暴れる象と桜

(写真:ロイター/アフロ)

祭に参加していた象が暴れているとのニュースが舞い込んできた。覗いてみると場所はスリランカである。私は象が暴れたこの国で生まれ育った。離れて30数年になる故郷を懐かしく振り返る。

スリランカの子供にとって象は身近な存在である。かつてはそうだったと言った方がより正しいのかもしれない。実は、象と日本との間には意外な接点がある。

アジア最大 スリランカの「ペラヘラ祭」への誘い。

今から40年ぐらい前の私の記憶の中ではたくさんの象がスリランカの公道を歩いていた。そのほとんどは飼い象である。スリランカの象はよく働いていて、つまりブルドーザーのような役目を担っていた。同時に象は金持ちのシンボルでもあった。つまり今でいう高級車を持っているのと同じ感覚で保有されていた。

学校に通う子どもたちにとっては象を数えるのが日課だった。奇数の象に会うと良いことが起きるというジンクスがあった。先生に怒られた日は決まって偶数だったと振り返る。ちなみに、幼稚園の頃、私などは牛車で学校に通っていた。象と牛が道を歩いている頃は、車はポツポツと走っていたぐらいだった。しかも車は、象や牛に気を使って走っていた。狭い道だったりすると車は、象の後ろをのろのろとおとなしく走り、道が広い場所に出て来てやっと追い越す、スリランカの極当たり前の光景だった。

1982年に、日本のODAでスリランカで初となるテレビ局が誕生。開局と同時に「おしん」が流れ、スリランカ人は日本の姿に見入っていた。それから数年経つ辺りからスリランカで徐々に、そして確実に大きな変化が現れるようになった。大量に車(中古)がやって来たのだった。子どもながら興味をもちどこからかを調べたが、「made in Japan」と書いてあるのを見て信じられなかった。理由は簡単で、映像として見せられている「おしん」の中の日本の姿には車の「く」の字も出てこない。しかし、車は間違いなく日本からだとわかった瞬間、日本に対する評価ががらりと変わった。

「おしん」を見て、日本人は貧しいが、前向きに生きる自分たちとも似ていると親近感を抱いていたスリランカ人は、日本が車をつくるようになったと知った瞬間「自分たちも今では貧しくとも前向きに頑張れば車をもつくれるような国になれる」と日本が憧れの国に変わった。

スリランカの道路を走る車が徐々に増えて行き、それに反比例して道を歩く象と牛が減っていった。今では道を歩く象を見ることはほとんどない。

話が変わるようだが、実はスリランカでは「桜(sakura)」が有名である。お店の看板などに使われているのをよく目にする。ビスケットの銘柄にもなっていた。一握りを除いて日本に来たこともなければ、桜などは見たこともないが、この国への清らかな印象と憧れが「桜」となって現れた。

そして歌詞にも「桜」が登場する。「朝起きて窓を開けたら、庭に桜の花が満開に咲いている。見てごらん、綺麗だろう!」というようなくだりがある。ほぼ100%のスリランカ人はこの歌を聴いて美しい桜の情景に浸っている。実はこの作詞家が詞に込めた気持ちを間接的ではあるが聞いたことがある。そこには全く真逆の意図が隠れていた。グローバリゼーションに対する皮肉である。

アジアの国々のほとんどにおいて恐らくそうだったようにスリランカにとってもグローバリゼーションを教えてくれたのは、日本だった。その象徴的な存在は他でもなく日本の中古車だった。つまり歌詞を通して「桜などは必要ない。スリランカには地元の花が咲いている。」というメッセージを伝えたかったようである。

暴れた象と日本は確実につながっている。

先日、テレビでスリランカで過ごした子供時代、象を数えながら学校に通っていた話をしたら、あるスリランカ人の若者からテレビ局に対して「にしゃんたが嘘を言っている」との連絡があったと聞いた。象を数えながら学校に行く風景は、いつのまにか「スリランカ昔話」になっていることに改めて気づく。

日本人にとっての象に匹敵する存在は何だろうか、そしてかつて車がそうであったように次に日本は何でもって世界から憧れをもたれる国になるのだろうか、その両方が同時に頭を過ぎった。