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ヒリヒリと焼け付くような世界観に耽溺したくなる復讐劇、宝塚歌劇花組『冬霞の巴里』

中本千晶演劇ジャーナリスト
画像制作:Yahoo! JAPAN

 「愛」と「憎しみ」は表裏一体。このうち「愛」の方はタカラヅカでしばしば描かれる定番のテーマである。だが『冬霞の巴里』は「憎しみ」の方に斬り込んだ異色作だ。作・演出は指田珠子。2019年に好評を博したデビュー作『龍の宮物語』に続く2作目となる。

 時は19世紀末、貧困にあえぐ民衆の不満が募り、無政府主義者が暗躍する不穏な空気のパリに、オクターヴ(永久輝せあ)とアンブル(星空美咲)の姉弟が戻ってきた。二人の目的は、父オーギュスト(和海しょう)の死の真相を究明し、復讐を果たすことだった。父の殺害の首謀者と思われる叔父ギョーム(飛龍つかさ)は、姉弟の母クロエ(紫門ゆりや)と結婚して息子ミッシェル(希波らいと)を設け、今では警視総監の地位にまで上り詰めていた。

 オクターヴが潜伏することに決めたアパートにはヴァランタン(聖乃あすか)という謎めいた男がおり、彼を扇動する。姉アンブルはその美貌を武器に、父の殺害に関わったと思われる大資産家ブノア(峰果とわ)に近づくことに成功した。だが、オクターヴは何故か心穏やかではない。

 復讐の鬼と化していこうとするオクターヴだが、一家に隠された秘密が次第に明らかになっていくにつれ、その心は揺れ動く。そして、無政府主義者たちの怒りも頂点に達しようとしていた…。

 ギリシャ悲劇「オレステイア」をモチーフにしているそうだが、オクターヴの私怨の物語に、無政府主義者たちの世の中への怨みの物語を並行して走らせているところが面白い。その交錯点に存在するのが、警視総監である叔父ギョームなのだ。彼はオクターヴの復讐のターゲットであると同時に、無政府主義者の敵でもある。

 無政府主義者らのテロ行為を激しく非難するオクターヴに対して、ヴァランタンは「親の仇討ちってものは、そんなに大層なものなのか?」と問いかける。ならば世の中への憎しみは個人的な憎しみよりも上なのか? 「世の中への憎しみ」とは如何にしてつくられるのだろう? それは結局一人ひとりの憎しみの集積ではないのか?…今なお憎しみの渦巻く世界で、そんなことも考えさせられる。

 本来ならごく平凡な幸せを得られたかも知れない青年が、憎しみの渦の中に放り込まれ、復讐を誓いながらも揺れ動く。ヴァランタンはオクターヴに対して「本心に従うと命取りになる」と忠告する。いっぽう姉のイネス(琴美くらら)は「心のままに生きるのよ」と語りかける。オクターヴはどちらの言葉に従うのか? そもそも「本心」とは何なのか? そして「憎しみ」は果たして本心なのだろうか?…きめ細やかな感情表現を求められる役どころが、永久輝によく似合う。「優しいのは、苦しいから」という1幕ラストの台詞が心に刺さる。

 死んだオーギュストは、デパート王として上り詰めていく裏で悪行を重ねていたことが示唆される。だが、その詳細は明らかにされず「ある人から見れば大悪人、だが別のある人にとっては敬愛すべき人」という抽象的な存在に留めてあることが、逆に想像を喚起させ、この物語に奥行きと広がりを与えているようだ。

 オクターヴは父オーギュストに関して「とてつもなく、ひとりみたいだった」と語る。敵の多いオーギュストにとってオクターヴは最愛の息子であると共に唯一「本心」を見せられる相手だったのかもしれない。いつも血塗られた衣装を着ているオーギュストが、少年オクターヴといるときだけは真っ白な衣装なのが象徴的だ。

 舞台上では3人のエリーニュス(復讐の女神)たち(咲乃深音・芹尚英・三空凜花)が終始うごめいている。

 女神たちにいざなわれるかのように、登場人物たちの苦しみや淋しさに思いを馳せる。復讐を誓った者、復讐を果たした者、復讐のためだけに生きる者、復讐の標的とされた者、そして、復讐とは無縁に生きる者…。さらには、自分自身が抱える「憎しみ」とも向き合わずにはいられなくなる作品だ。

 さらにこの復讐劇に、特異な姉弟関係が折り重なって物語は進んでいく。オクターヴが姉アンブルの前でだけ見せる、無防備でちょっと甘えたような表情にドキリとさせられる。そしてアンブルは、弟への愛を「姉弟」という枠に封じ込めることで純化しようとするのだ。これを星空美咲が抑制の効いた演技で見せる。

 ミッシェルとその婚約者エルミーヌ(愛蘭みこ)が一筋の希望の光として、ラストシーンで力強い存在感を示す。オクターヴはエルミーヌに対して「はじめから、君のいる世界に生まれていればよかった」と言う。彼らは、もしかしたらオクターヴも生きることができたかもしれない無垢な世界の住人なのだ。

 そのいっぽうで、下宿の面々たちの逞しさもまた希望なのだと思う。どんな醜悪な事件も「パリではよくあること」と冬霞の中に消えてゆき、「何も終わらない、何も始まらない」まま虚しく時が過ぎてゆく。そんな世紀末のパリを、彼らはユーモアで受け流し、愉快に生き続けていくのだろう。

 どの役も一筋縄では行かず手強いが、花組の若いメンバーが真摯に向き合い健闘していた。

 ヴァランタン演じる聖乃あすかが、これまでの華やかでノーブルなイメージから一皮むけた新境地を見せて頼もしい。ギョームを演じる飛龍つかさの温かい持ち味が「この人は良き父であり、良き夫でもある」こと、さらにはオクターヴにとっても「大好きな叔父さん」であったことを思い起こさせてくれて作品全体の救いにもなっている。女として母として多面的な顔を見せるクロエ役を、月組から専科へ移ったばかりの紫門ゆりやがしなやかに演じてみせた。

 タカラジェンヌにとって、限りある時間の中でどんな作品と出会えるかはとても大切だ。おそらくこの作品は、出演者一人ひとりにとってかけがえのない一作になっていくのではないか。とりわけ主演の永久輝せあにとって、この作品は更なる飛躍に向けてのステップとなることだろう。そして、このような攻めの作品が生み出されている間は、タカラヅカの未来にも希望が持てると思う。

演劇ジャーナリスト

日本の舞台芸術を広い視野でとらえていきたい。ここでは元気と勇気をくれる舞台から、刺激的なスパイスのような作品まで、さまざまな舞台の魅力をお伝えしていきます。専門である宝塚歌劇については重点的に取り上げます。 ※公演評は観劇後の方にも楽しんで読んでもらえるよう書いているので、ネタバレを含む場合があります。

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