大河「麒麟がくる」はクライマックスへ 描かれた「終わりのはじまり」は次にどうつながる?

 残り3回となった大河ドラマ『麒麟がくる』(NHK)。

 先週放送された第41回「月にのぼる者」では、各登場人物の動きが活発化。織田信長(染谷将太)、明智十兵衛光秀(長谷川博己)、羽柴秀吉(佐々木蔵之介)の立ち位置と考えを、はっきりと提示する“終わりのはじまり”を描いた回だったと言えるだろう。

『麒麟がくる』41回まとめ「月にのぼる者」5分ダイジェスト

 『麒麟がくる』は、主人公の十兵衛が、平和な世の中に現れるという「麒麟」をもたらす主を求めてさまよう話なのだが、この41回は、これまでの論点を整理するような展開だった。

 まず物語冒頭で描かれるのは、十兵衛が丹波の国衆と交渉する場面。

 敗北した国衆の武将たちを十兵衛は殺さずに「しょせん、戦に正義はない、勝敗は時の運、明日は私がそこに座るやもしれぬ」と言って解放する。

 その代わり「頼み」と前置きをした上で、焼けた城跡に城を立てるな、戦で焼け落ちた橋を立て直し、踏み荒らした畑を耕し領地を回復しろと言う。そして同時に「しばらくは方々の田畑から年貢はとらない」と約束する。

 この辺り、敵を容赦なく滅ぼそうとする信長との対比となっている。

 十兵衛は、戦の続く世の中を変えて、よき世の中を作ろうとしていた。しかし戦は中々終わらない。

 「なぜ、国衆は耳を傾けてくれない? なぜ抗う?」と疑問を抱く十兵衛に対して、丹波の国衆は、代々足利家の将軍から領地を賜り恩恵を受けてきた。その将軍が京を追放され催告から助けを求めているのなら、恩に報いるのが我々の正義なのだ。と答える。

 冒頭、備後の国にいる足利義昭(滝藤賢一)が全国の大名に協力を求める文を書いている姿が描かれるのだが、国衆の言葉を聞いて、十兵衛は自分たちが戦っている相手は将軍そのものなのだと理解する。

 京都から追放された時点で義昭の影響力は無力化したかに見えたが、むしろ京都周辺の

諸国では室町幕府(足利家)に対する信頼は健在だと分かる。誰もが信長の作る新しい時代を歓迎しているわけではなく、むしろ今までの伝統を大事にしようと考えているのだ。

 伝統を重んじることと、破壊すること。はたしてどちらが平和な世の中をもたらすのか? 十兵衛に迷いが生じていた。

貧困から這い上がった羽柴秀吉

 坂本城で、松永久秀(吉田鋼太郎)から受け取った平蜘蛛の釜を見ている十兵衛の元に播磨表、出陣の任を受け、総大将になることが決まった羽柴秀吉が訪ねてくる。

 「明智様のお導きのおかげ」と頭を下げる秀吉に対し、(松永から平蜘蛛を受け取ったことを)信長に告げ口したのは秀吉か? と十兵衛は詰め寄る。

 飄々と愛嬌を振りまきながら目は笑ってない秀吉に対し、冷静に対応し一手一手詰めていき、逃げ場を塞いでいく十兵衛との「腹の探り合い」は、二人の価値観の違いをはっきりとさせていく。

 前回は足元を掬われたが、今回は逆に辰五郎から情報を引き出し、秀吉を追い詰める形となった十兵衛。秀吉は弟の辰五郎にスパイのようなことをやらせていたと告白し詫びを入れるのだが、終始芝居がかっていて自信満々に見えるのが、秀吉の恐ろしいところだ。

 その後、秀吉は弟の辰五郎を暗殺。同時に十兵衛と親しくしていた菊丸(岡村隆史)に刺客を差し向けるという冷徹さを見せるのだが、私利私欲のために仲間を容赦なく切り捨てる冷酷無比な男かと言うと、そうとは言い切れないものがある。

 十兵衛に「貴殿にとって平らか(平和)な世とは、どういう世じゃ?」と問われた秀吉は「昔のわしのような貧乏人のおらぬ世ですかな…」と言う。

 本心がわからないおどけた口調で、道化のように振る舞っていた秀吉だが、ここでの口調はややシリアスだ。

 十兵衛は秀吉には秀吉なりの行動原理がある(彼もまた麒麟を呼ぶものかもしれない)と思い「此度は貸しにしておく」と言う。

 この辺りは後に秀吉が光秀を倒し天下人になるという歴史を、我々視聴者が知っているから納得できるものがあるが、同時にこの台詞も額面通りには受け取れないものがある。

部下に命じた暗殺の知らせを待つ秀吉は物乞いをする子どもたちに取り囲まれている。

 暗殺を終えた部下たちに、子どもたちの姿を見せて「見よ。昔のわしじゃ。皆、昔のわしじゃ」と言うのだが、秀吉の振る舞いを見ていると、戦のない平和な世の中を作りたいと考える十兵衛の理想主義が霞んでしまう。何だかんだと言っても武家の生まれという恵まれた境遇にいる十兵衛や信長とは違う、本当の地獄を見てきた男の凄味とでも言うべきか。

 貧しい農家の生まれから天下人に昇りつめた秀吉は戦後の焼け野原を復興させた高度経済成長時代のサラリーマンの理想像として描かれてきた。

 だからこそ昭和の時代に秀吉の物語は何度も繰り返し語られてきたのだが、令和の時代に作られた『麒麟がくる』に登場する秀吉は、どちらかというと映画『ギャングース』やテレビドラマ『スカム』(MBS)や『サギデカ』(NHK)といった作品で描かれているような貧困から成り上がるために特殊詐欺に手を染める反社(反社会勢力)や半グレ(暴力団に所属せずに犯罪を行う集団)と言われる若者たちの象徴に見えてくる。

 おそらく、飢餓や貧困の現実を一番知っているのは秀吉だ。しかしその現実を知っているからこそ、現状認識がシビアで、十兵衛のような甘い理想は持たず、弟も容赦なく切り捨てる。このあたりは三河の忍者と知りながら菊丸を放置し、最終的に逃がそうとする十兵衛との違いが大きく強調されている。

平蜘蛛を信長に差し出す十兵衛

 十兵衛が安土城を訪ねると、信長は近衛前久(本郷奏多)と共に鼓を打っている。

 信長は二条晴良(小藪千豊)に変わって近衛を関白に添えようと考えていると十兵衛に

言う。一見、帝に従っているように見えながら、帝の周囲を、自分の望む姿に作り変えようとしていることに十兵衛は危機感を抱く。

 自分の風評が、京では上々だとみなが言っているという信長は「裸の王様」状態で、自分のことが見えていない。おそらく周囲がイエスマンばかりで悪評が入らなくなっているのだ。

 十兵衛は信長に平蜘蛛を差し出し、松永から受け取ったことを黙っていたことを詫びる。そして、この平蜘蛛を持つものに覚悟がいる「いかなる折も誇りを失わぬ志高きもの、心美しきものであること」と伝え、殿にもそういう覚悟でいてほしいと、信長を諭そうとする。

 しかし信長は、そんな十兵衛の気持ちを拒絶し、平蜘蛛を金に換えると言う。

 初めに観た時は、何で「平蜘蛛のことを言ってしまうのかな?」と十兵衛に呆れたが、おそらく十兵衛は、自分が受けたショックを信長も受けて心を入れ替えると思ったのだろう。それは十兵衛の理想主義者ゆえの甘さだが、もちろん信長には響かない。

帝が語る月の住人

 信長に失望した十兵衛は、帝(坂東玉三郎)と謁見する。

 帝は満月を見ながら十兵衛に対して、月に住んでいると言われる「桂男」の話をする。

 桂男は、月にある不可思議な木に咲く花を取りに行った。その花を水に溶かして飲むと不老不死になるのだが、その花を独り占めしようとしたところ神の怒りに触れ、不老不死のまま月に閉じ込められた。という。

 帝は、先帝から「月はこうして遠くから眺めるのがよい」「美しきものに近づき、そこから何か得ようとしてはならぬ」「なれど、力あるものはみな、あの月に駆け上がろうとする」と言う。

 帝は月に登り、不老不死の力を独占しようとした桂男の姿と天下統一を目指して戦に明け暮れる武士たちの姿を重ねる。

「こののち、信長が道を間違えぬよう、しかと見届けよ」と言われた十兵衛は「はっ!」とうなずくのだが、表情は困惑している。

 この帝の場面は、一見、信長と帝を対比しているように見えるが、それ以上に対比されているのは秀吉たち貧しい生まれの者たちだろう。

 戦に明け暮れる人々を愚かだと呆れる帝の考えは圧倒的に正しいのだが、その語り口にはどこか他人事で、傲慢なものを感じる。まるで地べたを這うように生きている貧しい人々を見下ろしているかのようだ。

 この場面は、帝が月を見上げるカットが印象的だが、むしろ帝と月を同一化しているように見える。これは帝の孤独を現していると同時に、実は帝自身が桂男のように月に閉じ込められている(政治に関わることができない)ということを暗示しているのだろう。

 帝の傲慢さは、理想を語る十兵衛にも通じるものがあり、人並みの生活を手に入れるためにはきれいごとなど言っていられないという秀吉の泥臭いリアリズムが最終的に勝利するのがよくわかる。

 十兵衛、秀吉、信長、帝。今まで小出しにされてきたそれぞれの価値観や争点が今回は丁寧に整理されており、物語はこれからクライマックスへと向かっていく。

 今日の夜8時から放送される第42回「離れゆく心」の予告映像では、「女子ども一人残らず殺せ」と言う信長に対して「それでは人がついてこない」と言う十兵衛の声が被さり激しい口論が交わされている。

第42回「離れゆく心」予告動画

 映像には「嫉妬と亀裂」「離れゆく心」という赤文字のテロップが挟み込まれ、文字だけ見ると恋愛ドラマみたいだ。

 武士の棟梁たる将軍の復権を目指そうと考える光秀は、京から追放された足利義昭と謁見するが「信長のいる京へは戻らぬ」と言われてしまう。

 「本能寺の変」という終局へ向かう中、史実では最大の謎となっている十兵衛が信長を裏切った理由というパズルのピースが少しずつ埋まりつつある『麒麟がくる』だが、いよいよ信長との断絶が決定的なものとなりそうだ。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】