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ミュージカル『衛生』は、ミュージカルをこよなく愛する人にとっての「劇薬」かもしれない

中本千晶演劇ジャーナリスト
※記事内写真 撮影:引地信彦

 これほどまでに胸糞悪い舞台があるのか!?

 1幕が終わった時点で、本気で「帰ろうかな」と思った。しかし、今こうして公演評を書こうとしている。つまり、最後まで観たのである。

 まだ水洗トイレが普及する前の昭和30年代、汲み取り業者「諸星衛生」から身を起こした諸星良夫(古田新太)と、その息子の大(まさる・尾上右近)がさまざまな事業に手を広げ、庶民を食い物にしながらのし上がっていく話である。そのバックには地元の政治家・長沼ハゼ一(六角精児)がついている。

 なお、物語の舞台は平塚市ということになっているが、これは洗練された大都会でもなく、ど田舎でもない、日本の典型的な街の象徴ということなのだろう。

 身も蓋もない、悪人の完全試合のような話だ。しかし、胸糞悪くさせる要因はそれだけではない、人殺しや性暴力などの残忍な場面や下ネタがこれでもかと言わんばかりに続くのだ。残忍さや下品さを突き抜けて、思わず笑ってしまうようにデフォルメされている。その徹底した作り込みに対しては、一周回って感嘆してしまうほどである。

 しかも、容赦なく描かれるエピソードはどれも「臭いものには蓋」をして、見て見ぬふりをしてきた現実なのだ。私たちも本当はそのことを知っている。だから余計に気分が悪い。

 楽曲の入れ方がこれまた計算し尽くされた「ダサさ」である。今どきのミュージカルは、登場人物の気持ちの高まりが最高潮に達したところで歌い始めるように、自然な流れが工夫されているものだ。

 ところがこの作品は、芝居と歌があえてぶつ切りにされていて、派手な演出の中で「さあ、聞いてください」と言わんばかりに歌い出すのだ。「ミュージカルって、どうして突然歌い出すの?」というタモリの突っ込みを久しぶりに思い出してしまった。これまた「ミュージカルをバカにしとるんかい!」とモヤモヤする。水野良樹(いきものがかり)・益田トッシュによる楽曲はノリが良く聴いて楽しいだけに、なおさら気になってしまう。

 要するにこの作品、今どきのミュージカルとは真逆のことばかりしている。さながら「逆張り」戦略でミュージカルに挑みかかってくるかのようだ。悪が勝ち、正義は滅びる真逆の構図。夢は粉砕され、希望はバカにされる。

 1幕が終わった後の休憩時間、疲れ果ててしまった私はそっと出口に向けて歩き始めた。だが、いや待て! これはもしかすると歴史に名を残す作品になるのかも。たとえそれが悪名であっても、そうなったらリタイアしたことを一生後悔するだろう。もっと強くなれ! そう自分に言い聞かせ、再び客席に戻ったのだった。

 そして2幕。次第に「いいぞ、もっとやれ!」という境地に達してきた。むしろ、ここまできて中途半ばに改心したり救われたりしたら許さないぞ、という気分になってくる。

 そう思ってみると、諸星親子はなかなか味わい深いコンビである。蛇のようにしたたかな父・良夫(古田新太)と常にキレまくっている息子・大(尾上右近)。日頃は反発し合いながらも、いざとなれば力を合わせて悪の道を突き進む、不思議な親子の絆はこのミュージカルの中で珍しく心温まる要素かもしれない。

 良夫(古田)と政治家の長沼(六角精児)、二大巨悪の腹の探り合いが不気味だ。タカラヅカ出身の咲妃みゆが「掃き溜めに鶴」的な存在かと思いきや、いやいやどうして。自己肯定感ゼロの女・麻子と復讐心に燃える女子高生・小子という一筋縄ではいかない二役を演じ分けてみせる。

 麻子と小子の母娘二代に身を捧げる代田禎吉(石田明)、長沼を慕い続ける箕倉時子(佐藤真弓)、そして打倒諸星に立ち上がる瀬田好恵(ともさかりえ)など、この作品で描かれる愛や正義は、どこか歪んでいる。

 そして物語が大詰めに差しかかったところで、はたと気付いたのだ。

 こうして怒り狂う私こそが、もしかして「今どきのミュージカル」で得られる高揚感にすがって現実逃避しているのではないか? だから、いつものパターンと違うものに戸惑い、拒否反応を起こしてしまった。それはまさに、この作品に登場する「平塚市民」と同じではないか?

 この企画の発案者である古田新太は「演劇やミュージカルがどんどんおとなしくなっている」と指摘する。同様の問題意識は私自身もぼんやりと感じていたはずだった。それなのに私ときたら、その危機的な状況に飲み込まれかけていた。

 そして思った。帰らなくて良かった! 私は劇薬のようなこの作品でもって、麻薬に犯されそうになっていた自分に気付き、目を覚ますことができたのだ。

 脚本・演出を手がける福原充則のねらいは、うんこよりずっと下品な「この世にはびこるなにか」を描くことであったという。たしかに、うんこにまみれた舞台であったにもかかわらず、人としての品格を問われているような気がする。難しいことかもしれないが、この作品における「平塚市民」には成り下がりたくない。せめてその矜持は持って生きていきたいものだ。

 ここまでボロクソに書いておいて何だよと言われそうだが、読者の皆さんにお勧めできる作品のみを取り上げるのがこのコーナーの基本方針である。それにこの作品には、このくらい率直な書きようの方が似合うだろう。

 最後まで読んでくださった我慢強い人、そして興味が湧いてきた人はきっと何か感じるものがあると思う。覚悟してご覧ください。

演劇ジャーナリスト

日本の舞台芸術を広い視野でとらえていきたい。ここでは元気と勇気をくれる舞台から、刺激的なスパイスのような作品まで、さまざまな舞台の魅力をお伝えしていきます。専門である宝塚歌劇については重点的に取り上げます。 ※公演評は観劇後の方にも楽しんで読んでもらえるよう書いているので、ネタバレを含む場合があります。

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