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「音楽に国境はない!」〜でも別の垣根を作った新型コロナ

中東生Global Press会員ジャーナリスト、コーディネーター
ルツェルン音楽祭今年のテーマ「Verrückt(クレイジー)」な現在(筆者撮影)

欧州音楽界では大半の国で、2020年10月末頃から2回目のロックダウンが決行された。長い冬を経て5月1日、半年ぶりにチューリッヒ歌劇場で観客入りのバレエ・プレミエ公演が行われた時は、上限50人の観客の一人として劇場に踏み入れた足から幸せを噛み締めたものだった。

隣国ドイツでは、早いうちからワクチン接種・罹患・陰性証明書提示を前提として公演再開の準備を始めていた。そして陰性証明書も比較的手軽に手に入った。

例えば、バーデン・バーデン祝祭劇場では、劇場前にテスト用のテントが張られ、オンラインで予約すれば、非居住者でも無料で受検でき、遅くとも30分以内にはメールで送られてくる陰性証明書を提示して入場できる。大都市では薬局でも、非居住者に無料で検査を提供していた。

オーストリアでは検査センターに行っても、検査工程を自分でしなければならず、驚いた。自分で鼻の奥まで綿棒を入れてグリグリするはずもなく、不快感のある手前で止める検査で精度は大丈夫なのだろうか。

昨年も奇跡の縮小版開催を実現させたザルツブルグ音楽祭は、当初ワクチン接種・罹患・陰性証明書提示なしでの開催を掲げていたが、8月に入って感染者数が増えたため、急遽方向転換を迫られた。結果的にはクラスターを起こすことなく、無事1ヶ月半のフェスティバルを終えたので、「証明書提示のお陰」ということになってしまうのだろう。

ルッツェルン音楽祭は早い時期から収容人数の上限を1000人とし、休憩なしのプログラミングでも確実な開催という選択肢を選んだため、証明書提示なしで入場できた最後の大イベントとなった。9月の各歌劇場・オーケストラ等のシーズン開幕から、ほとんどの演奏会で証明書提示が条件となっているからだ。

9月11、12日は恒例のチューリッヒ歌劇場オープンデー+「みんなのためのオペラ(バレエ)」公演が開催されたが、ワクチン接種・罹患・陰性証明書提示が義務付けられた。劇場前広場に設置された大スクリーン等を通して、2日間でのべ1万3千人の観客が無料で芸術に触れた。Rシュトラウス作曲のオペラ《サロメ》はシーズンオープニング演目として劇場内でプレミエ上演されたものをパブリックビューイングとしても提供され、晩夏の夕べを楽しむ市民で溢れた。終演後歌劇場バルコニーから登場した出演者は、女王か法王か大統領か、という大歓声に包まれた。

しかし、10月1日からは、その自由も無くなってしまう。今まで国が負担してきた抗原検査が自己負担となるからだ。これによって完全に「垣根」ができてしまうのである。ワクチン接種者か、公演チケット+検査代47スイスフラン(日本円で約5600円)を払える余裕のある人しか、ライヴ音楽は享受できなくなってしまうのだ。

9月いっぱいは健康保険カードを提示すれば抗原検査は無料だが、10月1日からは自費となる。
9月いっぱいは健康保険カードを提示すれば抗原検査は無料だが、10月1日からは自費となる。

「パンデミック収束のためには、皆が我慢するしかない」と言うのだろう。しかし、ワクチン接種が自由選択である限り、選択しない(できない)人を排除するような政策を次々と進めていくのは暴力的だ。そうして「万人の慰め」であるべき音楽も、垣根から追い出されていく人達を置いてきぼりにしないと、音楽家団体が破綻する状況に追い込まれているのだ。こんな状況を、ペストや天然痘、チフスやスペイン風邪の時代に生きたクラシック音楽の作曲家達は、どう思うだろうか。ワクチンを接種してもブレークスルー感染者が出ているのだから、検査代を引き続き国が持つことは感染拡大対策にもなるのではないか。

ワクチン接種率が欧州に追いついてきた日本でも、ワクチンパスなどの導入が話題にのぼるようになってきた。ワクチン接種を選択しない人を排除しない政策を、国民を2分しない社会を、せめて日本には望みたい。

Global Press会員ジャーナリスト、コーディネーター

東京芸術大学卒業後、ロータリー奨学生として渡欧。ヴェルディ音楽院、チューリッヒ音楽大学大学院、スイスオペラスタジオを経て、スイス連邦認定オペラ歌手の資格を取得。その後、声域の変化によりオペラ歌手廃業。女性誌編集部に10年間関わった経験を生かし、環境政策に関する記事の伊文和訳、独文和訳を月刊誌に2年間掲載しながらジャーナリズムを学ぶ。現在は音楽専門誌、HP、コンサートプログラム、CDブックレット等に専門分野での記事を書くとともに、ロータリー財団の主旨である「民間親善大使」として日欧を結ぶ数々のプロジェクトに携わりながら、文化、社会問題に関わる情報発信を続けている。

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