生し、10日以上経った現在も燃え続けている。スリランカ海軍とスリランカ政府から依頼を受けたインド海軍とが協力して海軍艦艇、タグボートや航空機などを出動させた24時間体制の大規模な消火作業を行っている。火災の勢いは徐々に鎮火する方向に向かっている。2人のケガ人を含む、フィリピン、中国やインドなど国籍をもつ総勢25人の船員全員を救出された。


 船上で火災が発生した原因や、事故は避けられなかったのかなどの根本的な調査には至っていない。


 エクスプレス・パールの動向を追ってみると、5月15日にインドのグジャラート州を出港して目的地のシンガポールを目指して航行して最中に動線上にあるスリランカ周辺を通過していた。船には25トンの硝酸、50トンのナトリウムメトキシド、16トンの化粧品、230トンのエタノールと850トンの水酸化ナトリウムなどが入った、計1486のコンテナを積んでいた。火災は、一つのコンテナからの硝酸漏れが原因となって発生した。硝酸それ自体は燃えることはないが、ある種の金属に触れると爆発を起こすことがある。硝酸の漏出を原因による発火後、爆発なども伴いながら、インド洋特有のモンスーン風に煽られ、船全体が炎に包まれることになった。

 これは単なる事故ではない。船員は5月11日からコンテナからの硝酸漏れに気づいていた。なぜ認識していながら航海を続けたのか。実は、対処にはあたっていた。問題のコンテナを途中で陸に上げようと、一度ならず二度、試みている。最初はカタールで、次にインドだが、どちらの港からも断られている。硝酸漏れのコンテナを受け入れる体制がなかったことが理由であると発表されている。しかし受け入れる体制が実際になかったのか、それとも受け入れたくなかっただけなのか。つまりここには大いにNIMBY(not in my back yard―必要なのはわかるが、我が家の裏庭ではやらないで)症候群の典型例の可能性も秘めているということである。

 火災や爆発の可能性を秘めた硝酸漏れのコンテナの荷下ろしを断られた結果エクスプレス・パールは助けを求めることを断念し航海を続け、コロンボ港に入港待ちの間に事故を起こしている。しかし、上記の経緯を見るとこれは事故と位置付けてよいのかということになる。事故の定義が「自己責任ではなく、思いがけず生じた止むを得ない出来事」であれば、今回はそうではない。今回の事故は起こるべくして起きており、船を運用側の問題はもちろん、パッキングの問題や、緊急時における港などの受け入れ態勢なども含めた構造的かつ犯罪的とも言うべき過失であることは、火を見るより明らかである。今回、コロンボ港より18キロの場所で事件が起きているが、入港後に事故が起きたのであれば、ベイルートでの事故の二の舞いになったに違いない。


 今回の事件を受けてスリランカは、大規模な海峡災害に備えているが、すでに被害は甚大だ。スリランカ海洋環境保護局は「スリランカ史上最悪のビーチ汚染だ」とコメントしている。目に見える被害としては特に西海岸を中心に広範囲にわたって燃えたコンテナ船から流れ出た油、何百万ものポリエチレンペレットやその他の残骸でビーチが覆われていて、中でもスリランカ国際空港に程近い人気の観光地であるニゴンボの被害が目立つ。ニゴンボは世界的に有名な観光地であることに加えて、多くの人々は漁業に依存して生活しているため、街にとって二重三重の打撃となっている。燃えた船から流れ出た燃えかすや漂着物が絡み付いた漁師網などは使い物にならなくなっており、さらには今回の事故に伴う海水汚染が起因と思われる魚介類や海亀などの海洋生物の死骸が海岸に打ち上げられている。 


 スリランカ政府は、一般市民に向けて、漂流した化学物質などの不審な物には一切触れないようにと注意勧告を発しており、漁業は現在禁止されている。被害を受けた海岸では大型機械などが導入され、防御服に身をまとった軍人などが中心となって大規模な清掃作業が行われている。さらに当該船は現在傾いており、沈没するのではと警戒されている。その際に伴うさらなる被害を避けるため、海軍は船を陸から離れた深い海域に牽引する考えでいるが、ただその前に、調査のために必要な乗船が、船体が熱を帯びているために、まだ実現できずにいる。


 地元の漁師の話では漁が元どおりになるまでには、最低でも半年は必要ではないかという状況下で、コロナショックとも重なり生活が厳しく、苦境に立たされている。さらには、風評被害も含め魚離れも懸念されている。地元専門家は、船から流れ出した大量のプラスチックなどの浮遊物がマイクロプラスチックなどとなり、海洋生態系に、そして、それが生物や人体に入ることによる被害についても懸念している。また、事故の際に放出された有毒ガスを伴う煙をなど含むと思われる今後降るであろう雨などに当たらないよう、国民に向けて注意喚起を行っている。


 スリランカでは、このようなことがあまりにも頻繁に起こっており、去年の9月にも同様の事故があった。1700トンのディーセル燃料を積んだ大型タンカーMTニュー・ダイヤモンドがクエートからインドに向かう途中、スリランカの沖で炎上し、鎮火するまでに1週間かかった。今回の事故も、前回と同様の事後処理が行われる可能性が高い。MTニュー・ダイアモンド号の船長は罰金6万5千ドルを支払い、船主は240万ドルを請求された。今回もエクスプレス・パールの船長や船会社にも同様の苦情が申し立てられている。このように法的な処理に関する先例は確かにある。しかし、これらの罰金などで、生態系への影響、人体に及ぼす影響、そして漁業や観光への長期的な影響を覆すことはできない。

 コンテナ運搬の歴史は、1956年に米ニュージャージーからテキサスまでの数十個のコンテナを運搬したことに始まる。以来、海運業界は目まぐるしく膨張し続けており、コンテナ船の巨大化、積載量の増大や運搬内容の多様化も進んでいる。しかし、今回の事故でも証明されたように、緊急時などにおける速やかな対応体制一つを取っても追いついていない。運営側は、何かが起これば巨額な保険金でカバーするなどのリスク回避は出来ても今回のような事件に等しいといえるような事故であれば、そう簡単には済むものではない。今回のスリランカでの事故は、国にとっての史上最大の汚染被害をもたらしただけでも十二分に許されるべきことではないが、ただ次はこの程度で済まないかも知れない。二度と繰り返されないためにも根本的な改善策に期待したい。

※ 今回の事故を扱ったスリランカの一コマ政治漫画