スイスの音楽教育から学ぶこと

楽器店Jecklinのヴァオリン職人Bozzini氏がリース楽器もメンテナンス

スイスでは8月、新学年が始まった。それに伴い、新しい楽器を習い始める子供達も多い。日本では一般的なピアノもスイスでは必ずしも「お稽古事のトップ」を独走するわけではなく、ギターやヴァイオリンの他、チェロやホルン、トランペット、ドラム、クラリネットを習う子供も珍しくはない。

こうして出会った楽器を一生の趣味とするスイス人も多く、スイス人の半数は1年以上音楽レッスンに通ったことがあり、5人に1人は今でも楽器を弾けるという統計が出ている。それはどのような背景から来ているのだろうか。

スイスの学校音楽教育

一見すると、スイスの公立学校音楽教育のレベルは日本よりも低い。チューリッヒ州では小学校1、2年生のみ音楽室で音楽の先生からリトミックのような授業を受け、音に合わせて手をたたいたり、体を動かしたり、打楽器や木琴、鉄琴のような単純な楽器を叩くだけで終わってしまう。3年生からは担任が弾ける楽器に合わせて皆で歌ったりするだけで、普通の中学校に進学してからも、そのレベルが続く。

チューリッヒベルグの音楽教師、フリュッキガー先生に学校音楽教育の現状を尋ねてみた。

「やっと音楽教育の基礎が出来た頃、音楽の授業が終わってしまうのが残念です。本当は最低でも、小学校の6年間は専門の音楽教育が必要だと思いますが、それが叶わないのなら、せめて、その2年間で音楽を楽しむこと、そしてそれを使って即興できるような習慣を体に覚え込ませてあげたい、という使命を持って授業をしています。」

音符が読めて、ピアニカやリコーダーが演奏できて、作曲家の名前や代表作を知っている児童を育てる日本の音楽教育システムから見ると、低レベルに見える授業が、実は音楽好きを作り出しているようだ。

そして、楽器習得に関しては、学校音楽教育で教えられなかった部分を補うように「音楽学校」というものが存在する。公立学校の放課後の教室などを使って編成されている公立音楽教室で、様々な楽器を安価で習うことができる。親の収入に合わせた割引制度も設けられている。

また、楽器店によるレンタル楽器制度も充実しているので、楽器を買わなくてもリースで簡単に始めて、簡単にやめることもできる。このリースシステムを請け負っている最大手の楽器店Jecklinによると、このリースシステムの利用は、特に子供の弦楽器では100%に近いという。 日本の習い事との一番の大きな違いは、習い始めた楽器に固執することなく、楽器を換えながらも音楽を続けていけることだが、このシステムによる恩恵とも言える。子供の性格に合った楽器をアドバイスしてくれる診断テストもあり、親が知らない楽器を嗜むこともできる。

その他、オーケストラ団体も子供のためのコンサートや楽器に触れられるワークショップなどの機会を提供しているので、珍しい楽器を直に見るチャンスも多い。これらを通して、多くの子供達は自分の楽器に出会うのだ。

年度末には1年間の音楽教育の発表会を催す小学校もある。集団としてのそのレベルはお世辞にも高いとは言えないが、前述のフリュッキガー先生の目指すように、皆が音楽を楽しんでいるのが伝わってくる。そしてそこで子供達が自発的に様々な楽器を披露するのが特徴だ。その他クリスマスコンサートやお別れ会など、ソロ演奏の機会は多く、モチベーションもあがる。クラスメイトのお誕生会や学校のリクレーションで「タレントショー」なるものがあり、そこでも自分の楽器を弾く子達がいる。

小学校卒業後、州立ギムナジウム(中・高一環学校)に進み、芸術科目で音楽を選択した生徒は、なんと学校で個人レッスンを受けることができる。そのままコンセルヴァトワール(音楽専門学校)に入る生徒もいる他、プロとアマチュアの境界線を引くのが難しいほど、音楽が人生の一部になっているスイス人も多い。

スイス政府の州に対する干渉

連邦制をとるスイスにおいて、学校教育システムは各州の決定に任されている。しかし、予算削減のため例えばベルン州は、18年ほど前にギムナジウムでの音楽個人レッスン制廃止を決めた。 こうした決定により、子供達は音楽が寄り添ってくれる人生を送るチャンスから遠ざかり、多くの音楽家は職を失うことになる。

この判断に警鐘を鳴らした音楽教師や音楽家らの地道な活動により、また、州によって音楽教育の成果に格差が広がったため、連邦政府は「音楽は我々の社会に最も浸透している文化的趣味である」として、2012年9月23日音楽教育の充実に関する国民投票を実施し、賛成を勝ち取った。これによって、連邦政府が各州の音楽教育のレベル向上を図ることができるようになった。

スイスの音楽シーン

金融大国スイス連邦では音楽家の地位は低い。日本でも演奏家が教師として稼ぎを得ているのは普通だが、一般のスイス人は、 音楽を職業として認知すらしていないようだ。そのため、音楽家が自分の専門楽器を述べて自己紹介すると、「それは素晴らしい!ところでご職業は?」と聞かれて言葉を失うことが多々ある。

それでも音楽が人生の一部になっているスイス人が多いのは、「自分の楽器」を持っている、または持っていたことに起因しているのではないだろうか。もっと冒険的な解釈をすれば、音楽がスイス人の生活に馴染み過ぎていて、または、他に職を持ちながら演奏活動も行っているケースが多過ぎて、特別にそれを職業と認識する必然性が薄いからかもしれない。

スイスの音楽界は、ジュネーヴやチューリッヒの歌劇場、スイスロマンドやトーンハレなどのオーケストラ、ルッツェルンやヴェルビエなどの音楽祭の他、モントルーなどのジャズフェスティバル等で国際的に知られているが、それらの華やかな舞台以外でも、小都市もオーケストラを持ち、各市立劇場ではオペラを独自に制作している。それが叶わない街でも、ツアー式のオペラを頻繁に招聘している。

スイス国民の3分の2が定期的にコンサートに通い、5分の4が最低、週に1回音楽を聴くという。その他、アマチュアを含む地域の合唱団も充実しており、6分の1のスイス人が合唱に参加しているという統計もある。アマチュアオケや教会のアンサンブル、カーニバルや民族的パレードのブラスバンドにまで派生した音楽シーンのどこかに、多くのスイス人は自分の居場所を得ているのである。

世界的視点から見た時に必ずしも「音楽大国」ではないスイス連邦が、「音楽教育は人格形成にポジティヴな影響を与え、協調性や集団での達成感や忍耐力、構築的思考力を学ばせる」という結論にたどり着いたということは、傾聴すべき部分があるのではないだろうか。「クラッシック音楽は解らない」ではなく、自分がとっつきやすいところから始める。そうすると脳が気持ち良くなり、もう手離せなくなる。そうした環境と子供が日本でも増えていけば、日本も今までとは違った次元で豊かになれるのかもしれない。