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“劇場番長”「COWCOW」の苦悩「地球滅亡して『M-1』なくなってほしかった」

中西正男芸能記者
「COWCOW」の多田健二(左)と善し

 "あたりまえ体操”などのリズムネタで子どもにも、そして海外でも人気を誇るお笑いコンビ「COWCOW」。常に観客を爆笑させる圧倒的なウケ方から“劇場番長”の異名をとりますが、全国6都市で開催するライブツアーの最終公演として「COWCOW 26th LIVE~劇場番長って言ってくれる人もいるよ~」を15日に大阪・なんばグランド花月で開催します。劇場番長という言葉への思い、そして、劇場番長と呼ばれるまでの「地球が滅亡すればいいと本気で思っていた」というほどの苦悩を語りました。

きっかけは「やりすぎコージー」

 多田:劇場番長という呼び名をつけてもらったのは、今田耕司さん、東野幸治さんがされていた「やりすぎコージー」(テレビ東京)がきっかけでした。

 2007年、番組に出していただく時に、僕らを含め3組を“テレビにはそんなに出ていないけれども劇場で笑いをとっている”という意味合いで劇場番長という呼び名をつけてもらった。

 そこからフジテレビの「爆笑レッドカーペット」などの番組でもその言葉を使っていただき、徐々に劇場番長と言っていただける人が増えていきました。そこから、これもありがたいことなんですけど、リズムネタの“あたりまえ体操”もやらせてもらうようになりまして。

 その流れの中で「『COWCOW』といえば、あたりまえ体操」と思ってくださる方も多くなって、でも、やっぱり僕らの中では「やっぱり劇場番長っていいよな」という思いがあって。そんな思いもあって、今回の単独ライブツアーのタイトルに劇場番長という言葉を入れようとなったんです。

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劇場番長までの苦悩

 善し:今、芸歴26年なんですけど、振り返ると、劇場番長という言葉を使ってもらうまでの数年間、そこが一番しんどい時期ではありましたね。いろいろな経験をしました。

 僕らが東京に出てきたのは2001年。「M-1グランプリ」が始まった年でした。当時の出場資格がコンビ結成10年以内で、僕らは2001年、2002年、2003年と資格的には3回エントリーしたんですけど、結果が出ず。

 2004年からは「M-1」に出ることもできない。仕事も減っていく。いったい、何をどうしたらいいんだ。そこが僕らのターニングポイントというか、重要な時期だったと思います。

 多田:「M-1」は3回とも準決勝どまりでした。「うわ、決勝に行けなかった」「また行けなかった」「ラストイヤーも行けなかった」の3年間。気持ち的にも、だんだん下がっていく3年間でした。

 善し:やっぱり「M-1」は大きいですから。今でも、強烈に残っているのは2001年、最初の年の準決勝が終わってからの1週間です。準決勝、全く手ごたえがなかったんです。そして、決勝進出者が発表されるのが1週間後。その間は、本当に地獄でしたね。

 「決勝に行けるのか、行けないのか。めちゃくちゃ不安。ただただ、不安。決勝に行くしかない。でも、行けないとダメ。でも、手ごたえはない。大丈夫なのか。行くしかない」

 そんな思いがずっと頭に渦巻いて、これは冗談でも何でもなく「地球、滅亡せぇへんかな」と思ってました。本当に。「地球が滅亡して、もう『M-1』も何もかもなくなったらエエのに」。そんな思いが頭を支配していましたね。そして、結果的にはそこからの3年連続準決勝敗退ですから、そら、大変でした。

 もし準決勝の手ごたえがマンマンだったら、少しは楽しみな1週間になっていたのかもしれませんけど、そこがなかった。むしろ、準決勝までは手ごたえがあったというか…。

 下地としてというか、僕ら自身も関西でいろいろと賞をいただいて、ナニな話ですけど“満を持して東京”みたいな空気もあった。もちろん決勝に出たいし、出なアカンし。

 実際「M-1」の予選でも、準決勝までは順調やったんです。それだけに、その1週間がとにかくしんどかったですね。

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 多田:当時、大阪では「baseよしもと」という若手の劇場があって、僕らもそこでやってました。東京に行ってからは新宿の劇場「ルミネtheよしもと」に出るんですけど、そこで「あれ?大阪ではウケてたけど、こちらではウケへんな」というネタが出てきてたんです。

今はなんとなく分かるんですけど、当時はそこの理由が分からないまま、第1回の「M-1」が始まった。結局、第2回も「ん~…」という感じ。ラストイヤーはまだ少しは手ごたえもあったけど、結局ダメで…。今考えると、仕上げきれなかったというか。「M-1」というものを攻略できてなかったという感じですね。

 善し:もちろんネタは作ってるんですけど、ルミネでは10分の出番。そして「M-1」は4分。時間の問題はどの漫才師でも直面するところですけど、そこに惑わされたというか…。自己分析というか、僕らは速いテンポでボケを詰め込んで、ツッコミがどんどん入ってくるような漫才ではない。その形のものを4分にする。そこでより苦しんだ記憶はあります。

 そして、これは手前味噌みたいなことになるかもしれませんけど、それでも、劇場では、10分では、ウケてるのに…。そういうもどかしさはありました。

 多田:ネタ時間によって、全く違う競技になるくらいの感覚はあるんですけど、漫才で評価されるためには「M-1」で勝たないといけない。

 実際、同世代の「中川家」さんや「ハリガネロック」さんは第1回で優勝、準優勝されていますし。結果を出せば評価されるのは間違いないし。

 善し:本当に、迷いというか、どうしたらいいんだろうという思いはありましたね。

 多田:結局「M-1」では結果を出すことができないまま、当初は僕のトレードマークみたいになっていた、いわゆる“伊勢丹柄”のスーツも着なくなっていきました。

 「こんな服、着たくもない」というか。普通にオシャレな衣装を着て、髪の毛も「EXILE」のATSUSHIさんみたいにラインというか切り込みみたいなのを入れてみたり。ま、正確に言うと、僕はウォンビンに憧れてやってたんですけど(笑)。

 黄色の眼鏡をかけて笑福亭笑瓶さんのモノマネもしてましたけど、そのラインがあったらモノマネに支障をきたすので、モノマネの時だけそこのラインを眉を描くペンで塗ったりね。そこまでしてカッコつけてたというか。一言で言うと、やさぐれてました。

 善し:「M-1」に出られなくなって、漫才に目標がなくなった。そんな中、相方は一発ギャグのイベントをやって、そこからまたコンビそれぞれで「R-1ぐらんぷり」に出たり。

 多田:相方は当時、田中邦衛さんのモノマネをやりだした頃で、それでモノマネ番組にも呼んでいただけるようにもなってました。

 そうこうしているうちに、芸歴的には上の方になっていって。ありがたい話、そんな中でも劇場だけはずっと出番をいただいていました。ただ、劇場にも次々とその時々のテレビの人気者みたいな後輩が出てくる。芸歴的に、僕らがトリというか、後から漫才をすることが多くなってきていたので、そこでいい加減なものはできない。その思いだけは、いつもありましたね。

 当時から本当にお世話になっている「ナインティナイン」の岡村隆史さんも、直接的な言葉ではないんですけど、周りの人に「すぐに、みんなが『COWCOW』のことを知るようになるから」と言ってくださっていたり…。

 いろいろな刺激を受け、いろいろな支えもいただき、漫才以外のこともやりつつ、漫才も緊張感を持ってしっかりとやる。そういう時期でした。

 善し:やさぐれつつも(笑)、なんとか、くさらずにやっていた。そして、そこを見てくださっていた方がいてくれた。それが“劇場番長”という呼び名をいただくことに繋がったのかもしれませんね。

 多田:今後の話で言うと、これは口に出すのもおこがましいんですけど…、誰もが目指す上方漫才大賞。ここは、いつかはとりたい。その思いは強くあります。

 今回のツアーで劇場番長というワードを使ったのも、どこかでアピールという部分も正直あります。漫才大賞をとらずしては死ねないという…。

 でも、この劇場番長という言葉は自分たちで言う言葉じゃないですからね。今回のツアータイトルも、最初は「劇場番長がやってきた」みたいにしようかとも思ったんです。けど、自分で言うのもな…と思って。

 自分で言うのもナニな上に、劇場番長というのがだいぶと強い言葉でもあるので「劇場番長という格でもないやろ」とか「ホンマに呼ばれてるんか?オレは知らんわ」という声も当然出てくると思いますので、結局「劇場番長って言ってくれる人もいるよ」というどこにも角が立たない言い方を選んだといいますか(笑)。

 ま、それだけいろいろ考えて、いろいろ逃げ道を作ってでも(笑)、使いたい。やっぱり劇場番長っていい言葉だなと思います。

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(撮影・中西正男)

■COWCOW(カウカウ)

1974年8月8日生まれの多田健二と、74年10月19日生まれの善し(本名・山田與志)が93年にコンビ結成。ともに大阪府枚方市出身。大阪NSC12期生で同期は小籔千豊ら。ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞、上方漫才大賞優秀新人賞などを受賞し、若手のホープとして関西で活躍。2001年から拠点を東京に移す。11年ごろから“あたりまえ体操”でブレークする。12年にはピン芸人ナンバーワン決定戦「R-1ぐらんぷり」で多田が優勝。15年には「歌ネタ王決定戦2015」でコンビとしてチャンピオンになる。全国6都市で開催した全国ツアー「COWCOW 26th LIVE~劇場番長って言ってくれる人もいるよ~」の最終公演を12月15日に大阪・なんばグランド花月で行う。

芸能記者

立命館大学卒業後、デイリースポーツに入社。芸能担当となり、お笑い、宝塚歌劇団などを取材。上方漫才大賞など数々の賞レースで審査員も担当。12年に同社を退社し、KOZOクリエイターズに所属する。読売テレビ・中京テレビ「上沼・高田のクギズケ!」、中京テレビ「キャッチ!」、MBSラジオ「松井愛のすこ~し愛して♡」、ABCラジオ「ウラのウラまで浦川です」などに出演中。「Yahoo!オーサーアワード2019」で特別賞を受賞。また「チャートビート」が発表した「2019年で注目を集めた記事100」で世界8位となる。著書に「なぜ、この芸人は売れ続けるのか?」。

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1999年にデイリースポーツ入社以来、芸能取材一筋。2019年にはYahoo!などの連載で約120組にインタビューし“直接話を聞くこと”にこだわってきた筆者が「この目で見た」「この耳で聞いた」話だけを綴るコラムです。最新ニュースの裏側から、どこを探しても絶対に読むことができない芸人さん直送の“楽屋ニュース”まで。友達に耳打ちするように「ここだけの話やで…」とお伝えします。粉骨砕身、300円以上の値打ちをお届けします。

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