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あのチャン・イーモウ監督もかつて罰金を支払った!中国の「一人っ子政策」時代に生きた人々は今……

中島恵ジャーナリスト
(写真:ロイター/アフロ)

 2021年5月31日、中国共産党が、現在2人目までとしていた産児制限を緩和し、3人目まで認める「3人っ子政策」の方針を打ち出しました。

 これについて中国メディアは大々的に報道しましたが、SNSなどを見るかぎり、国民から歓迎の声はほとんど聞かれず、「子どもは1人だけで十分。これ以上欲しくない」、「今の中国で子どもを3人も育てられるほど経済的余裕がある人は、一体どれほどいるのか?」といった疑問や否定的な声が圧倒的でした。

中国「3人っ子政策」へ。産児制限を緩和しても、国民が出産への意欲や関心をまったく示さない理由

 そんな中、中国を代表する著名な映画監督であるチャン・イーモウ(張芸謀)氏の妻が中国版ツイッターである微博(ウェイボー)に以下の短いコメントを書き込み、大きな注目を集めました。

「事前に任務を完了」

 これは一人っ子政策時代の2013年、チャン・イーモウ監督には3人の子どもがいると報道され、その結果、罰金を支払ったことを意味しているのだ、といわれています。

 妻が「事前に任務を完了」と書いたのは、暗に「私たちはすでに罰金を支払っている」ということを指しており、出産というプライベートな問題まで統制しようとしている政府に対する強烈な皮肉である、とSNS上で大きな反響を呼んだのです。

 当時の報道によると、2014年、チャン監督の妻の戸籍がある江蘇省無錫市の決定を受け、罰金750万元(約1億3000万円)を支払ったとされていました。著名人の場合は見せしめのためもあってか、多額の罰金が徴収されるケースがありましたが、チャン監督はその代表的な例だといわれていました。

2人目を産めば罰金を徴収

 中国の一人っ子政策は1979年から2015年まで36年間も続きましたが、その間、2人以上、子どもをもうけた場合は罰金が科されました。

 罰金は社会扶養費という名目で徴収されましたが、金額は地方(各都市)ごとに異なり、全国一律ではありません。その夫婦の年収の3~8倍という話が多いのですが、個人差もあり、不透明です。2013年の報道では、北京市の場合、市の平均可処分所得、もしくは実収入のどちらか高い方の3~10倍とあります。

 いずれにしても、庶民にとってはかなり高額で、農民の場合、もし現金がなければ、農作物や家財道具などもすべて没収されたケースもあったといいます。また、罰金だけでなく、公務員であれば解雇されることもあり、社会的な制裁も受けるという厳しいものでした。

 とくに、一人っ子政策が実施された初期(1979年~1980年代半ば頃)は厳しく、もし2人目を妊娠していることがわかったら、妊娠5か月を過ぎても強制的に病院に連れていかれて堕胎させられる、という痛ましいケースも後を絶ちませんでした。

 中絶によって、その後、妊娠できない身体となり、「子どもは産めなかった」という、現在60代くらいの女性も少なくありません。

 しかし、そんな状況でも、どうしても2人以上子どもが欲しいと望んだ中国人が当時は非常に多く、チャン監督夫婦のように、子どもを2人、3人ともうける人もいました。富裕層だけでなく、農村では働き手として子どもが欲しかったからであり、当時の中国人は、伝統的に子だくさんの大家族を心から望んでいたのです。

一人っ子じゃなくてよかったという声も…

 私自身、これまで数百人の中国人にインタビューを行ってきました。取材相手の年齢はさまざまでしたが、30歳くらいまでの若者に家族関係について聞くと、だいたい10人中3人くらいの割合で「2人きょうだい」という答えが返ってきました。

 それまで「1980年以降に生まれた中国人は基本的に一人っ子だ」と思い込んでいたので最初は驚いたのですが、前述したように「どうしても2人目が欲しい」と望んだ夫婦が相当いたのだ、ということを知りました。

 地方によっても政策の実施が厳しいところと、そこまで厳しくないところがあり、また1990年代後半にはだいぶ政策が緩くなったという話も聞きました。

 彼ら、彼女らにきょうだいの存在について聞くと「きょうだいがいて本当によかった。親には言えないこともいろいろ相談できるし、心強い存在」といった声が聞かれ、中には「お父さんとお母さんが命がけで私を守り、産んでくれたと聞いたことがある。お姉さんが一人っ子じゃなくてよかった」といって涙ぐんだ若者もいました。

 その若者の親御さんとも話をしたことがあるのですが、「親戚には危険すぎると大反対されたけれど、あのとき、無理してでも、子どもを2人産んでおいてよかった。自分たちがいなくなったあと、やはり子どもには助け合うきょうだいが必要」と話していたことが印象に残っています。

 これまでに出会った中では最大で、4人きょうだいという若者もいました。その若者に出会ったのは2013年で、当時、北京の名門・清華大学の大学院生でした。

 彼は男ばかり4人兄弟、しかも農村の出身ではないと聞いて、とても驚いたことを覚えています。彼以外の3人は地元に残って働いていて、最も成績が優秀だった彼に、お兄さんが仕送りをしてくれている、と話していました。

 しかし、月日は流れ、中国では今、「2人目の子どもを産むなんて、とんでもない」「そもそもお金がかかる子どもなんて、ひとりも欲しくない。面倒くさい」という声までSNS上で飛び交うほど、社会は様変わりしました。

 中国政府の人口抑制策は完全に失敗したのだ、という専門家の意見もありますが、1人の人間にとって、人生は二度とやり直すことができないもの。子どもを産める年齢も、タイミングも限られています。政府の一方的な政策転換に際し、そのことを痛感し、今も複雑な思いを抱いている中国人はとても多いのではないか、と感じています。

ジャーナリスト

なかじま・けい ジャーナリスト。著書は最新刊から順に「中国人が日本を買う理由」「いま中国人は中国をこう見る」(日経プレミアシリーズ)、「中国人のお金の使い道」(PHP研究所)、「中国人は見ている。」、「日本の『中国人』社会」、「なぜ中国人は財布を持たないのか」「中国人の誤解 日本人の誤解」、「中国人エリートは日本人をこう見る」(以上、日経プレミア)、「なぜ中国人は日本のトイレの虜になるのか?」、「中国人エリートは日本をめざす」(以上、中央公論新社)、「『爆買い』後、彼らはどこに向かうのか」、「中国人富裕層はなぜ『日本の老舗』が好きなのか」(以上、プレジデント社)など多数。主に中国などを取材。

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