聴覚と視覚の両方から元気を与えてくれる奇跡のホルン奏者 フェリックス・クリーザー

ホルンを特注のスタンドに置き、左足でレバーを操る。Maike Helbig撮影

両腕がなくてもホルンは吹ける!?

2014年、ドイツのレコード大賞のような「エコー・クラシック賞」授賞式で初めてフェリックス・クリーザーを聴いた。

会場となったミュンヘンのコンサートホール、ガスタイクの外はレッドカーペットが敷かれ、報道陣がアーティストを呼び止めては、写真を撮ったり、マイクを向けるなど、さながらハリウッドのよう。そんな、ハイソに着飾った聴衆を前にクリーザー氏が裸足の脚で巧みにホルンを操る姿は何故か清々しかった。そして流れてくる柔らかな音色が心に染み渡り、天使が舞い降りたような気がした。

それから3年、奇跡のホルン奏者フェリックス・クリーザーが待望の初日本ツアーを行う。

フェリックス・クリーザーは、1991年北ドイツのゲッティンゲンで両腕を持たずに生まれたが、4歳の時にホルンを習いたいと言い出し、驚いた親が音楽教室に相談に行き、5歳からレッスンを始めたという。本人は「どこかで聞いたホルンの音がとても好きになったので、ホルンじゃなきゃ嫌だった」と、当時の気持ちを回想する。「両腕がなくてもホルンは吹ける」のだ。

その後ハノーファー音楽大学に最年少で入学し、卒業前に録音したデビューCDで前述の「エコー・クラシック賞」を受賞したのである。

デビューCD「reveries (夢想)」はピアニストのクリストフ・キーメルとのデュオだ。ハノーヴァーでホルンクラスの伴奏ピアニストと生徒として知り合った2人は、収録曲目に関して早いうちに合意したという。「フェリックス・クリーザーをプレゼンテーションするには、ロマン派のレパートリーがベストだ」ということで、ほぼ同時期に、フランス、ロシア、ドイツの異なる文化的背景を持って作られた曲を集めたという。

耳から入って体中をときほぐす音色

彼の音色は何故心地が良いのだろうか。まずは、普通にホルンを構える状態を想像してみよう。どれだけ力を抜いても、ホルンを持つ両手、両腕、それを支える両肩にわずかでも力が入るのではないか。その力から完全に解放された彼の音は、無重力状態で空中を自由に進むような柔らかさがある。その柔らかな音に耳を傾けていると、音楽を聴いているというだけでなく、体から毒素が抜けてリラックスモードになれるようだ。

また、片足を上げた状態だと、両脚で座っている人よりも、意識して横隔膜を地面と平行に広げる訓練をしたのではないか。それによって得た安定感が、あの絶対的な息のコントロールを実現させているのだろう。吹奏楽器は「息を沢山吸って、一生懸命、息の続く限り吹く」という印象が強く、聴く者も一緒に力んでしまったりするが、彼の完全な息の絨毯の上では安心して宙を歩けるような気分になり、心をほぐしてくれる。

視覚からもらう元気

そして、素足に革靴で舞台上に登場したクリーザー氏が、アンクレットをつけた裸足の左足をグイッと持ち上げ、ホルンを颯爽と吹く勇姿は、理屈抜きに見ているものを元気づける。柔らかい彼のホルンの音色とその目を見張るような奇跡的な光景が、硬くなった頭を柔らかくし、「不可能なことなど、この世にはない」と、自分も何かに頑張れるような気がしてくるから不思議だ。

インタヴューのために初めて対面した時には、さすがに困った。西洋での挨拶には欠かせない握手ができないからだ。この時ほど日本人で得したと思ったことはないかもしれない。日本風にお辞儀をして事なきを得て、ホテルのティールームに座ると、今度はテーブルに置かれたミネラルウォーターの壁が目の前に立ちはだかる。口だけつけて飲むのか、ストローを頼むべきなのか、「グラスの置き場所を移動させましょうか」と、おどおどと申し出ても「ご心配なく」と一言。次の瞬間、颯爽と左脚を上げ、ワイングラスのステム(脚)を足の指で挟んで口元に運んだ。自然体でいて、ひたすら恰好いい。

音楽を通したオアシス

そんな風に、彼の人柄も彼の音同様、力んだところがない。クラシックの音楽家には別のジャンルの音楽を下に見る傾向もあるが、彼は2011年に所属していた国立ユースオーケストラがスティングの伴奏を担当した時のことを嬉しそうに話す。どんな音楽でも、質の高い音楽なら楽しいのだそうだ。また、ドライブも好きで、欧州では出来る限り自分で運転してツアーに出るという彼は、今年始めに新車を購入した。黒いCクラスのベンツを脚で運転できるように改造してもらったものだが、運転中もロックやポップを聴きながら長旅も楽しんでいるという。クラシック音楽は集中し過ぎて危ないのだそうだ。

2015年にはヨーゼフとミハエルのハイドン兄弟が作曲したホルン協奏曲アルバムも出し、高ホルンと低ホルンの両パートを1人で担当しているのも面白い。2016年にはシュレスヴィヒ・ホルシュタイン音楽祭でレナード・バーンスタイン賞を授賞されている。

「ホルンという楽器は多くの色を持っており、頭で命令した色合いを出すことができます。異なる作曲家、それぞれの曲にピッタリの音色を選ぶことに練習時間の多くを費やしていますが、基本的に上品な響きの音が理想です」というクリーザー氏は、毎日4~5時間の練習をこなすが、ホルンを通して、人と関われる仕事に就けたことが嬉しいという。自分も音楽に触れるとリラックスできるので、聴衆にもその音楽を通して喜びを与え、オアシスとなり、頭を空っぽにできるような綺麗な音を探していきたいと語る。

6月17日に西宮から始まる日本ツアーでは、オーケストラと共演するホルン協奏曲と、ピアノとのデュオの2種類のプログラムを合計8回演奏するというハードなものだが、本人はとても楽しみにしているという。ハノーファー音楽大学で学んでいた頃から、多くの日本人の知り合いがいるクリーザー氏。日本ツアーの前後も日独ハーフのピアニスト、モナ=飛鳥・オットらとのトリオでコンサートツアーが組まれている。 「信用できる国民性」「時間に正確」「勤勉」という共通点を挙げ、日本を「アジアの中のドイツ」と呼び親近感を表すクリーザー氏は、日本にポジティヴな「気」を持って来てくれることうけあいである。クラシック音楽ファンでなくても、是非元気をもらいに出かけてみたい。