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7時間半の超大作『エンジェルス・イン・アメリカ』、二つの壁を乗り越えた充実感

中本千晶演劇ジャーナリスト
(左から)長村航希、岩永達也、鈴木杏、坂本慶介 ※記事内写真 撮影:宮川舞子

 東京・新国立劇場小劇場にて上演中(5月28日まで)の『エンジェルス・イン・アメリカ』は、1980年代のニューヨークで、エイズの恐怖にさらされた人々の姿を通し、アメリカ社会が抱える苦悩を描いた大作だ。2部構成で、上演時間は第1部が3時間半、第2部が4時間である。

 じつはこの作品、2018年に「ナショナル・シアター・ライブ」で上映された映画を見たことがある。この時から「いつかこの作品が日本で上演されることになったら、絶対に観に行こう」と心に決めていた。そして、「ついにその日がやってきた!」というわけで、意気揚々と劇場に足を運んだのだった。

 敬虔なモルモン教徒のジョー(坂本慶介)は、自分が同性愛者であることを隠して生きており、妻ハーパー(鈴木杏)とは全くうまくいっていない。プライアー(岩永達也)はエイズに罹患し、死の恐怖に直面している。それなのにパートナーのルイス(長村航希)は感染を恐れて出て行ってしまう。

 それぞれ罪の意識を背負ったジョーとルイスが偶然出会い、惹かれあっていく。ジョーの母ハンナ(那須佐代子)は、息子の秘密に衝撃を受け、故郷ソルトレイクシティを飛び出してニューヨークにやってきた。

 いっぽう、政界で暗躍する弁護士ロイ・コーン(山西惇)もまた、自分が最も忌むべきエイズにかかっていることを知る。ロイの看護を担当することになったのは、黒人で元ドラアグクイーンの看護師ベリーズ(浅野雅博)だった。

 ある日、プライアーの前に天使(水夏希)が降臨し「お前は預言者である」と告げた…。

(左)山西惇 (右)坂本慶介
(左)山西惇 (右)坂本慶介

 トニー・クシュナーの作で、1991年に第1部「ミレニアム迫る」が、翌92年には第2部「ペレストロイカ」が初演された。今回の上演では翻訳を小田島創志が、演出を上村聡史が手がけている。人種差別やマイノリティへの偏見、社会の分断、信仰や価値観の呪縛、依存、そして許し…など、様々な問題提起がなされている作品だ。

 だが、観る前には、観客にとっては二つの大きな壁のある作品だとも感じていた。「いつか日本で上演されたら、絶対に観に行こう」との固い決意は、この「壁」に挑んでみたい、乗り越えてみたいという、やや自虐的な思いから生まれたものだったのかもしれない。

 一つ目の「壁」は、自分とは別世界の「80年代アメリカの物語」であることだ。エイズのこと、同性愛のこと、宗教のこと、そしてアメリカの政治のことなどがわからないと、理解が難しい作品だと感じていた。

 ところが今回ははるかに親しみやすく、より自分に近いところにある物語に感じられたことが驚きだった。それは一つには、時代が変わり、その中で、この作品が取り扱っている問題に対する私自身の受け取り方も変化したからだろう。

 そしてもう一つは、元の戯曲を尊重しつつ日本の観客も意識した丁寧な翻訳・演出の賜物ではないかと思う。良くできた翻訳劇というのは逆に、より普遍的なテーマの物語に昇華されていくものなのかもしれない、と思ったりもした。

 二つ目の「壁」はいうまでもなく、合計7時間半にわたる超大作であることだ。果たしてこの「観劇マラソン」ともいうべき作品、集中力を切らすことなく無事に走り抜くことができるのだろうか? 観る前は正直、そんな心配もあった。ところが、幕が上がってみると、第1部も第2部もあっという間に感じられた。

 考えてみれば一人ひとりが主人公みたいな物語なのだから、長くて当たり前なのかもしれない。それだけ長時間付き合っていると、幕が降りる頃には一人ひとりが何だか愛おしくてたまらなくなる。

 キャストの熱演が、日本人にはやや縁遠いところもある設定の人物たちを親しみやすい存在にしてくれている。フルオーディションシステムで選ばれたという演者たちは、バックグラウンドや持ち味が異なり、良い意味で一色ではない。芝居巧者のベテランから新進の俳優まで、それぞれの個性が混じり合ったりぶつかりあったりしている感じも良かった。

 キャストたちは、メインの役以外でも至るところに登場する。エスキモー(坂本)、エセル・ローゼンバーグの幽霊(那須)、看護師のエミリー(水)、モルモン・ビジター・センターのマネキン、そして、大陸権天使たちといった具合である。メインの役とはまったく異なる役どころを楽しそうに演じている姿も、この作品の密かな見どころなのではないかと思う。

 おまけにこの舞台、重いテーマを扱っているのに、荒唐無稽でユーモラスなシーンがやけに多いのだ。衝撃の天使降臨をはじめ、出会うはずのない人たちが脳内で交流してしまったり、妄想の中で辺境に飛んで行ったり。このあたりはリアリズムよりも様式美を追求しがちな日本の演劇が得意とするところかもしれない、というのは言い過ぎだろうか。

(奥)水夏希 (手前)岩永達也
(奥)水夏希 (手前)岩永達也

 重いテーマに挑んでいるのに、不思議と客席からの笑いが絶えない作品である。だが、これは決してふざけているわけではない。どんな辛い状況にあってもユーモアを忘れないのが人間の底力ということではないか。これもまた、長く感じさせない理由の一つではないかと思う。

 こうして、登場人物たちに自分を重ねてみたり、その苦悩に心揺さぶられたり、時に笑ったりしながら7時間半を無事に走り抜いた私は、2つの「壁」を見事に乗り越えられたという達成感も相まって、不思議に爽やかな気分で劇場を後にしたのだった。

演劇ジャーナリスト

日本の舞台芸術を広い視野でとらえていきたい。ここでは元気と勇気をくれる舞台から、刺激的なスパイスのような作品まで、さまざまな舞台の魅力をお伝えしていきます。専門である宝塚歌劇については重点的に取り上げます。 ※公演評は観劇後の方にも楽しんで読んでもらえるよう書いているので、ネタバレを含む場合があります。

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