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松田直樹とヴァンフォーレ甲府とAEDと。

二宮寿朗スポーツライター
VF甲府のホーム試合には「救護」のビブスを着用したAEDボランティアの姿がある

 8月4日は、松田直樹の命日である。

 彼が天国に旅立って、はや7年の月日が経つ。

 当時JFLに所属する松本山雅でプレーしていた彼を取材するために、幾度も新宿発の特急「あずさ」に飛び乗った。終点の松本まで約2時間半。熱いプレーや言動に触れることに、妙にソワソワしてしまう自分がいた。10年近く追ってきた取材対象とはいえ、いつも刺激を与えてくれる人。会うのが楽しみな分、2時間半がとても長く感じたものだった。

 命日のこの日、筆者は彼の面影を追って「あずさ」に乗ったわけではなかった。下車した先は甲府。ヴァンフォーレ甲府―アビスパ福岡戦の試合前に取材しなければならないことがあったからだ。この8月4日だからこそ――。

 2年以上前になる。

 2016年3月、ヴァンフォーレ甲府のホームゲーム(山梨中銀スタジアム)で、心肺停止状態に陥った女性サポーターをAED(自動体外式除細動器)ボランティアが救護したというニュースが流れた。

 心臓マッサージを含めて速やかかつ適切に応急処置をしたうえですぐさま病院に搬送したことでサポーターは一命を取りとめ、意識を回復させることができたという。

 日本サッカー協会は急性心筋梗塞によって松田が亡くなったことをきっかけにJリーグ、JFL、なでしこリーグ、Fリーグ所属チームに対し、AEDの所持と携行を義務づけている。しかし甲府はそれよりも前の2006年から地域の医療機関、大学、消防などの協力を得て、「所持と携行」のみならずAEDを使用できる救護ボランティアを置くことにしている。以前、同競技場で同様の事例が発生したことがあったためだった。

 ホームゲームではAEDを携帯する医療従事者が4、5人体制で配置され、無線機で連絡を取り合っている。この積極的なアプローチが女性の命を救うきっかけになった。2012年にも心停止の観客を助けており、Jリーグや他のクラブが救護体制を学ぶべく視察に訪れるなど模範になっている。13年には甲府地区消防本部から救急関係功労者表彰を、16年には山梨県救急救命士会から感謝状を受けた。

 あのとき松田が練習中に倒れたグラウンドにはAEDが設置されていなかった。居合わせた看護師とチームの医療スタッフによって懸命な応急処置が施され、病院に搬送された。しかし意識が戻ることはなかった。看護師を務める松田の姉・真紀さんは「AEDがあったら直樹が助かっていたかどうかは分かりません。ただ、それがあれば良かったという思いはしたくない。家族が亡くなるという辛さを、他の方にしてもらいたくない」とAEDの普及、認知活動を始めるようになった。

 松田の死によってAED普及の輪が広がっているのは間違いない。ただ、甲府のような「AEDボランティア体制」が広がっているとは言い難い。ほとんどのクラブが、決まりとなっているAEDの配備(2台以上)とドクターの常駐以上のことまではなかなか踏み込めていないのが現状だ。医療従事者を毎試合ボランティアで集めること自体、簡単ではないことを表している。

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 夏の甲府はとにかく暑い。スタジアム近くの温度計は37度を表示していた。

 18時キックオフの福岡戦が始まる前、救護ボランティアの立ち上げ当初から参加している久保富美和さん、勇子さん夫妻に話を聞くことができた。

――2016年3月のヤマザキナビスコカップ、観戦中に心肺停止状態に陥った女性のお客さんを救護した話を聞かせてください。

勇子さん「ほかのボランティアさんから人が倒れたという連絡が無線で入ってきて、急いで駆けつけました。意識確認をすると意識がなく、(同時に)無線でドクターに連絡しています。ボランティアの救急救命士さんにAEDと心肺蘇生をやっていただき、私はご家族からその方の情報や状況をお聞きして、消防の救急隊に伝えました」

――迅速かつ的確に。

富美和さん「心肺停止の状態から、はじめの5分が勝負と言われています。命を助けたいという思いはもちろんのこと、目指すところは後遺症もなく、病院の正面玄関を歩いて退院してもらいたい、普通の生活に戻ってもらいたいという思いがありますから。ボランティアのみなさんは救急救命士さん、看護師さんなどプロがそろっています。我々も(日本赤十字社の)救急法指導員資格を有しています」

――各スタンドにAEDボランティアの方が見回りをされています。

富美和さん「スタンドの最上段にいるので、サポーターのみなさんも『ああ、ここに救護の人がいるんだな』って分かってもらっています。スタジアムの場所ごとに通し番号を振っていて、何か起こったらすぐにその場所に行ける態勢を整えています。持ち場に向かうときも、ここに小さなお子さんやお年寄りの方がいるなとか、顔色は大丈夫かなとか凝視してしまうこともありますね」

――どのような準備を?

富美和さん「我々AEDボランティアは試合の2時間半前にはスタジアムに入ります。無線機の交信をチェックして、試合の流れをクラブの人に確認します。配置表をみなさんに配って、情報を共有します。試合ではスタンドの盛り上がりで無線が聞こえないことも想定されますので、ドクターの携帯番号も確認しておきます。試合後も大体のお客さんがスタジアムを出るまでいるようにします。大体、6時間は拘束されることになるので、大変と言えば大変ですね」

――周到な準備があって女性のお客さんは病院で意識を回復させ、病院の正面玄関を歩いて退院されたわけですね。

勇子さん「無事に退院されたと聞いて、本当に良かったなと思いました。お子さんと一緒に試合にまた来られて、ニコニコっていう表情で『その節はありがとうございました』と言っていただきました」

――日々の仕事があるうえで、10年以上もボランティアを続けていらっしゃいます。体力的にもきついと思うのですが、やめようと考えたことはないのですか?

富美和さん「家に戻ったら、ドッと疲れが出てしまいます(笑)。しかし、この仕事にかかわった以上、逃げたくはありません。誰かがやらなければならないわけですから。体力が続く限りはやり続けたいと思っています」

勇子さん「私もそう思っています」

富美和さん「このボランティアをやる前から夫婦そろってヴァンフォーレのサポーターでした。このクラブは小さいかもしれないですけど、温かいし、アットホームなんです。ボランティアを始めてからもスタッフの方と一緒になってやっているような感覚です。スタンドに通し番号をつけたのもボランティアのアイデアだったり、国立競技場でホームゲームをやったときは会場が大きいのでスタッフさんから『AEDを借りてきてください』と頼まれたり……。スタッフのみなさんは熱心ですし、我々もこのクラブが大好きというのはありますよね」

――今後の課題は何かありますか?

富美和さん「ボランティアの方も年齢が高くなってきているので、若い人にぜひやってほしいなって思っているんですけどね」

 久保夫妻をはじめ『救護』と書かれたピンクのビブスを着たAEDボランティアは試合が終わっても見回りを続けていた。

 夜になって涼しくなったとはいっても、汗がしたたり落ちる。ボランティアとクラブの熱意が安全かつ安心の運営をつくり出している。

 松田直樹の命日に、AEDボランティアの必要性をあらためて心から思うことができた。

 救える命を、救ってほしい――。

 天国の松田直樹も、きっとそう願っている。

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(写真はいずれもヴァンフォーレ甲府提供)

スポーツライター

1972年、愛媛県出身。日本大学卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。格闘技、ボクシング、ラグビー、サッカーなどを担当し、2006年に退社。文藝春秋社「Sports Graphic Number」編集部を経て独立。著書に「岡田武史というリーダー」(ベスト新書)「闘争人~松田直樹物語」「松田直樹を忘れない」(ともに三栄書房)「サッカー日本代表勝つ準備」(共著、実業之日本社)「中村俊輔サッカー覚書」(共著、文藝春秋)「鉄人の思考法」(集英社)「ベイスターズ再建録」(双葉社)がある。近著に「我がマリノスに優るあらめや 横浜F・マリノス30年の物語」。スポーツメディア「SPOAL」(スポール)編集長。

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