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なぜ特に若者に外出自粛を呼びかけたか――行政とメディアの顧客びいき

六辻彰二国際政治学者
東京・上野公園の桜を見に集まった人々(2020.3.22)(写真:ロイター/アフロ)
  • 外出自粛などに関して行政やメディアが「若者」に特にフォーカスするのは不公平である
  • これまで問題行動をとった人には中高年が目立ったが、それらが「中高年」という属性で語られることはなかった
  • 行政やメディアが主な「顧客」である中高年に緩いことは、世代間の不毛な争いを煽るものである

 「若者」にターゲットを絞って外出自粛を呼びかけるのはバランスを欠いているだけでなく、発言力の小さい者の属性を強調するという意味で不公平と言わざるを得ない。

「若者」に特化することへの違和感

 コロナをめぐる外出自粛で「自主隔離をしない無神経な若者」のイメージが流布している。

 小池都知事は週末の外出自粛を呼びかける記者会見で、特に体力のある若者が無自覚のまま感染を拡大させている懸念があると発言した。メディアでも28日、「外出自粛のはずの下北沢や渋谷を闊歩する若者」が報じられた。

 早稲田大学の卒業式後に卒業生らが繁華街で盛り上がって悪目立ちしたのも、これに拍車をかけているかもしれない。

 しかし、それでも行政やメディアが「若者」をことさら強調して注意喚起することには違和感を覚える

 筆者は土日の外出自粛が呼びかけられた神奈川県の住民だが、28日に徒歩で横浜駅まで行ってみた。さすがに通常より少なかったものの、一部の百貨店が開店していたこともあってか、それなりに人出はあった。

 ところが、そこには若者だけでなく、高齢者も筆者のような中年も、さらには子連れもいた。少なくとも、行政やメディアが盛んにいうように、若者が特に多かった印象はない。

データのない印象

 「ただの印象じゃないか」という声が聞こえてきそうだが、まさにただの印象であって、道行く人をカウントしたわけでもなんでもない。

 しかし、それでは行政やメディアがいう「若者が目立つ」というのは、確かなデータに基づいているのかというと、少なくとも筆者はそういったものにお目にかかったことがない。

 あるのは、下北沢や渋谷などもともと平均年齢が低い繁華街や桜の木の下に集まる若者の映像や画像だけだ。そこだけみせられれば「まったく若い連中は」みたいな論調も出やすいだろう。

 だが、それとてデータに基づいていない、統計学でいう有意な相関関係も示していないという意味では、印象に過ぎないのではないだろうか。

 それを個人がtwitterでつぶやくならまだしも、行政やメディアがいわば公式にいうなら、例えば同じ日・時間帯の銀座や新宿ゴールデン街など平均年齢の高い街との比較といった、印象ではない根拠を示すべきだろう。

なぜ中高年に特化しないか

 さらに重要なのは「若者」だけ属性で取り上げる不公平だ。

 コロナに関連してこれまで色々「やらかした」方々、感染を拡大させかねない行動をとった人たちには中高年も多かったはずだ。

 ダイヤモンドプリンセスから下船してそのまま寿司屋に行った人、既に感染者が出ているなかで海外旅行に出かけ、帰国した後にジムやスナックに通っていた人、昼間からトイレットペーパーの買い溜めの行列に並ぶ人、挙句にドラッグストアの店員を恫喝したり、「コロナをうつしてやる」と騒いだ人…

 ところが、これらの場合、行政やメディアがわざわざ「中高年」を強調して「まだまだお元気な方が多いのは結構ですが…」などと注意喚起したのは聞いた記憶がない。むしろ、そうしたトンデモな行為を行政やメディアは「個人の行い」と扱い、属性全体を問題視する論調にはならなかった。

 この状況が若者に言わせれば「中高年こそ何なんだ」となっても不思議ではない。

「公論」の顧客は中高年

 筆者は大学で常日頃から若者と接しているが、問題行動をとる者は容赦なく怒鳴りつけ、場合によっては教室から追い出す。だから、「若者」が特別好きなわけではない。ただ、問題行動をとる個人を個人として扱っているだけだ。

 コロナでも同じで、基本的に中高年であれ若者であれ、問題行動は一部にとどまっているだろう。

 それにもかかわらず、行政やメディアが「若者」だけ属性でくくるのは不公平と言わざるを得ない。

 そこには、中高年ほど選挙に行く割合が高く、テレビを観たり新聞を読む頻度が高いことも影響しているとみてよい。言い換えると、行政やメディアが「大事な顧客」に配慮する裏返しとして「若者」という雑なくくりが平気で使われやすいといえる。

あらゆる差別は思い込みから

 属性で語るのは便利だし、とりわけ危機において誰かを責めたい風潮には合っているかもしれない。

 しかし、問題行動は「個人の問題」として扱うべきであり、属性としての傾向を語るなら、それなりの根拠を示すべきだろう。それ抜きに、いわば社会的発言力の弱い側を属性で語り、やり玉にあげるのは、欧米でアジア人への差別が広がるのと同じ構造だ。あらゆる差別は「市場性」がある、しかし偏ったイメージの産物だ。

 国難に結束して当たるなら、行政やメディアには世代間の不毛な争いを煽らない、慎重な言動が求められるだろう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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