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エンジョイ・サッカー! 在オランダ日系企業対抗サッカー大会「Jドリームカップ」で笑顔が弾けた

中田徹サッカーライター
Jドリームカップは選手も、応援に来た家族、同僚、友人も楽しめる大会【中田徹】

 8月28日、オランダの日系企業対抗サッカー大会『第15回Jドリームカップ』がアムステルフェーン市で開催された。今回、大会に参加したのは16企業18チーム。選手全員がピッチに集まりウォーミングアップする姿を見て、大会主催者の川合慶太郎さん(在蘭日本人サッカーチーム『Jドリーム』代表)は第15回大会の成功を確信していた。

「こういう大会は晴れた時点で半分成功したようなもの。ウォーミングアップでピッチの上に並んだ皆さんの顔を見ると全力で楽しそうでした。その瞬間に『もう成功したな』と。コロナで2年空いたJドリームカップを、みんなが待望していたわけじゃないですか」

 フルピッチを半分に区切って作ったコートが6つ。大会本部の「キックオフです」というアナウンスで一斉に12チームが8対8の試合をする様は壮観だ。会場となったアマチュアクラブ『RKAVIC(エルカフィック)』には選手の家族、友人、同僚がサポーターとして訪れると同時に、日本食の屋台、着物の着付け、生花、子供向け遊具施設、チャリティークジなどを楽しんだ。

 来賓の堀之内秀久駐オランダ大使は、参加チームのキャプテンたちを前に「乾杯!ではなく頑張れ!」と力強く挨拶。また、Jドリームカップのスポンサーでもあるアムステルフェーン市からはアダム・エルザカライ副市長が訪れ「400年以上前に出島から始まった日蘭の関係は、Jドリームカップのようにものすごく進化した」と語った。

挨拶をする堀之内大使。その横にエルザカライ副市長と川合代表 【中田徹】
挨拶をする堀之内大使。その横にエルザカライ副市長と川合代表 【中田徹】

■ コロナで沈んだ社内の雰囲気をサッカーで解消

ミマキ・ヨーロッパはバッドラック賞を受賞 【中田徹】
ミマキ・ヨーロッパはバッドラック賞を受賞 【中田徹】

 ピッチに目を向けると、鮮やかなデザインのユニホームを着ているチームがあった。胸には『Mimaki』というネームが入っていた。業務用プリンターを製造するミマキ・ヨーロッパのことだ。キャプテンの窪田篤史さんに「かっこいいユニホームですね」と声をかけてみた。

「デザイン、プリントなど、私たちはこういうことが得意なんです。背中には各自、好きな背番号と名前を入れることにしました」

 オランダ人の背番号を見ると『14』を着けている選手が何人かいた。ヨハン・クライフが着けた番号への憧れは、いつまでも褪せることはない。

 それにしても、ミマキ・ヨーロッパは参加メンバーが多い。

「うちは社員が70〜80人ほどいます。Jドリームカップに参加しているのは22、3人で2チームエントリーしました。また、サポーターとして来ている社員もいます」

 窪田さん自身もサッカーが大好きで、在蘭日本人サッカーチーム『サムライ』のメンバーだ。8年前、他企業の助っ人として参加したのが、窪田さんにとって最初のJドリームカップだった。ミマキ・ヨーロッパとして出始めたのは「4年ぐらい前だったかな」とのこと。

「夏になると『今年も参加しましょう』『練習はここでやるから集まれ』とかメールが飛び交うんです。会社でも和気あいあいJドリームカップの話をして楽しんでます。

 コロナの時期は、どうしても社内の雰囲気が良くなく、フラストレーションが溜まってました。こういうサッカー、スポーツを通じて、それも解消できていると思います。Jドリームカップを今回、開催していただき、感謝しております」

ミマキ・ヨーロッパの窪田さん。同社は大会スポンサーとして記念品、横弾幕を作成・提供した【中田徹】
ミマキ・ヨーロッパの窪田さん。同社は大会スポンサーとして記念品、横弾幕を作成・提供した【中田徹】

■ 61歳の名ウインガー

 タニタ・ヨーロッパのチームには、61歳の金子靖さんがいた。彼は日本人サッカークラブ『JドリームU50(Jドリームの大人チーム)』のオーバーエイジプレーヤーであり、同クラブの子どもたちを教えるコーチであり、クラブのレジェンドの一人でもある。

 15分で行われる試合のうち、金子さんの出場機会はだいたい5分ほどか。試合によって左右は変わるが、ウイングとして外に張ってプレーしていた。本人に今日のプレーを振り返ってもらった。

「まずはボールを取られないことを意識してプレーしました。自分が外側に開いてプレーすることで、中にスペースが生まれるようにして、自分がボールをもらったら、すぐに戻してチームとして真ん中から攻めた。ピッチが小さいから、外からボールを入れても崩せないですよ。だから、ウイングの僕は囮です(笑)」

 第1回大会からJドリームカップに参加する金子さんは「これからも出たいイベントだよね」と現役続行を宣言した。

 タニタ・ヨーロッパのキャプテン、中川真介さんに金子さんのことを尋ねると「やはりシニアですので、チームに落ち着きをもたらすというのが金子さんの役目です。その狙い通りサイドでプレーしてますね。見事な活躍で、とても61歳には見えないですよ」と絶賛した。

 タニタ・ヨーロッパは前回大会で3位、今回は決勝戦に進出した。その強さの秘訣を中川さんは「ベテラン、ヤング、経験者がうまく融合しています」と語る。中川さんにとってJドリームカップとはなんだろうか?

「小学校の学芸会のように、みんなで作ってお披露目する晴れの舞台という感じです。そして会社内のチームビルディングも兼ねてます。サッカーも会社も、やっぱりコミュニケーションですよね。チーム内でああだこうだ(文句を)言っていたら勝てないじゃないですか。やはりお互いに思いやる気持ちがないと。一つのゴールに向かって、一つのターゲットに向かって目標を達成しないといけません。今日はこれだけ勝ったので満足です」

61歳の名ウインガー、金子さん(左)とタニタ・ヨーロッパの中川キャプテン 【中田徹】
61歳の名ウインガー、金子さん(左)とタニタ・ヨーロッパの中川キャプテン 【中田徹】

■ お店でのアドバイスは「サッカーのようにやれ」

 PK戦で惜しくも決勝戦進出を逃したのが、焼き肉カナタだった。チームのキャプテン、前田彼方さんは16-17シーズン、オランダ2部リーグのアヒレス29でプレー。引退後は焼き肉カナタのオーナーとして頑張っている。

 準決勝で散ったばかりということもあって、ちょっと悔しさが表情ににじむ前田さんだったが、「スタッフみんなでエンジョイすることがメインの目的でしたので、楽しくプレーできましたし、応援も盛り上がっていたので良かったです」と笑顔に変わった。

「今回の選手編成は店のスタッフがほとんどです。自分が今もプレーする『サムライ』から3人助っ人を呼びましたが、彼らは普段からお客さんとしてお店に何度も来てくださってます」

 サッカーと飲食業の相性の良さについて、前田さんはこう語る。

「うちはサッカー好きの従業員が多く、ウエイター、ウエイトレスはチームスポーツのような感覚で働いてます。例えば、お客さんや仲間のスタッフなど、周りを見て気配りしながら効率よく働いてます。だから、僕は従業員に『サッカーみたいにやれ』と言ったりしてます。うちは普段からみんな仲良くやっているので、それをさらに強化させていきたい。新しく入ったアルバイトもいるので、Jドリームカップに一回出ると彼らも店に馴染みやすいかなと思います」

焼き肉カナタのオーナーとして4年目の前田彼方さん 【中田徹】
焼き肉カナタのオーナーとして4年目の前田彼方さん 【中田徹】

■ アフターサッカーのBBQがきっかけ――初参加の横河ヨーロッパが優勝

 決勝戦は、横河ヨーロッパ対タニタ・ヨーロッパというカードになった。どちらが勝っても初優勝だ。試合は0-0のまま延長戦に入ったが、横河ヨーロッパが先制点を奪うと怒涛のゴールラッシュで一気に4-0とし2022年度のJドリームカップ王者に輝いた。

 横河ヨーロッパのキャプテン、山田謙太郎さんの優勝インタビュー第一声は「最後にチームが団結して盛り上がって良かったです。実は、初めて会った人がほとんどなんです」というものだった。

「社員のメイさんが『こういうサッカー大会があるから出場してみないか』とみんなに声をかけて集まったチームなんです。横河電機はオランダに拠点がいくつかあって、いろいろなところから選手が来ました。こうして同じ会社の人たちと一緒にサッカーすることができて楽しかったです」

 横河ヨーロッパは日本人選手が3名だけ。オランダ人主体のチームだった。

「準決勝(対焼き肉カナタ)のPK戦は、オランダ人ならではの盛り上がりで凄かったですね。本当に彼らはメンタルが強い。オランダ人だからなのか、全員サッカーがうまい。彼らの年齢はちょっと上なんですが、上手でビックリしました。みんな、オランダ人監督の言うことをしっかり聞いて、指示に従ってました」

 しかし、延長戦では日本人の活躍が目立ち、山田さんがゴール。特に若い日本人選手が得点に何度も絡んでいた。

「実はうちの息子なんです(笑)。私は最近サッカーをしてなかったので、プレーしたくて仕方がなかった。もうひとりの日本人は横河電機ラグビー部出身です」

 これまで会社の中で、日本人駐在員とオランダ人社員の交流はあったのだろうか。

「あんまり無いですね。オフィスの中でも自分の部署の社員ぐらいしか知らないです。今回の大会のおかげで、オフィスで会ったらコミュニケーションが取れます。おそらく、今まで彼らと会社の中で会ったことはあるんでしょうけれど、知らなかったからすれ違っていた。次に会えばお互いに『おおっ!』ってなるでしょう。そういうのが良いですね」

初参加で優勝した横河ヨーロッパ。中央が山田さん 【中田徹】
初参加で優勝した横河ヨーロッパ。中央が山田さん 【中田徹】

 横河ヨーロッパのJドリームカップ出場の音頭をとったメイさんにも話を聞いてみた。

「私はSVバールンというアマチュアクラブを応援してます。日本人チームと試合をした後、彼らの一人から『こういう大会があるから出てみない』と誘われ、面白そうだったから選手を集めてエントリーしました」

 その日本人チームがJドリームU50チームだった。6月、SVバールンは親善試合の大会を開き、終わるとみんなでBBQをした。そこでの歓談でJドリームU50のメンバーが8月末の大会を紹介したのだ。

 ユニホームは、昔、ランニングチームがあったときのものを転用した。だから背番号はない。パンツとストッキングだけは今回新たに買ったのだという。

 大会主催者の川合さんは「メイさんとは『大会参加には、予め選手の名前と背番号とか、登録しないといけないのか?』とかメールのやり取りを何度もしました。それだけ一生懸命やっていたから、横河さんが優勝したときも一番喜んでいて良かったですね」と振り返る。

 こうして第15回の記念大会は無事に終わった。大会翌日、月曜日のオフィスでは「また来年もJドリームカップに出ようね」という会話が飛び交っているはずだ。

メイさん(右)と大会MVPのピムさん 【中田徹】
メイさん(右)と大会MVPのピムさん 【中田徹】

サッカーライター

1966年生まれ。サッカー好きが高じて、駐在先のオランダでサッカーライターに転じる。一ヶ月、3000km以上の距離を車で駆け抜け取材し、サッカー・スポーツ媒体に寄稿している。

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