【1971年のニューヨーク。アメリカを代表する写真家ユージン・スミスは、戦場に赴いた際のトラウマに苦しみ、酒に逃げていた。ある時、アイリーンという女性から水俣病について知らされる。チッソ工場が海に流す有害物質により、人々が病気になっている事実を報道してほしいという。渡された写真を見て、フォトジャーナリスト魂が復活し、水俣へ向かう。歩くことも話すこともできない子供たち、住民の抗議運動、力で抑えつける工場側…驚きながらも撮影を続ける。チッソの社長から「ネガを大金で買う」と言われ、拒むと反撃された。追い詰められたユージンは、水俣病と共に生きる人々にある提案をし、彼自身の人生と世界を変える写真を撮るー】

ジョニー・デップがユージンを演じ、プロデューサーを務める映画「MINAMATAーミナマター」が上映中だ。筆者は、「ハンディと生きる」「コミュニティ」「ジャーナリストの仕事」という視点から見た。

●人気俳優が演じる有名写真家

 筆者は以前、関東近郊で開かれた水俣展を取材したことがあった。その後、障害や福祉の取材を続けてきたが、この映画をきっかけに、再び水俣というテーマに出会った。

 ジョニー・デップが演じるフォトジャーナリストを見てみたいという思いもあり、映画館に足を運んだ。『パイレーツ・オブ・カリビアン』が大ヒット。彼が演じた海賊ジャック・スパロウは人気者となって、ハロウィーンの仮装の定番でもある。その後も『チャーリーとチョコレート工場』『アリス・イン・ワンダーランド』『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』などで強烈なキャラクターを演じ、老若男女に人気だ。

 ユージンそっくりの、ヒゲの男性がジョニーだとは、初めは気づかなかった。話し方や物腰も含め、ユージンになりきっていた。よく見ると、メガネ奥のきれいな目がジョニーだった。

 戦場取材のトラウマ、時代の変化、モチベーションが持てない自分にもがき、酒に溺れる写真家。ステレオタイプだが、筆者も新聞・雑誌に20年関わって、浮き沈みの激しい業界を見てきたから、違和感はなかった。

●メディアの移り変わりも感じさせる

 ユージンが活躍した年代は、紙媒体の時代だった。映画の中で、ユージンが出入りする「LIFE」誌の編集長がいうように、社会に投げかける記事よりも、広告をたくさん載せなければいけない。

 昔ながらの取材手法は、現場に足を運んでつかみ取ってくるもの。誰かに何か聞きたいなら、電話したり会ったり、直につかまえる必要があった。

 雑誌を作るにも、レイアウトを決め、発行日までに何度も話し合い、いくつもの工程をこなさなければならない。面倒だけれど、意見を交わして四角くし(字数を合わせて誌面に収めること)、スクープを発信する充実感はあったと思う。

 筆者が新聞社に入社した1996年は、昔ならではの取材手法やツールが変わり始めた頃だった。初めは、事件が起きればポケベルで呼び出された。無線からPHS、携帯と少しずつバージョンアップし、ワープロはパソコンに変わった。

 それでも、電話やファクスでアポイントをとって、地図帳を見て現地に出向き、取材をするという手法が残っていた。カメラはフィルムで、事件現場に行って撮影し、帰って現像したら写っていなかったという失敗も。

 その後、取材先の指定で連絡にメールを取り入れ、デジタルカメラが導入され…いまや調べものはインターネットでできるし、国内外の読者から写真や動画を送ってもらえる。スマホ一つで、記事の執筆も写真撮影も、編集まで完結できる。

 さらに近年は、インターネット記事がどれだけ閲覧されたかで広告収入が決まるため、読者に受けるテーマ、魅力ある見出しを必死に考えるようになってしまった。

●コミュニティを愛したユージン

 そうした目まぐるしいメディアでの四半世紀を体験してきた筆者は、ユージンの水俣との向き合い方を見ると、とても懐かしく、人間味があり、本来のジャーナリストとはこういうものだったと気づかされた。

 ユージンは、妻となるアイリーンと水俣に飛び込んで行って、住み着く。初めは、コミュニティに歓迎されなかった。チッソの問題、水俣病で介護の必要な家族、いろいろな痛みを抱えて生きている地元の人にとって、「よそ者」にカメラを向けられたら不快で当然だ。

 それでも、体の不自由な子にカメラを貸して交流したり、集会で話を聞いたり、抗議活動に同行したり、時間をかけて信頼関係を作っていく。

 ユージンは、嫌がる人を強引に撮影するわけではない。声をかけて承諾を取り、顔がわからない角度で撮影する。アイリーン役の美波さんが、患者に接する時、同じ目線で優しく声をかけるのが印象的だった。

●信頼関係から撮った写真

 映画には、チッソの社長とのやり取りや、住民の言い争い、嫌がらせや暴行など重苦しい場面もある。けれど、全体としては、優しさが伝わってくる。主なロケ地は水俣ではないそうだが、美しい自然の風景や音と共に、ユージンがかもしだす不器用な優しさ、コミュニティの人たちに敬意を払い、共にいようとする姿勢が温かい。

 ユージンは、コミュニティの家族に、親密な時間を共有させてほしいと頼み、撮影を許されて、様々な患者の現実を撮ることができる。

 そして最後には、母親と水俣病の子供との、ある場面を撮らせてもらう。母親の慈愛に満ちた表情が光り輝く一方で、悲惨な現実がさらされる。そのコントラストが、見る人に衝撃と感動を与える。

 ジャーナリストは、そうした場面に出会った時や、貴重な話が聞けた時、心がブルブルと震える。ユージンにとっても、久しぶりに心が震える撮影だったことが伝わってきた。

 それらの写真は、手作業で大切に現像・紙焼きし、アメリカのLIFE誌に届け、スクープとなる。報道の力が、チッソの社長も動かした。現実では、のちに写真集となってロバート・キャパ賞を受賞した。

(c)2020 MINAMATA FILM, LLC  ロングライド提供
(c)2020 MINAMATA FILM, LLC ロングライド提供

●社会派の作品でなく、現実の生活

 ジョニー・デップはこう語る。「彼(ユージン)は複雑だろう?狂人のようで、天才のようで、完全な無法者のボヘミアンだ。そんな彼が、日本文化の中へ入っていく。それは、まるで時限爆弾のようなものだ。彼は心の中に痛みを抱えていて、その痛みから逃れるためにあらゆることをしていた。でも、水俣が彼の心を再び開いたんだと思う」

 ユージンに憧れていたジョニーは、この役のオファーに飛びついたという。それだけでなく、「MINAMATAの物語を正しく伝えたい」と、プロデューサーに名乗り出た。アンドリュー・レヴィタス監督は、事前にしっかり勉強するため、ユージンの全作品を収めたアーカイブ、水俣病に関する大量の映像や、ロールフィルム、水俣の暗室からの素材などを集め、400ページもの参考資料をキャストや各部門の責任者に用意した。

 患者家族の、子供たちが将来、安心して生活できるように保障を…というセリフは重く、まだ終わらない水俣、また世界各地で起きている公害についてもメッセージが込められている。

 けれど、まじめに構えて見なくても大丈夫だ。レヴィタス監督が「これは社会派の作品ではなく、現実の人々と生活を描いたリアルな映画」というように、登場人物の人間味が際立っている。

 ユージンとアイリーンのコミュニティへの愛、人とのつながりの大切さ、ハンディと生きる人たちの命の鼓動を感じてほしい。加瀬亮さん、浅野忠信さんら日本人キャストも奮闘している。坂本龍一さんの音楽も美しい。エンタメとして楽しみながら、学び直す機会になる。